阿羅漢と仏陀の違いとは。そして菩薩の登場

阿羅漢

テーラワーダ仏教批判① – テーラワーダ仏教は部派仏教の一派の流れに過ぎない」の続きですが、独立したテーマとしても読めるように書いてみました。

目次

阿羅漢(アラカン)と仏陀、菩薩の違いとは?

”阿羅漢”と”仏陀”はオリジナルでは違いはなかった

阿羅漢という言葉自体は、仏教オリジナルではなくて、仏教以前のインドですでにあった言葉です。

阿羅漢とは、”覚者(かくしゃ)””聖者”という意味であって、そういう意味では、”仏陀”とほぼ同じ意味で使われておりました。

かんたんに言えば、

  • 阿羅漢=悟った人

ということです。

羅漢

釈尊の仏教・原始仏教においては、「苦しみの根源は煩悩・執着にある」という捉え方をしますので、悟りとはすなわち、「煩悩・執着を滅尽(めつじん)して苦しみを脱却した人」ということになります。

”滅尽(めつじん)”とは、文字通り、「滅(め)っし尽くす」ということで、「すっかり無くす」ということですね。

有名な”涅槃(ねはん)”という言葉は、パーリ語ではニッパーナ、サンスクリット語ではニルヴァーナと言いますが、これはもともとは「吹き消す」という意味です。

この場合は、「煩悩の火を吹き消す」、ということになります。その結果、苦しみから脱却して平安な境地を得ると。これがすなわち悟りである、という捉え方をします。

そうしますと、

  • 阿羅漢=悟った人=煩悩を滅尽して苦しみから脱却した人=仏陀・釈尊

という図式になります。

簡略化すると、

  • 阿羅漢=仏陀

という図式です。

つまり、オリジナルな意味としては、「阿羅漢と仏陀は同じ意味で使われていた」ということです。

仏典で釈尊を紹介する箇所を読むと、「阿羅漢にして、仏陀、如来…」という記述をよく見かけるのはそういう理由です。

”菩薩”は「本来の阿羅漢」への原点回帰

テーラワーダ仏教、当時の上座仏教(小乗仏教)では、阿羅漢(アラカン)になるのが修行の最終目的であるのですが、言葉の定義上で言えば、これは釈尊の時代(原始仏教)からそうであった、ということになります。

ただ、あえて上座仏教に対して大乗運動が起きてきた、ということは、やはり、大乗運動を起こした側からすると、「彼ら(上座部)が目指している阿羅漢というのは仏陀・釈尊の真意とは何かが違っているのではないか?」という疑問があったということですね。

かんたんに言えば、上座仏教の人々が目指していた阿羅漢には、どこか「自分だけ悟ればいい」という雰囲気があり、大衆の救済すなわち、布施行や慈悲の実践という観点が欠けているのではないか?という疑問です。

これは逆に言うと、釈尊の時代の阿羅漢には、衆生救済という布施行・慈悲の実践があったということでもあります。

つまり、大乗仏教において強く打ち出した”菩薩”という概念は、じつは釈尊在世中に定義されていたところの、本来的な”阿羅漢”への原点回帰、復古運動の側面があると言えると思います。

菩薩

キリスト教の宗教改革や、あるいは明治維新なども、たんに「新しくする、改める」というだけではなく、それぞれ、「聖書のみ」「王政復古」というふうに復古運動の意味合いがありましたよね。

このように、真なる改革運動というものはつねに、リニューアルとともに、原点回帰・復古運動の側面を持つものなのです。

ですので、阿羅漢と菩薩の違いとは、教科書的に言えば(大乗仏教の立場からは)、

  • 阿羅漢:自分だけの悟りを求める
  • 菩薩:自分だけでなく衆生の救済を行う

ということになりますが、原始仏教教団(釈尊在世当時)における阿羅漢というのは、実は意味内容としては「菩薩」であったということになります。

阿羅漢と仏陀はだんだんと違いが出てきた

それでは、本当に阿羅漢と仏陀は同じなのか?

仏教以前はそうであったとしても、仏教オリジナル、つまり釈迦教団が成立してからの阿羅漢とはいったいどういう意味で使われていたのか?ということが次の問題になります。

仏教書をいろいろ読んでいると、おおかたの解釈としては、

  • 阿羅漢と仏陀は悟りの内容は同じである
  • ただし、仏陀は最初に悟り、そして多くの弟子を阿羅漢に導いている存在

と、おおまかにはこれだけの違い、という解釈です。

ここのところがですね、仏典を読むと、たしかに「私(=仏陀)と同じ悟りに…」というふうに読めるので、「仏典にそう書いてあるじゃないか」と言われると、学問的には打ち返しづらくなってしまうのですけれど。

でも、こういうところが、総論で書いたところの、「もはや、学問や文献では立証できない」というところでもあるわけです。

「では、実際はどうであったか?本当に阿羅漢と仏陀は同じ悟りだったのか?」という論点ですね。ここのところは、リーディングを併用して述べていくことにします。

結論から先に言ってしまうと、やはり、阿羅漢と仏陀の悟りはぜんぜん違います。少なくとも、初期仏教/釈尊の教団においては、そのように考えられていたのが実情です

ざっくりと経緯をたどってみましょう。

釈尊がいわゆる悟りを開いて(大悟して)、その後、ちょっとした逡巡がありながらも、「やはり、伝道していこう」という決意をなされたのですね。

そして、最初の説法がいわゆる、初転法輪(しょてんぼうりん)と呼ばれております。

そのときに、その5人のうちのひとりであるコンダンニャという人が「わかった!」と叫んで、釈尊も「コンダンニャは悟った!」と返したというエピソードがあります。

まあ、それだけ革新的な教えであり、またそれが腑に落ちた喜びなのでしょう。それで、残りの4人も次第に悟って、阿羅漢になった、という話の流れです。

*もっとも、コンダンニャの「悟り」は阿羅漢ではなくって、阿羅漢にいたる出発点である預流(よる)という段階であった、という解釈もあります。

*参考記事:四向四果とは本当に仏説か?- 解脱の解釈に問題がある

宗教に限らず、組織の立ち上げ時期っていうのは、やっぱりちょっと判定が甘くなってしまうというのは、よくあることです。

たとえば自営業で、「ご主人が社長で奥さんが経理」、という段階であれば、「奥さんが経理をやっていることで銀行の信用が大きくなる」とよく言われます。

ところが、会社組織が100人、200人、300人になった段階で、やはり奥さんが経理を続けているとどうか?というと、これは銀行から見ると「危ういのでなないか?」というふうに変わっていってしまいますよね。

数百人の規模になると、やはり専門家が必要で、奥さんが経理っていうのはだんだん無理が出てきます。

それと同じことで、仏典では、「仏陀にして、阿羅漢、……である釈尊」ということで、阿羅漢=仏陀=釈尊、という図式になっていますが、

これは実はずっと初期の段階の話なんです。釈尊の教団の立ち上げ時期の話です。

「仏教以前では、阿羅漢と仏陀はほぼ同じ意味だった」と前述しましたが、

やはり、教団の立ち上げ期は、”阿羅漢”という伝統的な言葉を借りたほうが戦略としてもプラスであったのです。

それで、釈尊ご自身も、「私は、仏陀になったのだ、阿羅漢になったのだ」というふうに、仏陀=阿羅漢の図式で宣言されていたわけです。

そしてさらに、「あなたがたも私と同じ筋道をたどれば阿羅漢になれる」というふうに説きましたし、実際には(初期においては)釈尊自身も「阿羅漢と仏陀の悟りの内容は同じ」といった趣旨の説法もされていたと思います。

ただ、これは一種の謙遜でもあり、また、上述したように、組織の立ち上げ期に、あまり大きく偉そうに出るのはよろしくない、という思いもあったのでしょう。

実際は、釈尊の悟りの内容も、菩提樹下の悟り(=大悟)からずっと変わらなかったわけではなく、45年間の釈尊の教団の歴史の中で「悟りの深まり」というのがあったのです

ここのところは、「大悟は究極の悟りであるから、悟りの深まりがあったというのは論理的におかしいのではないか?」という批判もあるかと思います。

まあここのところは、「そもそも”究極”とは何であるか?」という内実を哲学的にぐぐっと詰めて考えなきゃいけないところですので、今回は深入りしませんが、ひとつだけ申し上げますと、

「悟りというのは、”悟ってない – 悟った”という二分法では実際は語れれるものではない」ということです。とくに禅宗系統はこうした二分法の考え方を採りがちですよね。

「悟ったか、悟ってないか」「ゼロかイチか?」というデジタルなものではなく、もっとずっとアナログなものと言っても良いでしょう。

「悟った」「大悟した」あとにも、まだまだ”アナログ的に”さらなる悟りは続いていくということです。

また、出家・在家を問わず、信者が釈尊を見る目もやはりだんだんに変わっていたのです。釈尊の位置づけがどんどん上がっていったわけです。

ここのところも、仏教書を読んでいると、「釈尊没後に神格化が進んでいった」と書かれておりまして、それももちろん事実ではありますが、

実際は、釈尊在世中にも、一種の”神格化”がだんだんと形成されていったというのが実情です。

釈迦

もちろん、キリスト教的なクリエイター、GODというまでの位置づけではありませんが、やはり、「一切智者」として唯一無比の存在である、という信仰は集めていました。

「仏教には信仰はなかった」などと書いている人もいますが、ここもあまり言葉の厳密性にとらわれると本質を見失ってしまいます。

仏教では、信仰のことを「帰依」と呼んだりしますし、帰依といっても盲目的な信仰ではなく、(程度の差はあれ)「理性的な納得感」という側面も重視していたのは事実です。

ただそれも、釈尊の教団の教勢が拡まるにつれて、「釈尊が言うことだから真実なんだろう」という、いわば、理性からテイクオフした”信仰”というレベルも許容範囲になっていったのです。

阿羅漢の認定は、それほど厳しい基準はなかった

まずは、仏陀と阿羅漢はだんだんと違った受け止め方がなされるようになってきた、という話をしてきましたが、

阿羅漢の認定についても、現在、テーラワーダ仏教で考えられているような、「涅槃を得た究極の悟り」というレベルではなかったということです。

*実際は、そもそも”涅槃”の解釈にも誤解があると思うですが、それはまた別トピックで詳述します。

教団初期の頃は若干、甘い認定でしたし、中期・後期になった頃であっても、そのころは一定の基準は設けていたものの、

仏陀・釈尊が「◯○は阿羅漢になった」と宣言するか、もしくは、高弟の誰かが、「彼はもう阿羅漢ではないか?」という動議をおこして、それに対して高弟の間で同意が得られれば、それはもう「阿羅漢である」という認定の仕方ですね。

つまり、

法(釈尊の教説)の全体像を理解し、ある程度人格レベルに落とし込み、説法能力もある、サンガのなかで指導者としてもふさわしくなった…いわば、そういったレベルでの阿羅漢認定です。

なので、仏典を読むと、誰かが仏教に帰依したという、まあ一種の体験談ですか、そういう話では、末尾に決まり文句のように「…そして彼は阿羅漢になりました」といったような結びですね。これがよく出てきますが、

これは、おとぎ話で「お姫様は王子様といつまでも幸せに暮らしました」みたいなニュアンスです。

「彼は阿羅漢になったけど、その後、堕落して一般ピーポーに戻ってしまいました」では、ちょっと仏典としての権威が下がってしまいますよね。

こういうことを申し上げると、阿羅漢の価値が下がるようでがっくりくる方もいらっしゃるかもしれませんが、一方では、ほっとする方も多いはずです。

特に、テーラワーダ仏教のトップの方であっても、そして、マインドフルネスを長年続けている方であっても、「一向に阿羅漢になれない」と悩んでいる方がいらっしゃると思います。

マインドフルネス

「釈尊の時代にはあれほど続出したのに。われらがテーラワーダ仏教は、釈尊の直説をキッチリ受け継いでいるはずなのに…なぜだ!?」というふうに、人知れず悶々とされている方も多いはずです。

それはそのはずで、釈尊の教団における阿羅漢というのは、”究極の悟り”という意味ではなく、認定はもうちょっと緩かった」」というのがひとつの答えであります。

以上、記述が前後しているところもありますので、歴史的な経緯をまとめると以下のようになります。

  1. 仏教以前では、阿羅漢と仏陀はほぼ同じ意味で使われていた
  2. 釈尊が教団を立ち上げた当初も、一種の権威づけとして”阿羅漢”という言葉を使っていた
  3. 教団の名声と信用が高まってくる内に、仏陀(釈尊)と阿羅漢(弟子)は使い分けられるようになってきた
  4. 釈尊への信仰(帰依)、釈尊の神格化は釈尊在世中もある程度はあった
  5. 阿羅漢の認定は、テーラワーダ仏教が定義しているほどには厳しいものではなかった
  6. 釈尊没後、上座仏教の阿羅漢がだんだんと”独り悟り”で、慈悲の実践に欠けるところが出てきた
  7. そうした”阿羅漢”へのアンチテーゼとして大乗仏教は”菩薩”の概念を打ち出してきが、これは実は、原始釈迦教団の阿羅漢のあり方への原点回帰運動でもあった

という話でした。

次回は、福徳=善行=利他は涅槃(ねはん)に資するのか?という問題を扱ってみますね。

続き⇢→倫理と仏教の間を巡る問題 – 「福徳は解脱に資さない」は誤りである理由

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コメント

コメント一覧 (1件)

  •  キリスト教でも,救われたー救われていないという二元法で語られることが多いですが,実際には救いもアナログなものかもしれませんね。つまり,救われたからそこで終わり!というわけではなく,救いにも段階があるのかな,と思いました。

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