般若心経とエクソシスム(エクソシスト)

エクソシスムの原理

「主体性の回復」からエクソシスムを考えなければ意味がない

エクソシスム、もっと人口に膾炙している言葉でいうと、「エクソシスト」ですね。いわゆる「悪魔祓い」です。

悪魔というのは、相当な知能犯ですので、私たち一般人のところへは来ません。

一般人を引きずり落としても効率がわるいですから、狙うとすると、社会的に影響が強い人、

あるいは、思想的に彼らの価値観と相容れない人のところにやってきて、影響力が拡がらないように邪魔をしてくるわけです。

なので、私たちはとりあえず、ごく一般的な「悪霊」という言われる存在を相手にすることになります。

ネオ仏法は、スピリチュアルのサイトという体裁をとっていますが、バランス的には霊のトピックはかなり少ないですよね。

これには理由がありまして、

カルト宗教や覇道系スピリチュアルにありがちな、「あなたが不幸なのは、悪霊の憑依があるから」という入り口から入ると、これは、責任の外部転化理論に変わってしまうからです。

しかし、実情はどうかといえば、私たちは日々の生活において、私たちが思っている以上に霊的な影響を受けています。

これは、いわゆる霊界にいる存在からの影響以外に、今生きている人間の想念ですね、いわゆる「生霊(いきりょう)」と言ってもいいですが、こうしたものも含まれます。

悪霊とか、ホラー映画の題材になりそうな存在が、身近に…と言われると、ビビってしまいますが、実際は、悪霊と言っても、もとは普通に地上に生きていた存在です。

私たちの先輩が、たまたま地獄領域に堕ちてしまっているわけです。

そして、「波動理論」に従って、地上に生きている私たちが一定の想念を発していると、それに応じた霊存在が近寄ってくるということです。

参考記事:生まれてくる意味と目的って何だろう? – ②波動理論

なので、怒り・憎しみ・嫉妬・愚痴…などのマイナス想念を一定時間、発していると、やはり、地獄領域にいる霊存在が引き寄せられてやってくることになります。

この霊存在が、いわゆる悪霊と言われているもので、そういう意味では、ホラー映画的な特別な存在ではなく、いわばごくありふれた存在ということになるのですけどね。

話が逸れましたが、「責任の外部転化」という問題ですね。

結局、この考え方で対処しようとしても、

  • カルト宗教や覇道系スピリチュアルにお金(お布施?)が流れるだけ
  • 自分の波動を変えているわけではないので、「お祓い」をしても、また戻ってきてしまう

という問題がありますし、ある意味、もっと良くないのが、

  • 不幸の責任を外部(このケースでは悪霊・悪魔)に転化することによって、「言い訳」がたってしまう
  • ゆえに、いつまでたっても根本解決にならない(解決しようともしない)
  • 責任の外部転化→自主性の放棄、というふうであると、経験から智慧を得る機会をなくしてしまう

と、こうしたデメリットがあります。

そういうわけで、王道スピリチュアルとしては、

  1. 臭いものは根っこから立たないとダメ
  2. 智慧に資さない対処をしても意味がない(「人生の意味とミッション」から考慮すると)

ということで、

やはり、どうしても、「主体性の回復」から入っていくのがベストである、と思っているわけです。

仏法の根本である「縁起」も、巷で言うところの「縁起がいいね!」という運命論ではなく、実際は、「主体性の回復」という観点から、もともとは考えられています。

いわゆる、縁起=原因・結果の法則、ということになりますね。これは完全に自己責任論です。

こうした、主体性の回復というのは、さらに別な言葉で置き換えると、「セルフ・ヘルプの精神」ということになります。

「知の巨人」と言われていた故・渡部昇一教授は、「ある国家が繁栄する時代はかならず習慣論の書物がベストセラーになる」といった趣旨のことを述べられていました。

大英帝国の時代の『セルフ・ヘルプ』(サミュエル・スマイルズ著)が代表的なものですし、また、日本では『セルフ・ヘルプ』を邦訳した『自助論』が明治時代のベストセラーになっています。

*明治期では、『西国立志編』という書名です。

そして、国家の興隆に限らず、個人の問題解決および成功についても、やはり、セルフ・ヘルプの精神=主体性の回復が最も大事な、かつ根本解決に至る道であるわけです。

簡単にまとめますと、

  1. 主体性の回復によって、自分の心の波動調整を行い、結果、悪霊も遠ざかっていく
  2. さらにその問題解決の過程で、智慧を身につけることができる

という方向性が王道である、ということになります。

また、「王道の姿勢で!」という波動を発することになり、天界・菩薩界などの上級霊界の存在、「王道スピリチュアルの善霊」を引き寄せることになります。

そして、さらに運命が好転していく、という好循環に入ることができるわけです。

『般若心経』読誦とエクソシスムを同時にやってしまう

上記に書いた「王道スピリチュアル的対処」が文字通り、王道でありますが、やはり、「そうは言っても、憑依されている状態を今、なんとかしたい」というのが人情ですよね。

そのために、

スピリチュアリストに頼らなくても、通常の悪霊(あるいは生霊)であれば、自分で退散させることができる、という力を身につければベストです。

その場合、エクソシスト系の映画で描かれているような「聖句(聖書の言葉)」を武器に戦う、という方法はあります。

しかし、たいていの映画では、「効かない!」という過程が描かれておりますが、これはやはり、神父の悟り(認識力/真理を理解できている度合い)が一定のレベルに達していない、というのが理由なんです。

仏教系で言えば、たとえば、経典を読誦して悪霊を退散させるという方法がありますが、実際のところ、普通の人が経典読誦してもほとんど効果はありません。

というか、現役の僧侶が読誦してもほとんど効果がないのが実情です。

理由は単純で、

経典の内容を理解できていない(あるいは、信じていない/理解が不足している)から、先方(悪霊)を退散させるだけの法力(ほうりき)を獲得できていない」ということです。

「『般若心経』自体にスピリチュアルパワーがあって…」というのも一概に否定はしませんが、やはり内容を理解できていない状態で読誦しても、まったくエクソシストにはなりませんし、

エクソシストに限らず、それで運命が好転する云々もほとんど期待できません。

ただ、毎日の経典読誦(あるいは書写)を行うことで、「なにか尊いものに日々接していく」という良き心的傾向性を得ることはできます。これも「習慣論」に入りますが、ここのところは大きなメリットですね。

経典の中でも今回は『般若心経』に特化して話を進めていきますが、『般若心経』は、

  • 文字数にして262文字という分量なので、毎日無理なく習慣化させやすい
  • 経文に釈尊の仏教の主要な教義が出てくるので、仏教理解がトータルで進めることができる
  • 密教的要素(後半部の、「ぎゃーてい・ぎゃーてい…」を「祈り」として使うこともできる

というメリットがあります。

まとめますと、

日々の『般若心経』読誦を、

  • 悟り(認識力)を深め、
  • それによって、上級霊界に通じるように波動調整を行い、
  • 結果、悪霊を遠ざけ、
  • さらに、上級霊の指導を受けられるようになり、
  • また、経典読誦を習慣化することによって、「菩薩界」の手前の「声聞界」の足場を強化する

という方向へ持っていく戦略がベストかな、と個人的には思います。

『般若心経』の講義は今後、1年に何度か開催していきたいと思っていますので、興味のある方は、「最新セミナー情報」をチェックしてみてくださいね。

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