八正道の意味と覚え方のコツ – 中道の実践とはなにか?

八正道

八正道について解説している書籍やブログは山のようにありますが、そのほとんどは、8つの項目を列挙して解説をする、という体裁になっております。

八正道が覚えづらくなっている原因は、8つの項目それぞれの関係性についての理解が足りないからなのです。

しかし、八正道の8つの項目は、それぞれ適当に併置されているわけではなく、その順序に大きな意味があります。

8つの項目それぞれが因果関係(縁起)できっちり接続しているということです。

そこが理解できれば、八正道はとても覚えやすいですし、結果、とても実践性の高い思想であることが分かります。

倫理のテスト向けなどで、速攻で八正道を覚えたいという人向けにも、一応、語呂合わせを考えましたが(下記のテーブルメニューからジャンプしてみてください)、できたらやはり、キチンと理解した上で、さらに人生に役立てて頂きたいです。

ちなみに、”四諦”から学んでみたい方は、下記の記事をご参照ください。

*参考記事:四諦八正道の覚え方とわかりやすい解説 – “涅槃”の理解がカギ

目次

八正道の語呂合わせによる覚え方

剣士5号 妙な少年、ジョー」と覚えましょう(笑)。

八正道 語呂合わせ

それぞれ対応する八正道の項目は下記のとおりです。

  1. 正見(しょうけん):剣
  2. 正思(しょうし):士
  3. 正語(しょうご):5
  4. 正業(しょうごう):号
  5. 正命(しょうみょう):妙な
  6. 正精進(しょうしょうじん):少
  7. 正念(しょうねん):年
  8. 正定(しょうじょう):ジョー

繰り返しますが、こうした”覚え方”というのは、とりあえず覚える!というひとつのきっかけにして、次のステップとして、「きちんと意味を理解する」ということもやってみてくださいね。

八正道の実践で、潜在意識との交流が可能になる

まずは、前提として、「八正道を実践する功徳(効用)について語ってみたいと思います。この点についても、ネオ仏法の解釈では従来にないオリジナリティをご提供できると自負しております。

実は、この八正道の内省を実践していくことによって、次第次第に潜在意識との交流が可能になってきます。

つまり、守護霊と通信が可能になってくるということですね。

私たちはふだん表面意識で生活をしておりますが、多くの方がご存知のように潜在意識の世界というものが存在しています。

その心理学で言うところの潜在意識が、実は「あの世」に繋がっているんです。そして、自分の守護霊にも繋がるということです。

じつは、この表面意識と潜在意識の間にいろいろな夾雑物(きょうざつぶつ)、いわばチリやゴミ、ほこりが溜まっているんです。

それらが潜在意識との交流を阻害しているのですね。

夾雑物とは、生まれ落ちてからこのかた発してきた悪想念や先入観・偏見・思い込み・・・などなどでできています。

そして、八正道の内省によって、そうした夾雑物のクリーニングをしていくわけです。

そうした実践を積み重ねていくうちに、次第に潜在意識との交流が可能になってくるという理屈になっているんです。

もっとも、潜在意識→守護霊と通信可能、と言いましても、多くの方にとっては、霊現象というよりは、「非常にインスピレーションを受けやすくなる」という現象になって現れてくることになります。

当サイトで何度か申し上げていますが、霊現象を起こせる能力と霊格はほぼ無関係です。

霊格の高い菩薩であっても、生前は自覚的には霊能力を持っていると思っていた人はほとんどいないと思います。そのくらいの割合であります。

また、あえて霊現象を求めないという方向のほうが魂的に健全に伸びていくことができます

現代社会、とくに都市部では霊能力などを持ってしまうと、まともに人間として生きていくことはかなり難しいのが現状で、これはつまり、心境がわるいタイミングに入ると、悪霊の集中攻撃を受けやすくなってしまうのが原因なのですけどね。

結果、むしろ霊格の低下を招きやすい事態になってしまうわけです。

八正道の意味をまず理解する

八正道については様々な角度から検討できますが、まずは、伝統教学に忠実にアウトラインを書いてみます。

また、その範疇であっても、現代の私たちにとって十分に使える内容になっています。

私が実践している瞑想も何か特別なことをしているわけではなく、6-7割は伝統的な八正道を使った瞑想です。

正見(しょうけん)

正しい見解、縁起の理(原因結果の法則)を信じること。

正思(しょうし)

正しい思い・思考。

貪・瞋・痴(とん・じん・ち)の心の三毒、六大煩悩から離れること。

*貪=むさぼりの心、瞋=怒りの心、痴=愚かな心
上記プラス、慢(まん)=慢心すること、疑(ぎ)=仏法を疑うこと、悪見(あっけん)=間違ったモノの見方、の3つを加えて六大煩悩という

正語(しょうご)

正しい言葉。

不妄語(ふもうご)・不悪口(ふあっく)・不両舌(ふりょうぜつ)・不綺語(ふきご)を守ること。

  • 不妄語:嘘をつかないこと
  • 不悪口:悪口を言わないこ
  • 不両舌=二枚舌を使わないこと
  • 不綺語=無駄話をしないこと

*悟りを偽ることを大妄語(だいもうご)という

正業(しょうごう)

正しい行為。

とくに、五戒の中でも、以下が禁止事項となる。

 

  • 不殺生:無益な殺生をしないこと
  • 不偸盗:盗みをしないこと
  • 不邪淫:社会的に不適当な性的関係を持たないこと

正命(しょうみょう)

正しい生活。

身・口・意(しん・く・い)の調和のとれた生活。正しい仕事。

*身・口・意はそれぞれ、正業・正語・正思に対応する

正精進(しょうしょうじん)

正しい努力。

仏道に精進すること。

正念(しょうねん)

正しく念じる。教えを正しく記憶する、仏陀を念じる。

正定(しょうじょう)

正しい精神統一、禅定。

と、この8つの項目で成り立っております。

ところで、「そもそも八正道における”正しい”とは何であるか?」に疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。その点については、下記の記事で詳細に検討しておりますので、参考になさってください。

*参考記事:八正道 – 正しいとはそもそも何であるか?- 倫理の基礎づけとしての仏法

八正道は縁起(論理)にしたがって展開している。

前回の記事(四諦/四聖諦(苦・集・滅・道)を真理スピリチュアル的に解釈してみた)で、「釈尊は合理主義者でもあった」と書きましたが、この八正道も実に論理的な構造になっています。

この論理構造(縁起)を理解することによって、8つの項目を覚えることが容易になってきますし、理解を深めていくことが可能になってくるのです。

(  )内にそれぞれの項目の説明を太字で書いてみました。その太字の部分だけをつなげて読んで読んでみて下さい。

  1. 正見(正しい見解が持てるから、
  2. 正思(正しい思考ができる。
  3. 正語(ゆえに正しい言葉と、
  4. 正業(正しい行為をなすことができるので、
  5. 正命(身口意の調和のとれた生活を送ることができる。
  6. 正精進(そうした生活を元に正しい努力を重ねるので、
  7. 正念(正しい自己実現を念じることができ、
  8. 正定(結果、正しい精神統一を完成し、智慧を得ることができるのである

といった構造になっています。

ね?すごく、論理的でしょう?これなら八正道を理解し、覚えることもさほど難しくないはずです。

八正道は、正見を第一原因にして、残りが展開していくという順序になっているのですね。

言い換えれば、

正見の具体的展開が、正思〜正念になっているということです。

そしてその検証が正定でなされて、最終的に、智慧を得ることができるということなんです。

ということは、正語(言葉)とか正業(行い)とか正思(思い)に過ちが出てくるということは、本当は正見ができていない、腑に落ちていないということになるんです。ここのところが瞑想のポイントでもあります。

ある間違った思い・言葉・行為…などが出てきた場合、いったいその背後には自分はどういった価値観があるのか。それを見つけて検証するんですね。

その価値観は正当なものなのか、たまたま家庭環境や社会環境、友人関係、教育などで形成されたものなのではないか、という内省です。

「私たちはマーケティングに取り囲まれている」というシリーズをたまに書いていますが、あれらの記事は、そうした先入観・偏見・思い込みを取り除くきっかけになれば、という意味で書いていたのです。

一般の仏教書では、八正道がただ並べて書かかれているものが多く、「正しく思い、正しく念じましょう!」と言われても、「良いこと書いてあるなあ」とは思いますが、なんとなく、「ふーん…」という感想で終わってしまいそうです。

そうではなく、上述したような論理構造になっていることを掴むことですね。そして、最終的には、「正見=価値観」の点検に入っていく。

八正道は、潜在意識と導通していく方法論、という意味では非常に神秘的ですが同時に上述したような論理性を備えています。

神秘性と合理性を両立させることができるのが本来の仏法の内容であり、パワーです。

こうした仏法の本来のちからを解明し、解き放つことによって、21世紀以降においても仏法は文明の骨格・中心的な哲学として機能していくことができるようになります。

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • >澤井様
    コメントありがとうございます♪

    1. たしかに、この世では正直者が損をする場合がありますよね。

    仏教では、善いことをしたら→善い結果が返ってくる、悪いことをしたら→悪い結果が返ってくる、
    という因果応報(原因・結果の法則)がベーシック理論なのですが、今世限定ではそうならないこともあります。

    それを仏教用語では”異熟(いじゅく)”と呼んでいます。「異なった果実が熟しているように見える」ということですね。

    ただ、仏教では輪廻を前提にしていますので、来世・来来世…まで”人生”を射程に収めて眺めてみると、
    因果応報はきっちりと完結していく、という理解をします。

    長い射程距離で見れば、必ず「善因善果、悪因悪果」に収斂していきます。

    来世、輪廻、永遠の生命、実在界の視点があって、はじめて”公平”が担保されるということです。

    よろしければ、こちらの記事も参照なさってください。
    リインカーネーションの意味 – 無限の輪廻転生に有限の花を咲かせる

    2. 仏教の教えは、最終的には、「智慧と慈悲および幸福論」の3つに集約されます。

    本当のことであっても、指摘することによって相手のためにならないのであれば、むしろ沈黙したほうがいい場合があります。
    それであるのに、わざわざ余計なことを言ってしまうことは、むしろ、不綺語(ふきご)=無駄話をする、に引っかかってしまいます。

    一方、相手によっては、一時的に傷つけたとしても、「長い目で見れば薬になる」場合はバシッと指摘したほうが良い場合もあります。

    このように、相手の機根に合わせて法を説くことを「対機説法(たいきせっぽう)」と言います。

    相手のためを思うという”慈悲”が動機になっているかどうか、また、発言が時機を得ているかの判断、これは”智慧”ですね、
    そして、最終的には、自他の幸福を実現するという”幸福論”にかなっているか、という「智慧と慈悲と幸福論」の3つで判断していきます。

  • 初めまして、疑問がありますので二つほど質問させて頂きます。
    まず一つ目、この世の中では正直者が損をする社会に感じられるのですが、実際に正直者の人が、嘘をつく人よりも不幸になる所をみます。不幸になったとしても正直者でい続けろということですか?
    二つ目、嘘はつくなとありますが、人間関係で本当のことをいって相手を傷つけたとしも、嘘をつくなということですか?相手を沢山傷つけても良いということなんでしょうか?

  • コメントありがとうございます。その節はお世話になりました。

    実際は、肉体を持っている以上、”完全に”貪瞋痴からフリーになる
    というのは難しいです。

    「完全になくす」状態に持っていくのはもちろん理想ではありますが、
    大事なことは、「いかに、都度、貪瞋痴を刈り込んでいくか?」というところにあります。

    たとえば、花を咲かせようと、花壇を作り、種を植えると、
    その土壌からは雑草が生えることもあります。

    雑草が嫌だからと言って、花壇そのものを取り去ったら、花も咲かないことになってしまいます。

    大事なことは「花を咲かせるために」花壇は維持しつつ、雑草は生えてくる事自体は
    やむを得ないとし、むしろ、生えてくるたびに、いかに都度、刈り込んでいけるか?
    という実践にあります。

    「正しく思う」(正思)も、できている – できていない、という二分法ではなく、
    「できている」に至るまでの無限の階梯があるということですね。

    なので、私ももちろん例外ではなく、アナログな階梯の中で、いかに1%良くなるか?
    を考えています。

  • 数年前にセッションでお世話になりました。八正道に取り組んで自己変革挑戦しています。
    正しい見解が出来ても、心の三毒を取り去って正しい思考ができるようになるには
    果てしない修行の階梯があると思います。まず、最初にに取り掛かべきは、この世に生まれてきて
    作ってしまった「自我の殻」を取り去って、人や、環境のせいにしない自分見出していく必要があると
    思いますが、先生は、どのような修行されているのか、お教えいただければ幸いです。

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