スピリチュアルで専門用語を使う意外な効用

仏教では、菩薩の修行徳目として、
布施波羅蜜多(ふせはらみた)という言葉があります。

波羅蜜多というのは、元来が、「到彼岸への道」ということであり、
布施波羅蜜多であれば、布施行の実践により悟りを深めていく。

そして、六波羅蜜多の最後の徳目である、般若波羅蜜多、つまり、
般若の智慧を得ていくことが最終目標になります。

布施というのは、ひらたく言えば、「愛を与えること」
ということになります。
*布施にもいろいろ種類がありまして、それはまた別の機会に述べます。

それでは、最初から「愛を与えること」って言えばいいじゃないか、
なぜに、布施とか昔の専門用語を使う?格好つけているだけでは?
という疑問もあるかもしれません。

はい、その通りなんです。
「愛を与えること」で良いんですよ。

でもね。

「愛を与えることが大事ですー」ということだけだと、
聞く(読む)ほうも、「いい話聞いたー♪♪」というだけで、
実質的には、スルーしちゃってたりした経験ありませんか?

私はよくあります。笑

つまり、分かりやすい言葉は日常語であるがゆえに、
どこかで、(それ、知ってるよー)、という受け取り方を
してしまいがちなんですね。

それゆえに、良い意味での”引っ掛かり”がなくて、
その場だけ、「いい話聞いたー」でスルーしてしまう。

ところが、

”布施波羅蜜多”とか聞くと、「むむっ?」ってなるじゃないですか
これが良い意味での、フックになることがある

言葉自体が非日常語なので、頭に引っかかってくる、
というメリットがあります。

それゆえに、繰り返しその言葉の意味内容を考える、
”思索”のきっかけになる。

思索

(・・・布施とは?うーむ?)

以前にもご紹介しましたが、
仏教には三学(さんがく)という思想があります。

むむ。これ自体が専門用語ですね。笑

三学は智慧の獲得過程を3つの段階で分類したもの。

 戒(かい)・定(じょう)・慧(え)

の3つです。

 戒(修行の指針を守り・行動し)→定(瞑想によって深く内省して)
→慧(深い智慧を得る)

というステップになっています。

今回のトピックに関するのは、”定”の部分ですね、
専門用語で脳内にフックができていると、
つい、「これはどういうことか?」
と考えるキッカケになる、思索してゆく、

これが意外に有効なんです。

また、
三学=戒・定・慧、が自分の修行指針である、
などと専門用語を挙げてみると、なんだか修行者気分に浸りやすいじゃないですか。笑

で。結果的には、修行してしまう、というメリットもある
*ただ、専門用語を使いこなすことによる、”トクベツ感”は
慢心のキッカケにもなるで、その点は気をつけたほうがいいです。

こういう、
”気分は修行者”っていうのも、なかなか馬鹿にできないメリットがあるように
思われます。

やはり、人は美意識(なにをもってカッコいいとするか)で動きますんでね。
それがあるからこそ、長く続けることもできる。

そういうわけで、
スピリチュアルで専門用語を使うメリットとして、

  • 言葉が非日常語だと脳にフックがかかり、思索のキッカケになる
  • 専門家としての気分を高揚させ、持続しやすくする

ということを挙げてみました。

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