真理を伝える行動は物理学的な法則に則ってカウントされる
前回まで5回に渡って、「生まれてくる意味と目的って何だろう?」という記事をアップしました。
ある意味、「これだけは押さえておきましょう!」という大事な記事なので、サイトトップのPICK UP!コーナーに上げておきました。
まだ読んでいない方はぜひチェックしてみてくださいね。
また、真理スピリチュアルを他人様に伝えて、功徳を積んでみたい!という方は、この記事の順序でお伝えすると、分かりやすいかと思います。
読者のなかには「ネオ仏法の記事をプリントアウトして知り合いに配っている」という方もいらっしゃるようです。
「自分でしゃべるのはまだちょっと…」という方は、そういうやり方でも良いと思います。「こんな考え方があるみたいなので、ちょっと読んでみてー」みたいな感じですね。
何度か申し上げていますが、こうした魂に関わる真実を伝える行動は、この世では金銭には換算されることがないかもしれませんが、
実際の、実在世界から見た「仕事量」は、この世の普通の仕事は計り知れないくらいの差があります。
こうした仕事(質×量)は物理学的な法則に則っていますので、1ミリたりとも過つことなくカウントされています。
自分の価値を上げるには、「心の内容」を上げていく以外にない
さて、
結局、人間の本質が、「実存エネルギー」であるとするならば、
自己の価値を本当の意味で上げていくためには、まさしく、「実存エネルギー部分」を高度なものにしていくことしか方法はない、ということになります。
そして、では、「実存エネルギー部分ってどこ??」という問いに対しては、要は、「心だけ」という答えになります。
これはすごくシンプルかつ大事な話なんですが、、
この世で生きているうちに得た物質的なものは、すべて実在界(あの世)に持って還ることはできないんですよ。
財産も肩書も地位も、ある意味、美貌もそうです。
ところが、普通の人は、持って還れないものにこだわって一生を過ごし、反対に、持って還れるもの=心に無頓着に生きているわけです。
「そんなことないよー」と言われるかもしれませんが、
では、今日一日、思ったこと・考えたこと、をどれだけ意識できていますか?
行動面はとりあえず置いておいて、まあ、「心の内容」ですね。
「今日一日、どういうことを思って、どういうことを考えていたか、どういう感情になっていたか?」
ほとんどの人が心の内容を振り返ることなく、ただ、仕事や友人関係に「反応」するだけで、1日を過ごしています。
反応は、英語で、Response(レスポンス)と言いますが、「反応するだけ」では、文字どおりの、Responsible(レスポンシブル)=責任を持っている、ということにならないわけです。
- 心=本体
- 肉体=乗り物
という公式が成り立ちますけど、
毎日のように、身体はお風呂に入っているのに、心を振り返らない、すなわち、内観をしないで毎日を過ごすというのは、これは、「乗り物だけ洗っている」という状態で、
「愛車は毎日、せっせと洗車しているのに、自分自身は1ヶ月お風呂に入ってないや」というのと、本質的には同じことなんです。
まずは、「心を意識してみる」、という練習
そういうわけで、まず大事になるのは、心を意識してみること、ということになります。
般若心経の冒頭付近で、
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
とありますが、
五蘊(ごうん)というのは、仏教書を読むと、「色・受・想・行・識」(しき・じゅ・そう・ぎょう・しき)と書かれています。
そして、さらにそれぞれの意味は、
- 色…肉体
- 受…感受作用
- 想…表象作用
- 行…意思作用
- 識…認識作用
などと解説されていて、この時点で「わ。面倒くさくて、関係ないわ」と思いがちですが、、
この五蘊が、「ほんとうにそうなってるの??その順序なの??」と、ちょっと自分を使って実験してみると良いです。
ちなみに、
- 色=肉体
- 受・想・行・識=心
とざっくり分けると、まず分かりやすくなります。
たとえば、朝、雀の声が聞こえたとします。
これはまず、「色」(=肉体)の耳の部分ですね、これがあるから聞き取ることが出来たと。
そして、
鳥の声が耳に入ってきて、「心地よいな」というふうに感受します。これが「受」ですね。
次に、なんの鳥だろう?とか、想像を始めます(というか、一瞬の間だったりしますが)。これが「想」ですね。
さらに、「もうちょっと聞いてみよう」とか、「窓を開けてみようか」とかの、意思が生じます。これが、「行」です。
そして、
雀の声から、いろいろ連想してみたり、「やっぱり自然はいい」とか、、
外の雀の声から、次第に、自分のなかの「観念」そのものに意識が行きます。
これが。「識」ですね。
まあ実際は、「色→受→想→行→識」と、ゆっくりと経過するわけではなく、この5つの連なりが一瞬で起こったりしますので、ほとんど意識することはありません。
ただ、上述したように、
「どのような順序で、心の内容が生起しているのか?」と確かめてみることも、「心を意識してみる」という練習になります。
今、流行りのマインドフルネスなどは、こうしたことを丁寧にやるわけですね。
「聞こえている…聞こえている…」と言語化して念じたりします。
「サティを入れる」とか解説されていますが、サティ=念、ですね。
私は必ずしも、マインドフルネスが万能であるとは思っていませんが、とりあえずは、「こころを意識してみる」という意味でも有効な方法だと思います。
*マインドフルネスの書籍はずいぶん多く出版されていますし、ネオ仏法的にどうか?ということで、「マインドフルネスの効用と限界、あるいは問題点」はまたいつか別トピックで書いてみます。
まとめ
とりあえず、今日の内容としては、
- 現象界(この世)と実在界(あの世)で一貫して「自分」と言えるのは、「心だけ」
- ゆえに、「心を高める」しか、自分の価値を高める道はない
- そのためには、まず、「心を意識してみる」ことが大事
- むずかしい仏教用語も、自分に当てはめて検証してみると、心の意識化の練習になる(そして、仏教用語も覚えられる・笑)
ということでした。