「十二因縁」の検索結果
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仏教
十二縁起(十二因縁/十二支縁起)の分かりやすい覚え方と現代的意義
【十二縁起(十二因縁/十二支縁起)の成立】 釈尊が修行方法としての「苦楽中道」を発見後、菩提樹下でどのような瞑想を行っていたかというと、この十二縁起を観察していたと言われています。 十二縁起は、十二因縁あるいは十二支縁起と言われることもあり... -
仏教
解脱と涅槃の違い – 仏国土論としての涅槃まで見抜いていく
解脱と涅槃については、個人的には、仏教のなかで最も誤解されている概念だと思っています。 仏教書を何冊か読んでも、「解脱、涅槃とは何か、どうもスッキリと腑に落ちない」という方が多いのではないでしょうか? 上座仏教では、涅槃にほぼ近い概念で、”... -
仏教
仏教は輪廻転生を否定していない – 解脱論のベースとしての輪廻
今回は、仏教は輪廻転生を否定したのかどうか?という論点で語ってみたいと思います。 「仏教 輪廻転生」でネット検索すると、「仏陀(釈迦)は輪廻転生を否定した」「輪廻は迷信である」との見解をブログ等で発表している方が何人かいらっしゃるようで、... -
『般若心経』の悟りを超えて
以無所得故
前回の続きで、今回はシリーズ20回目です。*シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -①*『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 以無所得故 読み:いむしょとくこ 現代語訳:得るものがないので、 「以無所得故」... -
『般若心経』の悟りを超えて
乃至無老死 亦無老死尽
前回の続きで、今回はシリーズ17回目です。*シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -①*『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 乃至無老死 亦無老死尽 読み:ないしむろうし やくむろうしじん 現代語訳:(同様... -
『般若心経』の悟りを超えて
無無明亦無無明尽
前回の続きで、今回はシリーズ16回目です。*シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -①*『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 無無明亦無無明尽 読み:むむみょうやくむむみょうじん 現代語訳:無明がないので、... -
外交/軍事
諸葛孔明の兵法とネオ仏法
【軍略と哲学】 一般的には、軍略と哲学というとまったく別物、という認識でしょう。実際に、適用する場も違いますしね。 しかし、ネオ仏法では、この軍略・哲学をいわば表裏一体のもの、もしくは補完関係にあるもの、と捉えています。 これはそもそも、例... -
テーラワーダ仏教批判
仏教と倫理を巡る問題 – 有漏善と無漏善についての考察
【福徳を積むことは解脱・涅槃に資さない??】 テーラワーダ仏教批判の第三回目です。 最近、『大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか』(大竹晋・著)という本を読んだのですけどね。仏教に興味がある人にとっては結構話題になっている本であ... -
仏教
仏教における”識”の意味 – 合理的知性と神秘的知性
【仏法は合理主義と神秘主義が両立している】 スピリチュアルと「頭の良さ」というと、一見、あまり関係のないことだと思われるかもしれません。 アニミズム的なイタコさんや、戦前・戦後の新宗教の教組は、頭が良いというわけではないのに、「神がかって... -
ビジネス/資産形成
イノベーションを自らに内包させ、永続的な成功を手に入れる!
【成功が失敗のもとになり、失敗が成功のもとになる】 「成功が失敗のもとになり、失敗が成功のもとになる」とはよく言われることではありますが、 これを「自分ごと」として自覚できているひとが少ないように思えます。 僕は、物販も含めていろいろとコン... -
仏教
共業、不共業とは? – 仏教に学ぶ天災・疫病の原因
【共業(ぐうごう)と不共業(ふぐうごう)の意味は?】 原因と結果の法則によって運命が作られてゆくこと。これを、仏教では”カルマ”あるいは”業(ごう)”と呼んでいます。 ちなみに、本来の、”カルマ”・”業”は「行い」というだけの意味だったのですが、... -
仏教
業・カルマの意味は、結局、習慣論に落ち着く
前回の記事で、「声聞は「広く真理知識を求めるという思い・行為が、心の癖・傾向性にまでなっている」ということになる」と述べました。 少し、分かりにくかったかもしれませんが、要するに、菩薩界の直前に阿羅漢(声聞、縁覚)という言わば、「菩薩(天... -
仏教
”苦楽中道 ”の意味を分かりやすく説明するー ミクロとマクロの悟りへ
今回は、釈尊が29歳で出家を決意してのち、成道(じょうどう=悟り)に至るきっかけになった「苦楽中道」について語ってみたいと思います。 この苦楽中道もそうですが、仏教において、スピリチュアルにおいて、”中道”を理解することは、修行論のみならず、... -
仏教
縁起の法とは何か – ダルマを「存在と時間」に分けて解釈してみる
「存在と時間」と言いますと、20世紀最大の哲学者と呼ばれているハイデガーの『存在と時間』を思い出しますよね。 今回は深入りしませんが、ハイデガーの『存在と時間』は非常に仏教思想に通じるところがあると思っております。 ハイデガーは同著で「存在... -
仏教
禅宗ー不立文字(ふりゅうもんじ)、知識学習軽視の問題点
前回の「禅宗ー無念無想の危険性」に引き続き、禅宗について論じてみます。今回は、不立文字(ふりゅうもんじ)についてです。不立文字とは、悟りは言葉で伝えられるものではなく、体験・経験によって得られるものである、といった意味ですね。禅の極意と...
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