「自利利他読書」のススメ
そもそも智慧がなければ菩薩界には入れない
以前、「ネオ教養主義のススメ」というトピックスでも読書論に触れていますので、よければ俯せてお読みください。
実在界(あの世)から見た人生の仕事量および霊格は、
仕事量(霊格)=智慧×慈悲
の公式で表すことができる、と申し上げています。
*参考記事:生まれてくる意味と目的って何だろう? –⑤菩薩界へ還るための公式
厳密に言うと、「智慧の質」と「慈悲の純粋性」がもっとも大事ですので、
(智慧の質×智慧の量)×(慈悲の質×慈悲の量)
という公式になります。
この公式で分かるように、基本的には、智慧がないと菩薩界には入れません。
「善いことを拡げるのが愛です!」と言っても、「そもそもそれ、本当に善いことなんですか?」ってことは世の中にいくらでもあるわけで、
なかには当然、「本人は善いと思っているけれど、実は世の中には害になるもの」もあります。
これは案外、多いケースで、蓋を開けてみれば(=実在界に還ってみたら)、「拡げた量に応じて深い地獄へ堕ちてしまった」という努力逆転の法則にハマることになります。
なので、前提としての善悪をまず峻別していく上で、「智慧」が大事になってきますし、さらに、善のなかでも、「ちょっとだけ善い」「けっこう善い」「すごく善い」…など、無限の階梯があるわけです。
この階梯がすなわち、智慧の質ということになるんですけどね。
智慧については先天的なものもありますが、これを言ってもどうしようもありませんので、やはり今回の人生の努力から始めるしかないです。
智慧の獲得については、「経験から学ぶ」などもちろん大事ですが、今回のテーマとしては読書論、ということですね。
ただ、私の読書量もたいしたこともないですし、上には上がいますので。あくまで、現時点(2019/08/15)での読書法、ということになります。
ところで、「どれだけの仕事量をしたら、菩薩界に還れるの?」
という論点については、正確な統計をとっているわけではないので、一概には言えませんが、やはり「最低でも数万人程度の人を魂レベルで救う」というのが菩薩界に入る条件になるかな、と思います。
もっとも…、
厳密な意味での菩薩界は、上記のことを数転生繰り返さないと入れないかな?と思うところもあります。
まあ会社でもそうですよね。
「第1四半期は営業成績良かったです!」で出世できるかと言うとそれは難しくて、上司から見ると、「1年(四半期を4回ということですね)は通してみないと、本当に実力になっているかどうか?分からない」ということろがあります。
そうすると、実際には、「数万人の魂を救う」を4輪廻やりのける、ということになりますので、けっこうハードルは高いですよね。
なので、とりあえず私がお勧めしている戦略は、「広義の菩薩界を目指す」ということです。
これは、「狭義の菩薩界」の前段階ということになりますが、まあしかし、十界論では「菩薩界」に含めてしまって良いのではないか?と思っています。
*参考記事:天台智顗(てんだいちぎ)の十界 ー スピリチュアルな出世の段階一覧
あとは、「同時代では測りきれない」というところもありまして、
実在界へ還ってみたら大したことなかったけど、「後世評価が上がって(あるいは再評価されて)、実在界でもぐんぐん出世していく」ということがあると思います。
むしろ、このパターンのほうが多いかもしれません。とくに思想家や芸術家はこのパターンの比率が高いと思います。
自利利他読書とは?
一般の読書の動機としては、
- 純粋な”楽しみ”のため
- 自己啓発のため
のだいたいこの2通りかと思います。
もちろん、これは読書の王道であり、また、出世のためとか特別な目的がなくても、「読書をするライフスタイルそのものを愛する」という知的生活ですね。
こうした知的生活、精神的なライフスタイルを良しとする心的傾向そのものが、優れた魂の証であるかと思います。
「知的生活」の喜びについて、私が最初に啓発を受けた本は文字通り、『知的生活の方法』(渡部昇一著)でした。この本はもう古典的名著ですので、一読をお勧めいたします。

しかし、この稿で私がお勧めしたいのは、さらにもう一段界高い「知的生活」です。
個人の精神的満足のための読書では、十界論でいうところの、「声聞界(しょうもんかい)」が限度になってきます。
参考記事:天台智顗(てんだいちぎ)の十界 ー スピリチュアルな出世の段階一覧
この上の菩薩界は「利他」の世界に入りますので、やはり「自己啓発のため」という動機だけでは菩薩界の読書にはなりません。
「自利利他の読書」というのは、「自分が学ぶと同時に、その学んだことをどのように他者や世の中に貢献できるように活かせるか?」という視点を持った読書姿勢です。
逆に言えば、本の読み方ひとつで、その人がどこの世界の住人であるか(あるいは、どこの世界を目指している住人であるか)が分かるということにもなります。
世の中には地獄文学というのもありますので(というか、けっこう多いです)、そういう本を楽しんでいる場合、本人が意図しているか意図していないかは別として、「自我我欲読書」に陥っていることになります。
アウトプットを前提に読む
自利利他読書は「自己啓発と同時に、他者や社会に貢献するために読む」ということですので、「読書の出口」としてのアウトプットが前提になるのは言うまでもありませんね。
もちろん、「まだブログを書くほどの知識量に達していない」というのもあるかもしれません。
ただ、「オリジナリティ」にはいまだ達していなくても、良書を読み込んでそのポイントを「読書ノート」として公開するという方法もあるでしょう。
これでも、「自利利他読書」の段階には一応入っていますし、のちのち、オリジナリティのある本格的なブログのための文章訓練にもなりますね。
*もちろん、ブログでなくても、仕事のなかで具体的に活かしていくという方向もあるでしょう。
今回は、「姿勢としての自利利他読書」について概略を書いてみました。
実際は、
外部に発表する内容が、「菩薩界的なレベルまで達しているか?」という視点ももちろん大事になってきます。
そのためには、
- 読書を起点としてどのように発想していくのか?
- なにか読み方のコツはあるのか?
というあたりも、本当の意味での自利利他読書のために必要になってくるでしょう。
次回以降に、この点、お話していきたいと思います。
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