なにゆえに仏教哲学を基本に据えているのか。
スピリチャルなんだから、開運とか恋愛運とか、
もっと親しみやすいのはないの?
という疑問があるかもしれませんね。
理由はいくつかあります。
- そういった開運や運勢を扱っている優秀な方がすでにたくさんいらっしゃるから
- スピリチュアルワールド(精神界)とマテリアルワールド(物質界)の関係性、
それぞれの存在意義をハッキリと説けているのが仏教しかないから。 - 人間は、天使(菩薩)や神々(如来)へ進化していくことができるという力強い人間観があり、
かつ、その修行方法まで示されているから - 世界の全体性、存在意義、時間と空間の秘密、など、
誰しも一度は疑問をもつ哲学的命題に、幅広い回答を用意しているのが、
仏教および仏教哲学(一部、西洋哲学も入る)だから
***
1については言うまでもないですが、実は1と2は関連しています。
というのも、物質界に生まれてくるのが、新しい経験やスキル、知恵を
身につけるためであること。つまりボードゲーム理論ですね。
このボードゲーム理論で言えば、僕にとっては”開運”とかはそれほど
興味の対象に入らないんです。
というのも、スピのちからを使って、まあ何て言うんでしょうね、
スピワールドから風がぴゅーっと吹いてきて、ボードゲームの駒が
一個進んだ!(=開運)とか、(おもちゃの)お金が降ってきた!
(金運アップ)という感じに見えるんですね。
でも。
それって修行になるの?
という素朴な疑問があって。
それなら、わざわざ物質界に生まれてくる必要もないんじゃないかって
思うんですよ。
だって、進んだ駒も、降ってきた(おもちゃの)お金も、しょせんは
ボードゲーム上のものであって、いずれ置いてかなきゃいけないし、
精神界の成功判定になんら、影響しませんので。
そういうわけで、精神界と物質界の関係性を知恵によって明らかにし、
物質界での成功がそのまま精神界での成功になるように、
持って行ってしまおう!というのが僕の考えなんです。
そういうわけで、サイトのトップページにも、
「真知。スピリチュアルワールドとマテリアルワールドの最適化」
というフレーズをオモテに出しているわけです。
***
3.
仏教哲学って、「諸行無常」とかあるので、
なんだか悲観的な哲学と捉えられやすいんですが、
これはハッキリ誤解なんですね。
諸行無常=一切の事象は変転・変化していくこと。
変化していくものに執われる、つまり不変であることを望むから、
さまざまな苦しみが現れてくる。
ゆえに、無常なるものに執われず、精神界の普遍的な価値を
思い出し、それを心の拠りどころとせよ、というのが
本来の釈迦仏教の教えです。
そして、精神的価値を軸にして、修行(というとカタいですが)、
要は、新しい知識・スキル・経験を取り入れて、その知恵を持って
愛の実践(利他業、布施の精神ともいう)に取り組めば、
平凡な人間であっても、やがては菩薩(天使)の世界に入っていく
ことができる。
最終的には、仏陀(地球の取締役って感じですかね)
にまでなることができる。
というのが、仏教の基本理論です。
すごーく力強い人間観だと思うんですよ。
人間の根本に仏性(ぶっしょう・仏陀と同じ性質)があり、
それを磨いていけば、限りなく進化していくことができる、
ということです。
*浄土宗など鎌倉仏教ではまた別の理論を展開しています。
キリスト教では、父と子と聖霊、それから天の国は提示されているけど、
天の国でなにをするのか?天使はひらひら飛んでいるのか?
人間は、ずーっと子羊のように草を食んで生きゆくのかなー、
と、そこらへんのスピリットとしての進化理論がハッキリと出てこないんですね。
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4.
これは話すとだいぶ長くなります。ひとつのトピックスを追いかけるだけで
数冊の本の分量になるかもしれません。
またいつか別途、トピックスを立ててみまっす。
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