天使の名前にエルがつく意味 – あなたも天使になれる

天使 エル 意味

天使というのが、あの世で羽を生やしてフワフワ飛んでいるだけではない。人間は心の修行によって天使へと進化していけるものであるということを何度かお話してまいりました。

実は、今の日本に生まれて、一定程度の知性・見解を持ち、青年から壮年として頑張って生きている、という人たちのなかに、けっこうな数で、天使(仏教的には、菩薩)になれる圏内に来ている人は多いのです。

一定の目覚め(菩提心)をきっかけに、天使(菩薩)の1−2段階手前くらいまでは、いける、という人たちがけっこうな数でいらっしゃるのですね。

そういうわけで、

私の使命としては、潜在的に優秀な方に、実在界の価値観に気づいて(というか、思い出して)いただき、さらに「救う側」である天使の境涯を目指すひとを増やしていく、というところにあると思っています。

目次

なぜ、天使に名前に”エル”がつくのか?

”エンジェル”というのは「神の使い」という意味で、日本語の”天使”というのも、「天の使い」と書きます。

これは文字通りで、天使とは「天(神仏)の意思のメッセンジャー」であり続けることができる存在、ということです。

自己実現のために生まれてきているわけではない。

「自分のための人生」というのも一般的には大事といえば大事ですが、でも少なくともそういう意識では天使の境涯には程遠いと言わざるを得ません。

自己実現を突き抜けて、マズローが言うところの「自己超越」まで行かなければ天使であるとは言えません。

*参考記事:マズローの欲求段階説〈自己超越〉に基づいてスピリチュアル業界を分析する

天使と言えば、ユダヤ教/キリスト教では、とくに七大天使を中心に、ミカエルとかガブリエル、ラファエル…というふうに、名前の最後に「エル」がつくパターンが多いですね。

「エル(el/イル)」はヘブライ語で「神」という意味です。一神教的な神、唯一神です。

*アラビア語では、「イラーフ」

*複数形で、「エロヒム」というときもありますが、これは神が複数いらっしゃるという意味ではなく、オリエント地方では神格(あるいは王権)を複数形で表す習慣があるのです。

その神のちからを何らかのかたちで担っているからこそ、天使の名前には「エル」がついているわけです。

七大天使で言えば、

  • ミカエル:神に似たもの
  • ラファエル:神の癒やし
  • ガブリエル:神の使者
  • ウリエル:神の光
  • アリエル:神の獅子
  • アズライール:神が助けるもの
  • カマエル:神を見るもの

となります。

これは先に申し上げた、天使=天の使い、ということと同じことで。神の光をなんらかのかたちで体現しているからこそ、「エル」がついているわけです。

繰り返しますが、それは自我に基づいた自己実現ではなく、神の意思のメッセンジャーに徹する無私なる自己超越です。

自己超越

ちなみに、若干、話の本筋から離れますが、「七大天使が誰であるか?」については、教会の立場によって違いがあります。

  • 三大天使:ミカエル、ラファエル、ガブリエル
  • 四大天使:上記に、ウリエルを加える

ここまでは共通のなのですが、残りの3人ですね、

『エノク書』では、ラグエル、ゼラキエル、レミエル。東方正教会では、セラフィエル、イェグディエル、バラキエル。

となっています。

それから、国名の”イスラエル”というのは「神と争ったもの」もしくは「神の勝利」を意味します。

  • イシャラー:勝つ者
  • エル:神

の複合名詞です。

イスラエルの祖と言われるヤコブが夢の中で神と格闘し、勝利を収めたという旧約の逸話が由来なのですね。

天使と格闘するヤコブ

格闘するヤコブ

*旧約聖書に出てくる”ヤハウエ”と”エル(エロヒム)”との違いについては下記の記事をご参照ください。参考記事:仏教とキリスト教の違いを総合するネオ仏法 – 超越/信仰と内在/覚知は両立する(妬む神と慈悲の仏)

有名な悪魔、ルシファーは、元は”ルシフェル”だったのですが、堕天使となったため、「エル」を剥奪されてしまったわけです。

天使といえば、ミカエルなどの七大天使が有名ですが、じつは「天使の階級」としては、七大天使は下から数えたほうが早いくらいの位置づけになっています。

トップの方は、熾天使(セラフィム)、智天使(ケルビム)…などが位置しているとされています。

興味のある方は、WIKIの「キリスト教の天使の階級」の項目などをチェックしてみてください。

まあ、中世に天使信仰が流行ったために、ずらずらと天使の名前がたくさんあるわけですが、セム的一神教(アブラハムの宗教)本来の”唯一神”信仰からは本筋から離れていきますね。

天使の階級というのも、実際は、人間が勝手に分類したもので、必ずしも実情を反映したものとは言えないと思います。

こうした趣味的な話よりも、「いかに自らが天使に近づいていくか?」を考えてみることをお勧めします。

メルマガではその方法論を明かしていますので、興味ある方はゲットしてみてください。

本当の成功論は天使(菩薩)になること

天使の手前のその一段階一段階がけっこう難しくて、特に(狭義の)天使に実際になる、というのは、かなり難しいものがあります。

ただ、何度か申し上げているように、この世、現象界が仮の世界であり、実在界が本当の世界であるならば、本当の成功論はあくまで、実在界の価値に基づいた成功でなければ意味がないわけです。

実在界の価値に基づいた成功とは、神仏と言われる存在にどれだけ近い世界に還れるか、ということになります。

そういう意味で、私が、「天使を目指してみませんか?」というのは、「羽生やしてみませんか?」っていうフワフワしたものではなく、ひとことで言えば、”本当の成功”をしてみませんか?」というお誘いなんですよ。

この世だけの成功は、ボードゲーム上のお遊びの成功みたいなものです。あるいは、RPGゲームをしているようなものです。

*参考記事:人生をゲームと考える(人生RPG化)スピリチュアル発想術

やがて過ぎ去っていくものばかりですからね。

ボードゲーム

ただし、天使であるためには、「神のメッセンジャー」的生き方(価値観・思い)が心の平均値に達している必要があります。

そこのところを鑑みると、天使(狭義)になるのがいかに難しいかわかるでしょう?

それは、私たちが実際に、今日一日だけでも、自分の心境をチェックしてみれば分かると思います。

「赤い羽根に募金しました」とかを狭義の菩薩行ということもありますが、このくらいでは到底天使になることはできません。

まあ、実績についてはまた難しいところがありまして。

とくに思想家や芸術家の場合は、生きているときは無名かそれほどではなかったけど、死後、評価され、さらに後世に影響を与え続ける、というケースがありますからね。

ただいずれにせよ、 「神の意思が自己展開しているかのような生き方ができる」

というのが基準になってきます。

そこに至るためには、自分中心の世界観ではなく、神(原則)中心の世界観へのコンバート(回心)が必須です。

本稿は「天使の名前にエルがつく意味」と題していますが、結局のところ、天使とは神(エル)の光を体現している存在ということであり、それはすなわち、「どれだけ神に近い存在になっているか」ということが目安になっているのですね。

天使(菩薩)の境涯では平等観が強くなる

また、天使の境涯では、仏教的に言えば、平等性智(びょうどうしょうち)という知性が強くなってきます。

平等性智というのは、あらゆる人々のなかに、仏性(仏と同じ性質)あるいは神性(神と同じ性質)を観てとれるということですね。

そういう意味での「平等観」が非常に強くなってきます。

平等観

自分が天使であるか、あるいどのくらい遠いのか、をチェックしたければ、いま関わっている人々に仏性を感じ取れているか、を考えてみれば、ある程度、予測がつくと思います。

なぜ、平等性智が強くなるか。

その理由としてひとつだけ挙げるとするならば、認識力が高まってくると、普通に関わる人々が幼児のように見えてくるわけです。

つまり、大人と幼児ほどの認識力の差があるゆえに、がっぷり四つで、諍い(いさかい)を起こす気になれないということですね。むしろ、慈しむ気持ちが中心になってきます。

もちろん、天使(菩薩)と言えども、肉体を持って地上に生まれることはハンデになりますので、いつもいつも100%、心が悪感情から離れているというのは難しいですが、少なくとも、リカバリーは早いです。

天使になるのを妨げる悪感情とは

心の三毒

悪感情の代表的なものを挙げると、これまた仏教的な観点ですが、

貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の心の三毒というものがあります。

勝間和代さんも著書の中で、「心の三毒を追放しよう!」と主張してらっしゃいますね。

  • 貪・・・貪り(むさぼり)の心。あれも欲しい、これも欲しい、
    人にこうして欲しい、という心
  • 瞋・・・怒りの心
  • 痴・・・愚痴という解釈もあるが、(伝統的には)愚かな心

この3つです。

六大煩悩

さらに、天使(菩薩)を目指すにあたっては、上記の心の三毒に加えて、あと3つ。合計6個の、六大煩悩というものがあります。

慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)

  • 慢・・・自惚れる心、自慢の心、人を見下す心
  • 疑・・・伝統的には仏法を疑う心、真理を疑う心ととってもいいでしょう
  • 悪見・・・伝統的には、縁起の理(原因・結果の法則)を信じないものの見方。肉体的自我中心のものの見方、極端なものの見方、など。

と、また今回も長くなりましたが、チェックポイントとして生かしつつ、天使(菩薩)を目指す人がひとりでも増えるのを願っています。

今まだ命があるということは、命があるかぎり、これからいくらでもリカバリーが可能ということです。

少なくとも、天使(菩薩)の準備段階の境涯へ、頑張れば(いまの日本に生まれて、一定レベルの知性がある方であれば)たどり着くことが可能であると思います。

繰り返しますが、「より神仏に近い境涯に還っていく」というのが本当の、本物の、唯一の、最勝の成功論です。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • >ミカ様
    こちらもコメントありがとうございます。
    いろいろ読んでくださって感激です^^

    「ネオ仏法サンガ」では動画も公開しておりますので、よろしければご検討くださいね。
    こちらこそよろしくお願いたします♪

  • 大切な教えをありがとうございます。高田さんのサイトに巡り会う事ができ、幸せです。
    教えを腑に落とし、自分を役立てられる様に邁進していきたいと思います。今後共よろしくお願い致します。

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