十界論 ー スピリチュアルな出世の段階 – ⑨天国篇 – 菩薩界

菩薩界(天使界)は目指すべき世界である

十界論 ー スピリチュアルな出世の段階 – ⑧天国篇 – 声聞界・縁覚界」の続きです。

今回はいよいよ、菩薩界です。

菩薩界。西欧的に「天使界」と言ってもよいでしょう。

今まで十界を順番にお話してきましたが、「基礎があって応用がある」という流れは一貫しているとお気づきの方もいらっしゃると思います。

すなわち、

  • 天界下段界:善人
  • 天界上段界:善人+優秀性
  • 声聞界:善人+優秀性+真理を愛する習慣性

といったふうに、上の世界は、必ず下の世界をクリアした上で成立している世界であることが分かります。

土台があって、柱が立って、家ができる…というふうに、必ず、基礎から応用へ進んでいくわけで、ここのところ、あまりにも常識的でかえって驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。

それはやはり、菩薩とか天使、というと、「何か非常に特殊な神秘的な存在である」という歴史的な(あるいは芸術的な)イメージ、思い込みから来ているのですね。

仏教では、「人間は決意と実践次第で誰でも菩薩になれる、さらに仏陀にもなれる」(そもそも、仏陀の悟りを目指すのが菩薩なのですが)という力強い思想があります。

一方、キリスト教では、父と子と聖霊は三位一体だとしても、私たち一般の人間はまるで関わりがないと申しますか、たとえば、「修行して聖霊になる」という修行論は認められていませんね。

父と子と聖霊の前では、人間は救われるべき子羊の群れです。

ここらへんは、実際のところ、キリスト教の教義の幅と深さが不十分であった、というところに起因しているわけですが。

しかし、実際は、原始キリスト教、つまりカトリックが成立する以前には、グノーシス主義、あるいはグノーシス的色彩をもった福音書も作られていました。

今回は深入りしませんが、現行の聖書からは「外伝」として除外された「トマスによる福音書」を読むと、「これはほとんど仏教思想ではないか」と思えるところがあります。

輪廻の思想はいまだ不十分ですが、

「グノーシス(知識・智慧)の獲得によって、人間は自らの神性を顕現していくことができる」という考えは、仏教の仏性論・修行論とほとんど同じ考え方です。

  • グノーシス=知識・認識の獲得=悟り
  • 神性=仏性

と読み替えてみれば、まったく同じことを言っているわけですね。

なので、残念ながら歴史的には異端とされてしまいましたが、オリジナルのキリスト・イエスの教えは現行の福音書に書かれているよりも、はるかに仏教にも通じる思想が展開されていたのです。

まあここを話し出すとまた別のトピックになりますので、この辺にしておきましょう。

コチラの記事で若干、詳しい考察をしておりますので、興味のある方は読んでみてください。
キリスト教グノーシス主義の考察

話を戻しますと、

要は、菩薩(天使)という存在は、私たちと永遠に隔たった異質な存在ではなく、輪廻を繰り返し、魂修行をした先にあるところの、私たちのひとつの大きな目標地点/メルクマールであるというこことです。

もっとも、大乗仏教では、「仏法を受け入れて利他行を決意すればもう菩薩」みたいな性急なところもありますけれど、これは、菩薩および菩薩界という世界をいかに定義するか?によっても解釈が変わってきます。

前回の「声聞界」の延長で菩薩界を考えてみるならば、上述した「基礎があって応用がある」というところですね、これを当てはめてみると、

  • 声聞界=善人+優秀性+真理への愛
  • 菩薩界=善人+優秀性+真理への愛+利他

というふうにまとめることができるかと思います。

「利他」はいわゆる「隣人愛」ももちろん含まれますし、むしろそれが基礎であるのですが、天界下段界の「善人としての隣人愛」とどう違うか?というところですね。

結局、人界→天界→声聞界と段階を上がっていくにつれて、広い意味での「社会性」が増してくるのです。

天界上段階では、「優秀性・影響力が問われてくる」と書きましたが、これは別の言葉で言えば、「社会性を帯びてくる」ということでもあります。

そうすると、天界下段階における「隣人愛」との違いが浮かび上がってきます。

すなわち、天界下段界の隣人愛が、「ふだん接する人」を基本の対象としているのに対して、菩薩界の利他というのは、(もちろん、隣人愛は基礎にしておりますが)もう少し対象的に拡がりがあるということになります。

つまり、菩薩界の利他というのは、自分と直接的・日常的なつながりがない人々に対しても、愛の実践をすることができる。むしろ、その拡がりを望んでいる、ということです。

これがいわゆる「社会性」ですね。あるいは「公共性」と言っても良いでしょう。

そうすると、菩薩界を仮に下段界・中段階・上段階と分けた場合、この違いは何処にあるのかと申しますと、上の世界に行くに従って、「利他の拡がり・影響力・社会性が増してくる」と定義することが可能かと思います。

さて、

私たち一人ひとりは「個別的な存在」であるわけですが、オリジンに遡って考えてみると、大宇宙の「真実在」とでもいうべき存在からエネルギー分化してきたわけです。

エネルギー分化して、それが地上に生命を持つと、そこで個性化が起きる。個性の獲得ですね。

そして、個性を獲得しながら、他の個性と切磋琢磨しながら、魂を磨き、自らをより大きなエネルギーになれるよう努力しています。

これは、鮭の遡行ではないですけれど、やはり、作られたもの、すなわち子として、親(真実在)の元に還っていきたい、という願いに通じるものがあります。

そうであるならば、むしろ、「菩薩になりたい」というのは、実はきわめて正常な欲求であり、いやむしろ、この欲求に気づくことこそが、真なる意味での「魂の目覚め」であると言えるでしょう。

菩薩界の生活・働き

菩薩界と言っても、広義の菩薩界と狭義の菩薩界にとりあえず分けて考えたほうがいいでしょう。

狭義の菩薩界については、「実力・菩薩」ということで、けっこう認定としては厳しいところがあるかもしれません。

仕事量としてはどのくらいが必要か?はいちがいに言えませんが、後世への影響も含めて、ひとりで数万人程度の人々に魂の肥やしになるような影響を与える実績と実力が必要かな、と思います。

思想家や芸術家の場合、同時代では認められず、後世にだんだんと評価が上がっていくケースが多いです(逆パターンもありますが)。

その場合は、たとえば死後、すぐ菩薩界に還るというより、手前くらいの世界で慣らしつつ、だんだんと元の世界に還っていくイメージだと思います。

まあこれは菩薩界に限らず、どの世界出身でもそういう傾向はあり、

地上に生きていたときの垢落としというか精算と言いますか、その期間が必要で、まっすぐに元いた世界に戻るというのは稀だと思います。

また、「もともとの霊格」というのはやはり影響してきますので、過去(過去世)での実績。グループソウル全体の実績・霊格で住むべき世界が決まる、という側面はやはりありますかね。

グループソウルというのは、自分と自分の過去世の魂たちの集合体です。

また会社のたとえで恐縮ですが、会社では1年を四半期といって4つの期間に分けますよね。

4−6月までの成績、7月-9月までの成績、10月-12月までの成績、1月-3月までの成績の通しで1年間の勤務評定が決まるように、

グループソウル全体の霊格も、過去世1、過去世2、過去世3…今回の自分、といったふうに、トータルで決まるというイメージです。

*もっとも、グループソウルのなかの個々の魂も個性は保存されていまして、各々が若干、霊格が違うケースが多いかな?とは思います。

なので、狭義の菩薩界というと、過去世の実績も含めて…というふうになりますので、誰もが今から目指せる世界というのは、広義の菩薩界ということになります。

広義の菩薩界は、(前回お話した)「声聞」の実力を持ちながら、実際に利他の実践に励んでいる段階です。

十界論の基礎理論に従って考えると、現象界と実在界の心境は一致していますので、地上生活でも霊界に還ってからも心境は一致しているはずです。

菩薩界へ還る要件は下記の通りでしたね。

  • 菩薩界=善人+優秀性+真理への愛+利他

なので、生活パターンもこの通りで、「真理の学びと利他の実践」を各々、具体化していくということが課題になっています。

真理の知識を持っていると、ネオ仏法のさまざまな記事で書いておりますように、人間は「アイデンティティのあるエネルギー存在」ということを知っていますので、実際は、霊界に還ってからは物質的な仕事をする必要がない、ということになりますよね(ご飯を食べる必要もありませんので)。

なので、たとえば、自分より霊格の高い先生について真理の学びを深めつつ(=声聞の修行)、利他行に励むということになります。

それはたとえば、

  1. 霊界に還ったばかりの魂たちへの導きの仕事(説法など)
  2. 自分よりも下位霊界に住んでいる人々の先生役としての仕事
  3. 自分の専門分野について、地上で同じような仕事をしている人へインスピレーションを与える仕事
  4. 浅い地獄界に居る人々を説得して、天国領域へ引き上げる仕事

などがあると思います。

*4については、深い地獄界まで降りて説得をするというのは難易度が高いので、菩薩界下段界クラスでは行われていないと思います。

もっとも、こうした「わざわざ地獄領域へ行って…」というのもひとつの専門的な仕事になってきますので、やはり個々人の専門領域がどこにあるか?で変わってくるはずです。

以上、ざっとした説明ですが、重要部分・本質部分は語ることができたのではないかと思います。今後、追加すべきことがあれば、また別の記事で書いていきます。

以下は、話が若干、哲学的になりますが、「マクロ視点での利他」を考えるときに、今後、重要な視点になってくるかと思いますので、興味ある方はぜひお読みください。

「知の弁証法」で仏教とキリスト教・イスラム教を融合する

前回の記事で、「天界の上段階は、非常に相対観が強くなる切磋琢磨の世界である」と書きました。

切磋琢磨の世界であるということは、別の言い方をすると、「差別観・差別知の世界である」ということです。

この場合の、「差別観・差別知」というのは、いわゆる「差別する」といったような悪い意味ではなく、「自分と他者の違いを意識する」といった意味です。

違いを意識するからこそ、そこに学びがある、という側面が出てくるのですね。

ところが、菩薩界に差し掛かるようになると、差別知による学びはもちろんあるのですが、それはそれとして、同時に「平等観・平等知」が強くなってくる傾向が出てくることになります。

このことは、以前、「平等知→差別知→平等性智への階梯」という記事で書いたことがありますので、参考になさってください。

この記事では、菩薩の智慧の段階を「平等性智(びょうどうしょうち)」という仏教用語で説明しています。

この平等性智の境涯は、「差別知による切磋琢磨・学びを大事にしながら、同時に、生きとし生けるものに仏性・神性の輝きを認めていくことができる智慧の段階」と定義することができると思います。

これはいわば、知の段階論で、

  1. 天界下段界:平等知
  2. 天界上段階:差別知
  3. 菩薩界:平等性智

という順番になっているということです。

ここでも、中道・弁証法的発展ですね。

 平等知(テーゼ)⇔ 差別知(アンチテーゼ)

から、

     平等性智(ジンテーゼ)
        ↑
平等知(テーゼ)⇔ 差別知(アンチテーゼ)

という「知の弁証法」を発見することができます。

これは、「理屈のための理屈」ではなくて、実際、きわめて重要な視点です。

つまり、

平等知→差別知→平等性智は、「智慧の深まり」すなわち、「悟りの向上」を示しているわけですが、これは同時に、愛が隣人愛から社会的な愛へと質・量ともに拡大していく姿をも表していることになります。

ゆえに、「知の弁証法」は「仏教的な悟り(智慧)の獲得と、キリスト教・イスラム教的な隣人愛」を弁証法的に総合する理論になりえる、ということも示しています。

*隣人愛と言うとキリスト教的な特権のようですが、イスラム教(イスラーム)においても、「慈悲あまねきアッラーのもと、ウンマ(イスラム共同体)のメンバー同士が慈しみ合う」というのが信仰生活のスタイルですので、この点、本質においては、キリスト教もイスラム教も同じです。

*イスラム教は、「イスラム共同体以外(つまり、異教徒)に対してはテロを行うなど、排他的ではないか?」との意見があるかもしれませんが、教義的・歴史的に見ても、キリスト教よりむしろイスラム教のほうが異教徒に対して寛容です。こうした論点については、別の記事で取り上げるつもりです。

続きです→→「十界論 ー スピリチュアルな出世の段階 – ⑩天国篇 – 仏界

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