布施とは「主体的に愛の実践をすること」
布施というと、「法要のときにお寺にいくら包んだらいいのか?」というイメージが多いですよね。
でも、本来の仏教用語での布施というのは、「利他行全般」を網羅しているもので、けっこう幅広い内容があります。
でもまあ、一言でまとめれば「主体的に愛の実践をすること」と理解しても良いと思います。
キリスト教的には、アガペー(カリタス)に相当するかもしれません。
大乗仏教では、「菩薩になるための方法論」として六波羅蜜(ろくはらみつ)という修行法を前面に打ち出しています。
今回は六波羅蜜の詳しい説明は省きますが、
この六波羅蜜の行のいちばん最初に挙げられているのが、布施波羅蜜(ふせはらみつ)です。
なので、「菩薩への道は、布施すなわち主体的な愛の実践から始める」と言うこともできますよね。
布施の種類
では、布施には具体的にどのような種類があるのか。
まずは一番シンプルなもので三施という思想があります。
三施
- 財施(ざいせ)・・・財物・衣類・食物を寄進すること
- 法施(ほうせ)・・・仏陀の教えを伝えること
- 無畏施(むいせ)・・・人々の恐れを取り除いてあげること
この3種類ですね。
分かりやすいので説明は不要かと思います。
釈尊の時代は出家修行者は乞食(こつじき)をして生活しておりましたので、出家修行者は在家信者から食べ物の提供、つまり財施を受けておりました。
反面、出家修行者は、在家信者に対して「布施行を実践する機会を与えている」という意味で法施の実践をしていたわけです。
この点も三輪清浄(三輪空寂)の記事で解説いたしました。
無財の七施
三施以外の考え方として、財物がなくてもできる布施行として「無財の七施」という考え方があります。これも実践的に、よくまとまっています。
- 眼施(げんせ)・・・やさしい眼差しで人に接する
- 和顔施(わげんせ)・・・笑顔で人に接する
- 言辞施(ごんじせ)・・・柔らかい言葉遣いで人に接する
- 身施(しんせ)・・・身体を使ってできることで人に接する
- 心施(しんせ)・・・柔らかな心で人に接する
- 床座施(しょうざせ)・・・座る場所を譲る
- 房舍施(ぼうじゃせ)・・・泊まる場所を提供すること
というわけで、またぞろぞろと漢字が出そろってきましたが(笑)、
要は、布施というのは、「他人のため、社会のため、神仏のために自分ができうる善をなしていくこと」ということになりますね。
最高の布施は「真理を伝えること」
次に、真理スピリチュアル的観点から、最高の価値ある布施はなにか?ということを考えてみます。
布施とは「主体的に愛の実践をすること」と冒頭に述べましたが、最大の愛の供給者は他ならぬ神仏です。
そして、神仏に近づいてゆくのが本当の意味での出世であり成功である、とネオ仏法では繰り返し述べておりますね。
布施をするのはそれが善いことだからする、というのはいわば「道徳」の範疇ですが、真理スピリチュアル的に観察すると、布施という行為をしたまさにその瞬間にあなたが神仏に近づいている事実があります。
神仏に近づくということは霊格が上がるということでありますので、実際のところ、「布施とは最高の成功理論でもある」とも言えることになります。
そして、数ある布施の中でも最高に価値ある布施はなにか?と考えてみるに、これはやはり法施なのです。
ここを常に意識しておくと、あなたの霊格を飛躍的に高めることができます。
法施とは、仏陀の教えを伝えること、もっと広く言えば、真理を伝えること、ということになります。
現代日本では宗教は何やら怪しい…ということで、宗教家は隅っこにいるようなイメージですが、実在界では真逆でありまして、
菩薩(天使)の霊格を持つ魂の相当数が宗教家です。
宗教家に準ずる位置にあるのが、思想家・哲学者です。
人間の本質は、魂/こころでありますので、魂/こころを善導する仕事がもっとも価値が高い、とみなされるのは当然のことですよね。
そして、そうした仕事をしている人たちががまさしく宗教家であり、思想家でありますので、やはり、菩薩界での人口比率も高くなる傾向があります。
ゆえに、法施は最高に価値ある布施ということになるんです。
*仏教学では、三施のなかでは無畏施が最高と解説されていますが
多くの方は、職業として宗教家や思想家になるというわけにはいかないと思いますが、
ふだんの生活や仕事の中で、できうる限り、真理価値の高い言葉・行為で人様に接していくこと、布施の真理含有率/含有量を増やしていくこと、これが実在の目からみた本当の成功理論(=霊格向上の最大化)になっていく
ということを心に留めておくといいですね。