「智慧の獲得と慈悲の実践を重視するのが真理スピリチュアルです」と語っておきながら、慈悲=愛についての記事が若干少ないかな、ということで書いてみますね。
愛とは、「主体的に与える愛」
まず、ここが基本中の基本です。
かんたんに言えば、
愛は、貰うもの/奪うものではなくて、与えるものであるということ、すなわち、「主体的愛」であるということです。
「愛」という言葉が使われるとき、一般的には、「彼(彼女)に愛される」というふうに、「貰うほう」に力点が置かれることが多いですよね。
さきの「主体的愛」に対して、これは「依存的愛」と言っても良いでしょう。
他者に愛されているかどうか?で自らの価値や幸福感を測るのは、やはり依存です。
そして、「他者」の思いというものは、自分のコントロールの及ばないところにありますので、そこに依存している限り、非常に不安定な幸福感に陥ることになります。
呪術スピリチュアル系で「愛」というときも、「◯◯の御札・ペンダント…を持っていたら、恋愛が成就しました!」との体験談・宣伝が多いですが、これも「主体的な愛」ではなくて「依存的な愛」ということですね。
参考記事:「魔法・仙人・天狗系スピリットの特徴と付き合い方」
それから、恋愛やパートナーシップ以外では、自己実現において、過分に「評価されたい」という思いも「依存的愛」の典型です。
あるいは、
「主体的愛」を実践しているつもりでも、見返りを求めてしまったら、「依存的愛」への転化ということになります
なぜ、「主体的愛」が重要なのか?
これは結局、
なにゆえに、人間や万象万物が永遠とも思える輪廻転生を繰り返しているか、という「そもそも論」に関わってきます。
輪廻転生の目的は、一言でいえば、「神や天使と呼ばれる存在へ近づいていくこと、自らも天使へと進化していくこと」ということになります。
それでは、神や天使の特徴とはなんでしょうか?
それは、与えきりの存在であるということです。
古来より、太陽崇拝・太陽神への崇拝がどこの地域でもありますが、これは太陽というものが、神の象徴でもあると人々が感じ取っているからなんですね。
つまり、神とはなにか?ということを、難しい言葉ではなく、直感的に理解しようと思えば、太陽の有り様に学べば良いわけです。
太陽は、まさしく、与えきりですよね。善人にも悪人にも等しく与え続ける。見返りを求めずに与え続ける存在です。
ということは、私たちの進化の先にあるものは、太陽のような「与えきりの存在になる」ということなんです。
そして、愛を与える量が多い者は、すなわち、神に似ている者、ということになります。これが天使という存在なんです。
つまり、あなたが誰かに愛を与えた瞬間に、あなたは神に似たことになります。そして、神に一歩、近づいているわけです。
神に近づいた=霊的に進化した、ということは、イコール、成功である。報われているということになるんですね。
つまり、愛を与えることによって見返りがあるかないか、という問題ではなく、与えたその瞬間に「神に近づいた」=魂として進化したということで、もう見返りは来ているというわけです。
「情けは人のためならず」と言います。
これは、「与えた愛はめぐりめぐって自分に還ってくるものだ」と解釈する向きもありますが、この解釈はまだまだ心理スピリチュアル的には掘り下げが足りないように思えます。
つまり、「情け」=「愛」は与えた瞬間に、自らが神に似る=霊格が上がる、というご褒美(?)が与えらていることになり、「愛は与えたまさにその瞬間に報われている」というのが真理スピリチュアル的な真実です。
天使の境涯は、「愛を与えることが幸せだからそうしている」という、いわば、”与える愛のデフォルト状態”になっています。
ただ、
私たち天使以前の段階にいるものにとっては、まずは、
「愛を主体的に他者へ与えた瞬間に神に似ることになる。それはすなわち、霊的な進化を遂げているということなんだな」
と知識として知っておくことが大事です。
地上に肉体をもって生まれていると、どうしても自分自身の肉体感覚に左右されがちでありますので、どうしても、貰うほうの愛=「依存的愛」に転化しやすいんですね。
しかし、天国的な愛は自ら積極的に他者へ与える「主体的愛」、ということを知識として押さえておくだけでも、「依存的愛」に陥らないためのブレーキになります。
智慧を与えるのが菩薩(天使)の愛
愛を主体的にどれだけ与えるか?という量の問題、それから、どういった愛であるかという質の問題もありますね。
人間の本質が魂(実存エネルギー)であるならば、物を与えるよりも、魂を癒やす・向上を促すように愛を与えることが、より上位の愛であることはお分かりいただけるかと思います。
参考記事:人生の意味とミッションって何だろう? – ①人間の本質は「実存エネルギー」
すなわち、
神仏の真理を伝えること、言い換えれば、智慧を与えるのが最高の愛。天使の愛
ということになります。
イエス答えて言い給ふ 『すべて此の水をのむ者は、また渇かん。然れど我があたふる水を飲む者は、永遠(とこしへ)に渇くことなし。わが與ふる水は彼の中にて泉となり、永遠の生命の水湧きいづべし』(ヨハネ伝)
……すみません。文語訳が好きなもので。
というか、文語訳聖書のほうが30%以上言霊のちからが強いので、慣れたら文語訳をお読みになることをお勧めいたします。
口語訳:「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

今回のトピックをまとめますと、
- 「主体的愛」が本当の愛。天使の愛
- なぜなら、神は愛そのものであり、与えきりの存在。そして、神に似ることが本当の人間の向上だから
- 愛にも段階があり、智慧を与えるのが天使の愛
ということになります。