ふしぎでないキリスト教- ④最後の審判は本当に”最後”なのか?

相対的終末と実存的終末

ふしぎでないキリスト教シリーズの4話目です。

ふしぎでないキリスト教- ①イエス復活の真相を解き明かす
ふしぎでないキリスト教- ②「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の真意を解き明かす
ふしぎでないキリスト教- ③地獄で「永遠の業火に焼かれる」のは本当か?

「最後の審判」については、前回もちょっと触れましたが、キリスト教において「来世」に関わるときにたいていはセットで語られています。

なので、最後の審判を理解できていないと、来世観もハッキリしないままになってしまいますね。

新約聖書では、「ヨハネの黙示録」で、最後の審判はどのように起きるか?が詳しく(?)書かれているのですが、イメージと象徴だらけで、読んでも「結局、いつ、どのようになるのか?」ということがはっきりと分からないようになっています。

この「ヨハネの黙示録」については、また別途詳しく語る機会もあるかと思いますが、今回は、「そもそも、最後の審判とは何であるか?」ということがおおまかに理解できるように書いていきたいと思います。

「ヨハネの黙示録」を読んでいくと、先も述べましたが、イメージと象徴がやたらと豊富で、たとえば、

第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若いお雄牛のようで、(中略)それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。(ヨハネの黙示録4:7-8)

といった塩梅で、これらが一体何を意味しているのか?

解読の面白さはあるものの、正確なところはやはりよく分からない、といったふうになっていると思います。

それから、「最後の審判はいつ来るのか?」ということについては、

この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、(後略)
(ヨハネの黙示録1:1)

といきなり冒頭に書かれていますが、「すぐ」といっても、どのくらいすぐなのか?少なくとも21世紀に入ってもまだ来ていないのでは?ということで、時期もよくわからなくなっています。

なので、世紀末的現象が地上に現れるたびに、- これは暦的に”世紀末”とは限りませんが – 「いよいよ、”終わりの時”がきた」といった議論がでてくるようになります。

あまり話を引っ張るのは趣味ではありませんので、いきなり結論から述べます。

最後の審判は、「絶対的にこの世の終わりが来て、神の国が実現する」という意味での「最後」と受け取る必要はないと思っています。

実際、ヨハネの黙示録については、これは、「ユダヤ戦争の敗北〜ローマ帝国の支配の終焉」ですね、このあたりをターゲットに語られていると受け取って良いと思います。

たとえば、「忌まわしい生き物が地上にもたらされ〜最初の四つの封印からは、馬に乗った四人の騎士が〜」という記述もありますが、

これはなぜ「4」という数字かというと、ローマ帝国の皇帝の乗る馬車が四頭立てだったから、という象徴的な解釈ですね。

それから、ヨハネ黙示録には、「大淫婦が裁かれる」ということが第一七章からでてきますが、

あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。(ヨハネの黙示録17:18)

ここのところですね、これはやはり、ローマの都の擬人化ととらえて間違いないでしょう。

じつは旧約聖書のなかにも、いくつか、黙示録的な記述が見られるのですけどね、これらを「黙示文学」と言います。

『イザヤ書』『ダニエル書』『エゼキエル書』にも黙示録的な記述があり、それらに描かれているイメージは、「獣」とか「角」とか…ヨハネの黙示録と共通するものがかなりあります。

しかし、イザヤ、ダニエル、エゼキエルが対象としているのは、ローマではなく、アッシリアであったり、バビロニアですね。

要は、ユダヤ・キリスト教の流れの中で、その時々に支配者であった「帝国」に対する敵愾心と言いますか、あとは、そうした支配のなかで、一人ひとりが「神の前で義とせられるか」が問題になっているわけです。

そういうふうに考えると、最後の審判とは、絶対的にこの世の終りが来る、ということではなく、

  1. その時々の支配者(帝国)に対する審判
  2. その渦中に生きる個人個人の生き様が神の義にかなっているか?という審判

が実際のところテーマになっている、ということになるかと思います。

整理してみますと、

  1. については、ひとつの帝国支配の終焉ということで、まあエポックメイキングなことですね、ある「時代の区切り」としての終末を問題にしている。絶対的な終末ではなくて、いわば、「相対的終末」を問題にしているわけです。
  2. については、これはもっと根源的なところですが、結局、「終末」といっても、ひとりひとりの関心事は、煎じ詰めれば、「自分の人生はどうなってしまうのか?」というきわめて個人的・実存的な終わりが関心事、すなわち「実存的終末」が問題になっています。

そして、私たちひとりひとりにとっても、この2つの終末および「審判」ですね。

  1. 相対的終末:自らが生きている時代・民族がいかなるエポックメイキングを迎えようとしているか?という集団的な最後の審判
  2. 実存的終末:自分個人として、今回の人生を生きるに当たり、どれだけ神の義にかなっていたのか?という個人的な最後の審判

ということ。

これは、仏教のところで、「共業と不共業」というトピックで語ったこととほぼまったく同じことを言っているわけです。

*参考記事:天変地異のスピリチュアル的原理 ー 共業と不共業を理解する

興味がお有りの方はそちらの記事も併読してみてください。

2の「実存的終末」ということでは、これは要するに、肉体の死後、まあ三途の川を渡ってですね(国や地域によってビジョンが違いますが)、一生を振り返って、実在界のなかのどの世界に赴くか?ということが決定されるわけです。

この、「三途の川〜閻魔大王の(?)お裁き」について勉強してみたい方は、次の記事を参考にしてみてください。

*参考記事:十界論 ー スピリチュアルな出世の段階 – ⑥天国篇 – 人界

まずは、この2の「実存的終末」を意識して生き抜いていくこと、これは言い換えれば、「神の目、真理スピリチュアルの観点から、自分の人生はどうであったのか?これからどうあるべきか?を振り返っていく、ということであり、仏教的に言えば、「自利」に相当します

また、1.の「相対的終末」については、「自らが今、地上に生きていて、その時代や共同体(家庭、社会、国家、文明)に対していかなる貢献ができるのか?という、こちらは仏教的には、「利他」に相当することになります

この「自利利他」の思想は、キリスト教的に表現すると、

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である、第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:36-40)

ここに該当することになります。

すなわち、以下の図式が成立します。

  • 相対的終末=利他=隣人愛
  • 実存的終末=自利=神への愛

このように考えれば、黙示思想というものが、単なる恐怖や趣味的な議論に終始せず、まさに自分自身の霊格向上の原理と”実存的に”合致してくることになります。

そして、キリスト教的世界観と仏教的世界観の橋渡しをすることができます。

「神の国」と「地の国」

さて、『ヨハネの黙示録』に戻って、結局、最後の審判はどうなったか?ということを考えてみますと、

世俗権力であるローマ帝国は、結局、のちにキリスト教を公認、さらには国教にせざるを得なくなりました。

そして、西ローマ帝国滅亡後も、カトリック教会は延命し、のちに「西ローマ帝国の再興」として、フランク王国のカール大帝が戴冠しましたね。

これはローマ教皇の権威に基づいての戴冠でありますし、中世を通じて、のちの神聖ローマ帝国においても事情は同じです。

「教皇は太陽、皇帝は月」(インノケンティウス3世)と言われたように、世俗権力に対する宗教権力の優位が続きます。

ここのところは見方はいろいろありますが、

とりあえずは、罪人として十字架刑に処せられたイエスの蒔いた種が、結局は、ローマ帝国を飲み込み、「神の国」の礎が築かれた、という意味でははっきりと「キリストの勝利」と言えるでしょう。

この、「神の国」思想はアウグスティヌスに依っていますが、彼の考え方も、黙示思想をそのまま受け取るのではなく、解釈学として捉えるべきである、という考え方ですね。

また、

「神の国」が地上において絶対的・排他的に実現するということではなく、あくまで、「地の国」と争いつつ実現していく過程、というダイナミクスにおいて捉えていること。

これは、個人の内面においてもそうです。

一人ひとりの心のなかに「神の国」と「地の国」があって、相争いつつ、次第に「神の国」が実現していく

悪を知ることによって、善とはなにか?神の義とはなにか?を知っていく、ということですね。

これは、私たち人間が、なにゆえに地上に生まれてくるか?という目的論にも合致していきます

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