最後の審判はいつ、どこで、どのように起きるのか?

最後の審判

黙示文学はなにを象徴しているのか?

「最後の審判」といえば、まずは、『ヨハネの黙示録』を思い浮かべる方が多いでしょう。

ところが、『ヨハネの黙示録』を読み進めても、イメージと寓意だらけで、具体的に「いつ、どこで、なにが起きるのか?」についてはハッキリと分からないように書かれています。

たとえば、

第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、(中略)それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。(ヨハネの黙示録4:7-8)

こういう書き方ですね。

「生き物」「獅子」「雄牛」がなにかを象徴しているのでしょうが、具体的にそれが何なのか?解読の面白さはあるかもしれませんが、具体的な情報はなかなか読み取れないように(あえて)書かれています。

それから、「最後の審判はいつ来るのか?」ということについては

この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、(後略)
(ヨハネの黙示録1:1)

と、いきなり冒頭に書かれていますが、”すぐ”といっても、どのくらい”すぐ”なのか?

「神の目から見れば1万年でも”すぐ”ですよ」と言われても、なかなか複雑な心境になってしまいますよね。

ただ、あえて寓意を読み解いていくとするならば、これらの記述は、ローマ帝国支配の終焉を意味している、というのが一般的な解釈でしょう。

ローマ帝国

たとえば、「忌まわしい生き物が地上にもたらされ〜最初の四つの封印からは、馬に乗った四人の騎士が〜」という記述もありますが、

これらはなぜ”4”という数字かというと、ローマ帝国の皇帝の乗る馬車が四頭立てだったから、という解釈がなされております。

それから、「大淫婦が裁かれる」という話が第一七章からでてきます。

あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。(ヨハネの黙示録17:18)

ここのところですね、この”女”はやはり、ローマの都の擬人化ととらえてほぼ間違いないでしょう。

じつは旧約聖書のなかにも、いくつか、黙示録的な記述が散見されまして、これらは「黙示文学」と言われております。

たとえば、『イザヤ書』『ダニエル書』『エゼキエル書』にも黙示録的な記述があり、それらに描かれているイメージは、「獣」とか「角」とか…ヨハネの黙示録と共通するものがかなりあります。

イザヤ、ダニエル、エゼキエルが対象としているのは、アッシリアであったり、バビロニアであったり、で時代背景が異なっているだけです。

つまり、黙示文学というのは、ユダヤ・キリスト教の流れの中で、その時々に支配者であった帝国に対する「終わりの警告」が問題になっている、ということがひとつ指摘できるでしょう。

もう一つは、そうした支配のなかで生きている一人ひとりが「神の前で義とせられるか」が問題になっている、と言えるかと思います。

このように考えていくと、最後の審判とは、実際に(絶対的に)この世の終りが来る、というよりも、

  1. その時々の支配者(帝国)に対する審判
  2. その渦中に生きる個人個人の生き様が神の義にかなっているか?という意味での審判

が実際のところテーマになっている、ことが分かります。

相対的終末と実存的終末

上記のように解釈していくと、結局、最後の審判は、「実際にこの世の終わりが来て、神の国が実現する」という意味での”最後”と受け取る必要はない、と言ってもよろしいかと思います。

では、どのように考えるか?と言いますと、

  1. については、ひとつの帝国支配の終焉ということで、まあエポックメイキングなことですね、ある「時代の区切り」としての終末を問題にしている。

    つまり、絶対的な終末ではなくて、いわば、「相対的終末」が問題になっているということが分かります。

  2. については、結局、「終末」といっても、ひとりひとりの関心事は、煎じ詰めれば、「自分の人生はどうなってしまうのか?」ということですよね。

    つまり、個人的・実存的な終末が関心事になっているということで、いわば、「実存的終末」が問題になっています。

では、これを踏まえて、「最後の審判」を整理してみましょう。

  1. 相対的終末:自らが生きている時代・国家ががいかなるエポックメイキングを迎えようとしているか?という「社会的な最後の審判」
  2. 実存的終末:自分自身が今回の人生において、どれだけ神の義にかなっていたのか?という「個人的な最後の審判」

と、このようになるかと思います。

最後の審判

じつは、この”終末”のところを”カルマ”と言い換えると、仏教で言うところの”共業(ぐうごう)”と”不共業(ふぐうごう)”とまったく同じ論点になるのですけどね。

興味がお有りの方は下記の記事も併読してみてください。

 *参考記事:共業とは? – 仏教に学ぶ天災・疫病の原因

”最後の審判”を幸福論に転換する

さて、上記の通り、「相対的終末」「実存的終末」というふうに分けて考察してみても、やはり、「怖いな」という感覚は払拭できないですよね。

これはなぜかと言うに、最後の審判というものを、「外部から自分に襲いかかってくる災難」として捉えているからです。

そうではなく、最後の審判も、幸福論の基礎であるところの「主体性の原理」から捉え直してみることをお勧めいたします。

たとえば、2.の「実存的終末」です。

これは言い換えれば、「神の目、真理スピリチュアルの観点から、自分の人生はどうであったのか?これからどうあるべきか?」を振り返っていく、ということになるかと思います。

このように自らを振り返りつつ、未来設計を行っていくことは、すなわち、「智慧の獲得」につながっていきます。これは、仏教的に言えば、「自利」に相当すると言えると思います。

また、1.の「相対的終末」については、

「自らが今、地上に生きていて、その時代や共同体(家庭、社会、国家、文明)に対していかなる貢献ができるのか?」という観点で対処していくことです。

こうした貢献の行為は、いわば「慈悲の発揮」であり、仏教的に言えば、「利他」に相当するでしょう。

このように、最後の審判あるいは終末論についても、受け身になって震えているのではなく、主体性を軸にしていくことで幸福論へと転換していくことが可能になってきます

幸福論

仏教の方へ話が行ってしまったので、もう一度、キリスト教的な文脈で再解釈してみましょう。

「自利利他」の思想は、キリスト教的に表現すると、

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である、第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:36-40)

ここに該当すると思われます。

そうしますと、以下の図式が成立します。

  • 相対的終末⇢利他=隣人愛
  • 実存的終末⇢自利=神への愛

このように考えれば、黙示思想というものが、単なる恐怖や趣味的な議論に終始せず、まさに自らの霊格向上および社会のユートピア化の原理と合致してくることになります。

また、このように「最後の審判」を捉え直すことにより、キリスト教的世界観と仏教的世界観の橋渡しをすることができます。

「神の国」と「地の国」

さて、『ヨハネの黙示録』に戻って、結局、最後の審判はどうなったか?ということを考えてみますと、世俗権力であるローマ帝国は、結局、のちにキリスト教を公認、さらには国教にせざるを得なくなりました。

そして、西ローマ帝国滅亡後も、カトリック教会は延命し、のちに「西ローマ帝国の再興」として、フランク王国のカール大帝が戴冠しましたね。

これはローマ教皇の権威に基づいての戴冠でありますし、中世を通じて、のちの神聖ローマ帝国においても事情は同じです。

「教皇は太陽、皇帝は月」(インノケンティウス3世)と言われたように、世俗権力に対する宗教権力の優位が続きます。

ここのところは見方はいろいろありますが、

とりあえずは、罪人として十字架刑に処せられたイエスの蒔いた種が、結局は、ローマ帝国を飲み込み、「神の国」の礎が築かれた、という意味でははっきりと「キリストの勝利」と言えるでしょう。

この、「神の国」思想はアウグスティヌスに依っていますが、彼の考え方も、黙示思想をそのまま受け取るのではなく、解釈学として捉えるべきである、という考え方ですね。

 *参考書籍:『神の国』(アウグスティヌス著)

神の国

社会的(マクロ視点)には、

「神の国」が地上において絶対的・排他的に実現するということではなく、あくまで、「地の国」と争いつつ実現していく過程、というダイナミクスにおいて捉えていること。

これは、個人の内面(ミクロ視点)においては、

一人ひとりの心のなかに「神の国」と「地の国」があって、相争いつつ、次第に「神の国」が実現していく悪を知ることによって、善とはなにか?神の義とはなにか?を知っていく、ということですね。

これは、私たち人間が、なにゆえに地上に生まれてくるか?という「人生の意味とミッション」にも合致すると言えるでしょう。

 *参考記事:人生の意味とミッションとは?シリーズ

以上、「最後の審判」について、ネオ仏法的に再解釈してみました。

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