この世(現象界)で生きていくのはやっぱり大変
ネオ仏法では、「智慧を獲得し、智慧を与えることが愛であり、理想世界づくりに貢献していくこと。それがこの地上世界に生まれてくる目的とミッションです」と、くり返し申し上げていますが。
日常生活を営んでいく上で、「苦しみを智慧に変える」というのが、いつもいつもスムースに行えるとは限りませんね。
釈尊は、まず冷静に、「この世は苦しみである」という認識から出発しています。
いわゆる、苦諦(くたい)です。
「諦」は「あきらめる」とも読みますが、あきらめるはすなわち、「明らめる」ということでもあるわけです。
何を明らめるかというと、8つの苦しみはやむを得ないものである、ということですね。
8つの苦しみとは、俗に、四苦八苦ともいいますが、すなわち、
- 四苦:生(しょう)、老(ろう)、病(びょう)、死(し)、
- 八苦:(上記の4つに加えて、)愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)
となります。
それぞれをちょっと詳しく見ていきましょう。
生
自由性の高い実在界(あの世)から、不自由な現象界(地上)へわざわざ生まれてくる苦しみ
*「生」を「生きる苦しみ」と解説している仏教書もありますが、本来は、「生まれてくる苦しみ」のことを指します。
老
いつまでも若くて美しく、元気ではいられない。だんだんと老いていく苦しみ
病
いつも健康であるとは限らない。あるときは、病を得るという苦しみ
死(し)
人間の致死率は100%。いつかは必ず死ぬ。また、それを予見する苦しみ
愛別離苦(あいべつりく)
好きな人・愛する人と別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく)
嫌な人、キライな人と顔を合わせる苦しみ
求不得苦(ぐふとくく)
求めても得られない苦しみ、自己実現がなかなか叶わない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
肉体と肉体に基づく欲求が突き上げてくる苦しみ
*「要するに、五蘊(色受想行識)が苦しみの元なのだ」という解釈もありますが、今回は採用しません
こうした8つの苦しみがあります。
こうして並べてみると、「そういえばそうだ、認めざるを得ないな」というのが、ごく普通の感覚ではないでしょうか?
肉体的自我に基づいた人生観(唯物論)では、四苦八苦はどうしたって「苦しみは避けられない」からは発展の余地はなく、
- ニヒリズムに行くか
- 開き直って、欲望のままに行くか
- なんとなく、生きていくか
どれかを選ぶしかなくなってしまいます。
ところが、真理スピリチュアル的人生観を選ぶと、
- 実在界(あの世)にいると波動が同じような人と一緒にいて、楽ではあるけども、刺激が少ない
- ゆえに、たまーに地上に生まれてきて、新たな経験を獲得する(肉体を持つと、波動の違う人とも会えるから)
- そして、今回の人生で得た経験を「おみやげ」として、あの世に持っていく
- できうる限り、この地上も理想世界に近づけるように貢献していく。その「智慧✕愛の面積」が仕事量として評価され、自らの霊格を上げていくことができる喜び
という道筋を選ぶことができます。
そして、仏教的には、
上記の四苦八苦を一転して、「叡智に変えてしまおう!」というのが、四諦(したい)でした。
四諦は四聖諦(ししょうたい)とも言いますが、苦・集・滅・道(く・じゅうorしゅう・めつ・どう)の4つです。
「苦」は上述した四苦八苦のことです。
残りの3つもチェックしていきましょう。
集諦(じったい)
苦しみには原因がある。自我に基づく人生観、すなわち、執着が苦しみを引き起こしている。
滅諦(めったい)
真理スピリチュアル的人生観から眺めると、苦しみには深い意味があることが分かる。
また、現象界(この世)がひとときの仮の世界であり、人は本来、霊的な存在であることを知ることによって、安らぎの境地へ入ることができる(=涅槃)。苦しみを滅して、智慧に転化することができる。
道諦(どうたい)
八正道(はっしょうどう)の点検によって、具体的に、苦を智慧に変えて、真理に基づいた幸福感を掴みましょう。
智慧に変えるコツは、すべてを中道・縁起の理法すなわち、「原因・結果の法則」で眺めること。
八正道が完成すると、すなわち最後の、正定(しょうじょう)の段階で、この世に生きながら(肉体を持ちながら)にして、霊的な自由自在の境地になる。
これが本当の解脱(げだつ)→涅槃(ねはん)の意味である。
参考記事:「四諦八正道を実践する本当の意味とは」
…というふうに、四諦八正道の振り返りになりましたが、
つまり、そもそも、地上に生まれてくることはどうしたって「大変なこと」なんです。キツイんですよね。
肉体を持っているということは、ぬいぐるみをかぶったまま生活しているようなものですし、
また、特に現代の地上世界は、まれにみるくらいに地獄界に近づいている面があります。
はっきり申し上げると、
浅い地獄界や、地上世界を徘徊している地縛霊・浮遊霊を含めれば、現代人の50%以上は天国領域へストレートには還れていません。
ただでさえキツイのに、輪をかけてキツイわけですよ。
これは大きくは、肉体的人生観。マクロ的には、唯物論の蔓延(まんえん)が根本原因です。
神の世界計画
西洋の中世では、カトリック教会の権威で地上に普遍真理が広まったメリットはありましたが、一方、<個>が抑圧されて、停滞を生んだ側面があった。
なので、
- 「人間復興」すなわちルネッサンス
→ - 自然科学を発展させる
→ - 政治と宗教も分離させる
というふうに舵を切っていったのですが、これも神の世界計画です。
その当時(当初)は、科学的なことを唱えることが、「怪しいひと」という見方をされることが多くて、地上に降りた天使たちも、今とは逆の意味でずいぶん苦労したわけですが、
現代では、それがまた極端に振れて、とくに20世紀は(さらに、とくに戦後日本では)、宗教的・スピリチュアルなことを語ることが「怪しいひと」というふうに振りきっている状態になっているわけです。
どちらの状態も、(理想から見れば)両極端で、正解は、当サイトで申し上げているように、神秘主義と合理主義を両立させること、総合すること、です。
これも、中道ですね。
ただ、いきなり中道は難しいので、
- いったん神秘主義に振り切ってみる
- その後、合理主義を強く打ち出してみた
という、文明の流れを作ったわけです。
その文明の流れを作ったのは、真実在=神の計画であり、それを実行・先導したのは、地上に降りた天使たち、および天使研修生たちです。
仏教的に言えば、菩薩(ぼさつ)・菩薩候補生たちですね。
参考記事:「天台智顗(てんだいちぎ)の十界 ー スピリチュアルな出世の段階一覧」
長くなりましたが、こんな感じで、
そもそも地上に肉体を持って生まれてくるのがキツイ上に、さらに現代の地上世界の波動が地獄6割になっている、という、逆6割GO!の世界にいるわけです(笑)。
*参考記事:「6割GO!で始める」
なので、まともな神経をもっていれば、「ぷち鬱くらいは当たり前」なんです。
また、むしろそのくらいのほうが、地上にいる間は苦しい面はどうしてもありますが、内省的になり、真理スピリチュアルに目覚め、真の人生観を獲得していくという意味では、プラスの側面があるんですね。
答えは大乗仏教ですでに説かれていた
「真理スピリチュアル」はですね、べつに新しいことを言っているわけではなくて、大乗仏教のなかでも何回も説かれていることなんですよ。
一例を言うと、上で挙げた十界説の天台智顗大師(てんだいちぎだいし)も”円融三諦(えんゆうさんたい)”を説いています。
三諦とは、
空諦(くうたい)
霊的な実相から見れば、この地上世界は空(くう)なるもの、仮のものである。霊的な世界(スピリチュアルワールド)こそが本当の世界であるという真理。
仮諦(けたい)
かと言って、「空である」と切って捨ててしまうだけでは、「来世・あの世に憧れる人」というだけになってしまうので、現象界(この世)に生まれてきた積極的な意味を考える。という真理。
*この世の事象を縁起の相で眺めてみる
中諦(ちゅうたい)
仮諦(けたい)にとらわれていると、またまた物質的波動に染まってしまうので、「空諦(くうたい)と仮諦(けたい)の中道をいきましょう」。という真理。
つまり、
ときには空諦を観じ、ときには仮諦を観じ、中なる道を行きましょう(中諦)。この3つの真理を円融(えんゆう)、つまり、心境に応じてバランスをとりつつ、人生を漕ぎ渡っていきましょう、と。
円融三諦も小難しく言えば、いくらでも言えますが、簡単にいえば、こういうことなんです。
これは、私がいま言っている、真理スピリチュアルと同じことなんですよ。
プチ鬱の話をするつもりが、ずいぶんと話が広がってしまいましたが、参考にして頂ければ幸いです。