今は、「戦時体制」と認識すべし
この武漢肺炎の件については、前回の記事でもう十分かな?と思ってまして、ネオ仏法としては、着々と次の文明の準備に入るつもりでした。
個人的には、恐怖の予言めいたいことは好きでないですし、私の関心はもっと「その先」のほうに照準が当たっています。
ただ、「現世で学べるものは学びつくそう!」という観点からは、現在進行形でみなが関心を持たざるを得ない問題から学びを深めるということも大事ですし、
それはまた「今回の文明の総決算」的な意味もあるかな、と思い直した次第です。
さて、前回の記事では、「武漢肺炎については、人災と天災の両面がある」という分析をしました。ここのところをさらに突っ込んでいきたいと思います。
「中国共産党も意図して漏らしたわけではないだろう」と書きましたが、きっかけはそうであるにせよ、いくつか気になる点はあります。
「中国本土ではもはや収束に向かっている」というのは、まあこれはいわゆる「大本営発表」だろうな、という認識でよろしいと思います。
過去のGDP統計などもそうですが、中国が発表する数値はまるで信用がおけません。
しかしそれにしても、アメリカやイタリア、スペイン、イギリスなどの欧米諸国の被害があまりに大きすぎるのも気になる点です。
日本については、初動のミスはありましたが、欧米諸国に比べると被害はぐっと少ないですよね。
発展途上国については、そもそも統計すら取れない、というのが実情でしょう。
思うに、初期段階では、「生物兵器研究所から漏れた」にせよ、習近平の意図としては、「この機会に、より致死率の高いウイルスに切り替え、それを欧米諸国にドローンなどでばらまいたのではないか?」という疑惑です。
日本については、もともと習近平が国賓として招待される予定でしたから、「あまり致死率の高いウイルスではまずい」と、初期のウイルスで抑えめにしたとか。
つまり、スタートポイントとしては、「自然発生」ということを世界に受け入れさせてですね、これは、今やCHOとも呼ばれつつあるWHOの後押しもありますね。
その次の段階からは、「意図的な生物兵器の攻撃」に切り替えた可能性はありますね。
イタリアも、中国の医師団が派遣された後、急に感染と死亡者が拡大しました。これも解せぬところです。
習近平としては、米国からは関税を使った経済戦争をしかけられ、相当ダメージを受けているところでもありましたが、かといって、今の段階で米国と通常兵器(もしくは核兵器)での戦争をやっても勝てませんからね。
ところが、証拠を残さない生物兵器であれば、報復を受けずに米国にダメージを与えることができるかもしれない、といったあたりの読みです。
しかし、米国がこのまま放置しておくことは考えられず。
また、秋には大統領選も行われます。
その際、武漢肺炎のダメージで多数の死傷者を出し、経済的にも大打撃を受けた状態でトランプさんが選挙戦に臨むとは考えにくい。
なので、秋の大統領選の前段階において、米国なりの「証拠」をつかみ、報復攻撃に出ることは十分に予想されます。
なので、分かりやすいかたちでの第三次世界大戦へと発展する可能性もありますし、あるいは、米国もなにかしら、証拠を残さない非通常兵器で対応する可能性もありますね。
まあほんとに、この世は変数が多いので、予測としてはいろいろな可能性が考えられます。
いずれにせよ、今現在(2020/05/03時点)で、米国だけの感染者数は114万人、死者6.6万人にのぼっていますので、この数値ではもはや、「第三次世界大戦の真っ最中である」「戦時体制下にある」という認識でよろしいかと思います。
感染の拡大はいつまで続くか?
日本政府としては、GW(ゴールデンウィーク)まで自粛要請を出し、10万円の給付金と休業補償と、あとはマスクの配布ですか、とにかく「接触を避ける」作戦で沈静化に向かうことを期待していたようですが、
やはり私のみる限り、収束に向かうとは楽観的過ぎで、むしろ来年のオリンピックも開催できないだろうと思っています。
世界全体としては、対策がたってくるまで2-3年はかかるのではないですかね。
要は、「ワクチンを作れるかどうか?」が反撃の決め手なのですが、過去のペストなどの疫病では抗体ができるまではやはり、そのくらいの時間はかかりますからね。
それで、「2-3年」という長さがいったいどれだけのダメージを与えるか?ということになりますが、
とりあえず、日本に限って考えたとしても、給付金10万円とか休業補償とか、いつまでもやれるわけはないですね。
太平洋戦争開戦前の山本五十六の言葉を思い出してみましょう。
それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。
ということでした。
なぜ?半年や1年か…というと、大きくは、当サイトでも過去何度も申し上げている「エネルギー問題」と、それから「食料自給率(日本は38%)」の問題です。
「人と接触しない」、ソーシャルディスタンスを徹底するのであれば、当然、貿易もできなくなってしまいますからね。
これはつまり、エネルギー問題と食糧問題が身近なクライシスになってくるということです。
こういう状況になってみると、反原発運動とか日露平和条約が結べていないことがいかにマイナスに作用しているか?
単なる机上の主張ではなく、私たちの(地上の)生命の安全問題に関わってくる問題であったことがお分かりでしょう。
参考記事① 原発を即時再稼働させることが、安全・安心につながる
参考記事② 諸葛孔明の兵法に学ぶ ー 日露平和条約から日露同盟へ
4月後半の時点では、外食産業やサロンなどの三密になりやすい業種で廃業が続いていきましたが、経済はすべて連動していますからね。
またここで、「経済がグローバル化している」というのが、非常にマイナスに働いてくるところでもあります。
なので、経済は世界恐慌を通り越して、第一次産業(農業・漁業など)レベルまで縮小することも考えられます。
まだ、変数が多いのが希望
と、ここまで。これでも抑え気味に書いているのですが、自分で書いていてもうんざりするレベルではあります。
上記までのことは、あくまで「現象界の視点」ですね。
大事なのは、前回の記事でも書きましたが、「実在界の視点」です。
やはり、文明の末期にあたって、実在界の視点(神の視点)から見て、「人類の悪見、悪波動が許容範囲を超えてしまった」ということです。
許容範囲を超えている、ということはどういうことであるかと申しますと、
もはや、地上が魂の学びの場として適切ではなくなっている、ということであり、もっとはっきり言えば、地上が悪霊の再生産工場と化している、ということですね。
なので、永遠の生命の部分を腐らせていくくらいであれば、強制的な手段であっても、現文明を終わらせたほうが良い、という考えです。
「肉体は、魂の乗り物」という例えから言うならば、「本人が死ぬよりは、車を壊したほうがマシ」ということです。
しかし、もちろん、ソフトランディングで次の文明へ移行する可能性もあったのですが、これはもう無理、という段階に入っています。
ただし、アトランティス文明などの例とは違って、まだ可能性というか、変数が残されています。
地球レベルであっという間に大陸が陥没するとか、そういうレベルだと、そもそも考える時間も選択の余地もありませんからね。
しかし、「疫病対策で家で自粛するしかない」となると、自宅でゆっくり考える時間はできます。
ここで、どれだけの割合でどれだけ多くの人が、根本原因について思いを巡らせることができるか、内省ができるか、
キリスト教的に言えば、悔い改めができるか。真理スピリチュアルに目を開くことができるか、というところが最重要ポイントです。
何度も申し上げているように、「臭いものは元から断たなければダメ」で、単にコロナウイルスをやっつけたとしても、根本の反省が入らない限りは、いろいろなパターンで危機的状況は再発してきます。
よく耳をすませば、私以外にもこういうことを言っている人が世界各地にいるはずなのですが、それでも、今の段階では、ソーシャルディスタンスとかマスクとか、手段の方ばかりがネットでわいわいとシェアされている状況ですよね。
要は、この世で考えつく通常手段で、という発想の段階です。まだ唯物的論理で対処できると思いこんでいる状況。
しかし、これがだんだん行き詰まりを見せてきます。
*そもそも、ウイルスはマスクを通ってしまいますので、飛沫を避ける以外はあまり効果がないのです
なので、通常手段で行き詰まった場合、次に何を考えるか?が大事です。
人はある意味で、次の3種類に分けられます。すなわち、
- 失敗する前に智慧で見抜いて分かる人
- 失敗してから、智慧を汲み取っていく人
- 失敗しても、何も学ばない人
今(2020/05/03)は人類レベルで言えば、2.の段階が試されているということになります。
3. の段階に突入すると、アトランティス文明のような結末になるでしょう。
しかし、もう一度申し上げておきますが、まだ考える時間が与えられています。
個人レベルではよく、「貧病争」をきっかけに真理に目が開かれるケースが多いですが、これが今は人類レベルで期待されているということです。
それほどまでに、「人間が偉くなりすぎた」ということです。
人間がトップ(神)に成り上がり、善悪を「自分軸で」判断するようになった。
これすなわち、旧約聖書で、アダムとイブがエデンの園から追放された寓意と同じことですよね。「善悪を知る知恵の木の実」を食べたということ。
手にしたのは「知恵」であって、決して、奥深い「智慧」ではないんです。
とりあえずこのシリーズは「ウイルスに対抗する法」まで行きたいと思っています。
今の段階でひとつ申し上げておくと、「聖霊を受けられるだけの信仰の器をつくる」ということです。
この点、学びを深めておきたい方は、(最近よくお勧めしていますが、)、カール・ヒルティの『幸福論』をこの機会にじっくり読み込んでおくことをお勧めいたします。
