ふしぎでないキリスト教- ④最後の審判は本当に”最後”なのか?
相対的終末と実存的終末 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの4話目です。 「最後の審判」については、前回もちょっと触れましたが、キリスト教において「来世」に関わるときにたいていはセットで語られています。 なので…
– Neo Buddhism –
相対的終末と実存的終末 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの4話目です。 「最後の審判」については、前回もちょっと触れましたが、キリスト教において「来世」に関わるときにたいていはセットで語られています。 なので…
天国・地獄がはっきりしていないキリスト教 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズ2回めです。 今回は、キリスト教における天国/地獄論です。 要は、「あの世はどうなっているか?」ということですが、天国/地獄以外にも、…
神はイエスを見捨てた? 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:46) 前回の続きで、ふしぎでない…
「神がわるいんじゃない。我々ユダヤ人がわるいのだ」 ややふしぎなユダヤ教シリーズ2話目です。 シリーズ初回からお読みになりたい方はコチラ↓↓から。 ややふしぎなユダヤ教 – ①「神の名をみだりに唱えてはならない」とは? …
「ふしぎでないキリスト教」のシリーズを始めておりまして、「ユダヤ教はキリスト教のあとに…」と考えていたのですが、やはり、順序にこだわらず、必要に応じて同時並行で進めてまいります。 ご存知のとおり、キリスト教は(イスラム教…
キリスト者への私的旅路 タイトルは、内村鑑三の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』をもじっています。 誤解を与えそうなタイトルですが、私(高田祥)は イエスがキリスト(救世主)であること イエスの説いた教えが真実の神…
「思わず知らず」ではなくて、「意図的に」アストラル体を活性化させて、半物質として現象化することが出来たわけです。この「確信」というのは、上述したアストラル体の原理ももちろん含まれますが、これ自体は高度な霊存在にとって初歩的なことで、イエスの「確信的」というのは、さらにそれ以上のものがあります。
つまり、「旧約で予言されていた復活によって、メシアが私(イエス)である」という物語を完遂することであった、ということです。ここにおいて、イエスは「キリスト」であることを証明したわけです。
今回は、個人の幸福とか悟りについてのお話ではなく、若干スケールアップしたお話になります。 「イスラム教とか関係ないやー」と思われるかもしれませんが、 やはり同じく地球の磁場に住んでいる者として、日本や日本に住んでいる私た…
スピリチュアルの問題を考えるのに際して、避けて通れない話題が、 「神が全能であり、一切者であるならば、なぜ悪が存在するのか?」 という論点があります。 旧約聖書などを読んでいると、神と悪魔が対談している場面などがでてきま…
「過ぎ去っていくもの」と「永遠なるもの」を分別(ぶんべつ)しておきましょう ここしばらく、同じような内容を、手を変え品を変え、記事にしています。 もう理解できているあなたは、「またこの話かー(゜o゜;」とうんざりしている…