ユダヤ教が、イエスを”メシア=救世主”として認めないのはなぜか
「メシア」は英語読みでは「メサイア」になりますが、元々のヘブライ語の意味としては、「油を塗られた者」という意味です。
そして、メシアをギリシャ語読みにしたのが、「キリスト」ということになります。
なので、イエス・キリストの「キリスト」は個人名ではないんですね。
そして、「油を塗られた者」とは、元来は、「王様」「統治者」という意味です。
その文脈でいくならば、
ユダヤ人たちが期待している”メシア=救世主”とは、宗教的な指導者であるというだけではなく、同時に、政治的な指導者も意味している
ことになります。
モーセのように”現実に”圧政からユダヤ人を解放して、ユダヤ国家を作り、かつ統治してくれる人物を待望していたわけです。
そして、そうした人物を「メシア」=「油を塗られた者」として認めるという構図になっています。
*モーセは、当時、エジプトで奴隷になっていたユダヤ民族をカナンの地へと導いた。途中で没したので、実際に王国を建てたのは後継者のヨシュア。
そういうことで、
イエスは「神の王国」「心の王国」を説いたけれども、政治的には何も成すことがなく(成す気もなかったようですが)、この世を去っていったという事実を鑑みると、ユダヤ教の文脈では、「とうていメシア(救世主)とは認められない」
ということになります。
この点に関しては、聖書を読む限り、十二弟子たちも半信半疑…という状況であったのではないかと思いますね。
イエスは捕らえられると分かっていて、エルサレムへ入城したわけですが、
弟子から見ると、「いやいや、なんだかんだ言って、エリヤのときのように天から火柱が降ってくるとか、天使たちが救出に来るとか、何か奇跡あるいは秘策があるに違いない」と期待していたのではないかと思います。
ところが、何も”奇跡”は起こることなく、あっけなく十字架で刑死してしまいました。
弟子や信者からみると、「予言の成就とは言っても、いくらなんでもこれは…」という思いは、あったでしょうね。
そういうわけで、弟子たちは気が動転して、一番弟子のペテロでさえ、「いえ、イエスは知りません」と3回も言ってしまうという狼狽ぶりです。
その後、イエスの復活を契機に弟子たちの伝道がようやく本格化していくことになります。
*”復活”の秘密については、下記の記事をご参照ください。
「ふしぎでないキリスト教 -⑨「原罪とイエスの贖い(贖罪説)」の真の意味とは?」

このあたり、というか、ミラノ勅令でキリスト教がローマ帝国に公認されるまでの歴史がじつに興味深く、かつ、現代にいたるまで禍根を残している部分があると思われますが、それはまた別の機会に書きます。
ムハンマドは最大にして最後の預言者?
「メシア=油を塗られた者」という本来の文脈からいけば、イスラム教の開祖であるムハンマド(マホメット)のほうが、「メシアの資格あり」ということで、「最大にして最後の預言者」としている気持ちも分かります。
ムハンマドは、天使ジブリール(ガブリエル)から神(アッラー)の声を伝えられ、イスラム教の開祖に。メッカで一度敗れるものの、メディナで力を蓄え(聖遷・ヒジュラ)、最終的にメッカ奪還に成功しているわけです。
つまり、神の声を伝える(預言者)こともできるし、政治・軍事的にも成功したということで、イスラム教としては、「イエスよりムハンマドのほうが格上である」という認識でいるわけですね。
ただ、ユダヤ人を解放したわけじゃあないので、ユダヤ人からはやはり”メシア”認定は受けられませんけどね。
イスラム教の立場としては、ユダヤ教もキリスト教もはっきりと認めておりますし、コーランにも「アッラーは、ユダヤ教・キリスト教の神と同一である」という趣旨のことは書かれています。
そういう意味で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は兄弟宗教なんです。より正確に(?)言うと、ユダヤ教が母で、キリスト教とイスラム教は兄弟、という位置づけになりますかね。
ここの、キリスト教VSイスラム教のところが、現在の国際情勢でも最も問題になっているところでもありますので、いつかまた別の記事で詳しく書いてみます。
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