ふしぎでないキリスト教 -⑨「原罪とイエスの贖い(贖罪説)」の真の意味とは?
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』にキリスト教の核心をみる 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの9話目です。 ”罪”といえば、ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』の両書において、ひと…
– Neo Buddhism –
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』にキリスト教の核心をみる 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの9話目です。 ”罪”といえば、ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』の両書において、ひと…
信仰義認論と行為義認論 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの8話目です。 キリスト教では、「救いは行為によるのではなく、信仰による」という理解の仕方があります。 こうした「信仰による救い」を神学用語では”信仰義…
1ページ目からいきなり矛盾の『創世記』 ややふしぎなユダヤ教シリーズ4話目です。シリーズ初回からお読みになりたい方はコチラから。ややふしぎなユダヤ教 – ① 「知恵の木の実」とか「禁断の果実」とよく言われていますが、旧約…
予言者と預言者の違い ややふしぎなユダヤ教シリーズ3話目です。シリーズ初回からお読みになりたい方はコチラから。ややふしぎなユダヤ教 – ① 「予言者」と「預言者」は日本語では読みが同じですし、漢字のつくりも似ていますので…
キリスト教の神は人格神ではない!? 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの7話目です。 今回テーマにする”三位一体”もなかなかむずかしく、誤解が多いところです。 イスラム教は、キリスト教を”アブラハムの宗教”とい…
そもそも”悪”とは何であるのか? 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの6話目です。 前回は、「究極の実在(神)の全能性を維持するための必要悪が悪である」というお話をしました。 今回はまず、「なぜ、悪があるのか?…
延々と議論されてきた神義論 前回の続きで、ふしぎでないキリスト教シリーズの5話目です 今回のトピック、「全能の神が創った世界になぜ悪があるのか?」というテーマは、長らくキリスト教史でも論じられてきたところでもありますし、…
つねに死を意識することは「強さ」 メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。(ウィキペディア) メメント・モリ、すなわち…
「全能」の定義そのものを吟味する 全能の神がましますのであれば、世界にはなぜ悪があるのか?悲惨なことがあるのか? この問いは「神義論(しんぎろん)」と呼ばれていまして、古来より喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が戦わされ…
アガペーとエロースの違い ネオ仏法では、「愛」にも、 主体的愛 依存的愛 の二種類があるとご説明しています。 *参考記事:愛の側面から見た真理スピリチュアル – 「主体的愛」と「依存的愛」 そして、「主体的愛」は文字通り…