十字架の神学とは – パウロの”逆転の論理”
「十字架刑=イエスの贖い」の図式(贖罪説)は普遍化できない ”十字架”というと、キリスト教信者でなくても、「キリスト教のシンボル」としてのイメージを喚起させられるところの、象徴的な存在ですよね。 しかし、キリスト教に慣れ…
「十字架刑=イエスの贖い」の図式(贖罪説)は普遍化できない ”十字架”というと、キリスト教信者でなくても、「キリスト教のシンボル」としてのイメージを喚起させられるところの、象徴的な存在ですよね。 しかし、キリスト教に慣れ…
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』にキリスト教の核心をみる ”罪”といえば、ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』の両書において、ひとつの中心的なテーマになっています。 ドストエフスキーは「…
信仰義認説と行為義認説 キリスト教では、「救いは行為によるのではなく、信仰による」という理解の仕方があります。 こうした「信仰による救い」を神学用語では”信仰義認説”と言います。 一方、「行為による救い」を”行為義認説”…
なぜ、善悪の知識の木(知恵の実)を食べると死んでしまうのか? 「知恵の木の実」とか「禁断の果実」とよく言われていますが、旧約聖書には「善悪の知識の木」と書かれています。 ちなみに、この禁断の果実はしばしば「りんご」で描か…
予言者と預言者の違い 「予言者」と「預言者」は日本語では読みが同じですし、漢字のつくりも似ていますので、混同されやすいですが、内容的には違ったものがあります。 まず、「予言者」のほうですね。こちらはノストラダムスなどで有…
キリスト教の神は人格神ではなのか? 今回テーマにする”三位一体”もなかなかむずかしく、誤解が多いところです。 イスラム教は、キリスト教を”アブラハムの宗教”という流れにおいて、先輩宗教として認めてはおりますが、個々の教理…
神義論の類型 今回のトピック、「全能の神が創った世界になぜ悪があるのか?」というテーマは、長らくキリスト教史でも論じられてきたところでもありますし、 また、一般の方が「神がいるのであれば、なぜ悪とか戦争がある?だから宗教…
つねに死を意識することは「強さ」 メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。(ウィキペディア) メメント・モリ、すなわち…
「全能」の定義そのものを吟味する 全能の神がましますのであれば、世界にはなぜ悪があるのか?悲惨なことがあるのか? この問いは「神義論(しんぎろん)」と呼ばれていまして、古来より喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が戦わされ…
アガペーとエロースの違い ネオ仏法では、「愛」にも、 主体的愛 依存的愛 の二種類があるとご説明しています。 *参考記事:愛の側面から見た真理スピリチュアル – 「主体的愛」と「依存的愛」 そして、「主体的愛」は文字通り…