知って犯す罪より知らないで犯す罪のほうが重いのはなぜか?

知って犯す罪

以前、三途の川を渡っている途中で、水底に、「名刺やお金や高級時計が落ちているのを目撃する」ということを書いておきました。

これらを目撃して、「あ、あの世には、名刺や肩書やお金や高級ブランドモノなどは持って還れないんだな」って何となく気づく仕組みになっているんですね。

とはいえ、三途の川を渡っている段階では、もう地上生活は終わっていますので、気づいたところで、すでにアウト!になっているのも事実なんですよ。

なぜ、アウトになってしまったか。

それは、この記事を読んでいなかったからです…というのは半分冗談で半分事実です。笑

要は、生きているうちに真理を知らなかったからですよね。

唯物論や科学万能に染まってしまうと、「あの世なんか、あるわけがない、時代遅れの発想だ」とか、「そもそも、生きているんだから、あの世の知識なんか必要ないんじゃ?しかも証明できないしね」、という価値観になってしまいます。

実際は、実在世界に関する真理というのは、誰しも出会うことになっているんです、人生の途上で、何度かそういうチャンスは与えられているんですよ

守護霊や天使たちも必死ですからね。

でも、チャンスが与えられていることにすら気づかず、肉体的自我中心の人生観でそのまま行ってしまう人が多いも事実です。

「知らなかった」というそれだけで、成功していたと思っていた人生が、じつは失敗であってた、ということにもなってしまいます

下手にリーダーシップがあって、多くの人をミスリードした場合、罪は余計に重くなってしまいます。

ミスリードした方々が天国へ帰れるまで責任をとらなければいけなくなってしまうからです。

逆に、知っていれば、自己愛が強い人ほど、そういう方向へはいきませんよね。

もちろん、人間は肉体を持っていると弱いものですから。過ちを犯すこともあります。これは天使たちもよく知っているんです。

天使たちであっても、地上に生まれると、数多くの過ちを犯すからです。

でも…そうではあっても、知っていれば、どこかでブレーキがかかり、歯止めが効くんです。

または、反省することにより、犯した罪の上書きもある程度可能です。

そういうわけで、「知らなかった」というのは、ブレーキ無しで人生を過ごしていくことになるんですね。だから、知らないで犯す罪のほうが重くなってしまうんです。

私のブログを読んでくださるような方は、スピリチュアルを否定する人はいないと思いますし、また、肉体を持っていながら、そうした霊的な世界観に目覚められるということはそれだけで素晴らしいことなんです。

多くの人たちが、地上で、真理を知らないままに生きています。今この瞬間にも。

真正面から話すのは難しいとしても、日常生活・社会生活のなかで、なるべく真理価値を含んだ話をして頂けければ、と思います。

そうした行為は、見守っている天使たちは泣いて喜びますし、あなた自身を天使の境涯へ近づけていくことにもなります。

そして、これこそが”本物の成功”なんです。

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