学校の教科、現国・英語・地理・日本史(世界史)・物理・・・
など、いろいろな科目がありますね。
これらの科目を勉強して、いったい、
実社会に出て役に立つの?って疑問を
持たれるかもしれませんね。
そうした疑問から、
いくら受験の科目になっているとはいえ、
「実社会で直に使わないんだし、やる気がおきないなー」
って気持ちが出てくることもあるでしょう。
これは、一面、真実なんですよ。
いちばん使えそうな英語であっても、
現実には、国際関係の仕事をするのでない限り
ほとんど使う場面がありません。
ましてや、古文とか勉強してどうなのよ?
って疑問も出てくるでしょう。
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ここでひとつ喩(たと)え話をしますね。
タイトルの「無用の用」に関連するお話です。
あなたが、登山していて、山道に迷ったとします。
そして、崖にたどり着き、向こう側の崖に渡ることができれば、
下界に降りられることが分かったと。
でも。
こちらの崖とあちらの崖にかかっている橋は、
オンボロで、手すりもついていない。
幅もたった50センチほどしかありません。
もし、落っこちてしまったら、
命の保証はありません。
さて、このケースで、
あなたは橋を渡ることができるでしょうか?
できる!と言われたら、ココでこの話は終わってしまうのですが。笑
まあ、けっこうな勇気が必要ですよね。
それなら引き返して、とりあえず、
木の根でも食べて命をつないだほうがいいのでは?
って思うかもしれません。
では、
もし、この橋の幅が、3メートルとか5メートルあったら、
どうでしょう?
これなら、あんまり怖くないですよね。
すいすい渡ることができる。
でもね、
すいすい渡ったとしても、実際、歩くのに必要な幅は
50センチもあれば十分ですよね。
たとえば、幅5メートルの橋の真ん中に、
幅50センチの赤線が引いてあって、
その範囲内で渡ること!という条件があったとしても、
そんなに怖くはないはずです。
では、実際には幅50センチあれば十分なのに、
なぜ、幅50センチの橋を渡るのは難して、
幅5メートルの橋は軽々と渡ることができるのか。
そう、
実際には使っていない、4メートル50センチの部分。
これがいわゆる、教養に相当するんです。
この、実際にはほとんど使うことのない教養の部分が、
人生を生きていくにあたり、あなたに安定感をもたらすんです。
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また、もうひとつ大事な観点を挙げると。
現実社会では実際に使うことのない科目であっても、
その科目を勉強する過程で培(つちか)われた思考能力・
あるいは、集中力が<使える>ものになるんです。
英語教育について、会話を重視すべきか、従来通り文法・構文を中心にした
教え方にするか、意見が分かれておりまして。
今は早期教育も含めれば、
どちらかというと、会話重視の流れになっているのかもしれませんね。
でもね、ひとつ押さえておきたいことは、
英会話ができることと、知性にはほぼ関連性がない、
という事実です。
だって、
頭の良くないアメリカ人であっても英語はしゃべってるじゃないですか。笑
一方、
幕末期に日本を訪れた外国人は、日本の庶民を含めた教育レベルの高さに
畏敬の念を感じました。
そして、
「これはどうも、アジアのなかでも日本という国は、
どうも事情が違うようだ」と、植民地化に慎重になったという側面があるのですね。
もうひとつは、
日本の武士の存在が何やらおそろしかった、というのもあるでしょう。
その、庶民を含めた教育レベルの高さ、それから武士たちの教養・気概を
支えてきたのが、漢文を通じた古典および歴史の勉強だったんです。
そして、その漢文の勉強は、会話ではなく、レ点や返り点などを駆使した
文法を通じて学ばれているんですね。
つまり、語彙などの暗記・文法の習得によって、
思考能力が磨かれ、その思考能力と教養に基づいた<気概>が、
欧米列強からの植民地化を防ぐ防波堤の大きな支えになっていたわけです。
ゆえに、英語においても、昔ながらの、文法・構文。単語・熟語の学習を
中心にしたほうが、私は良いと思っています。
つまり、そうした解読力・暗記力を鍛えることによる、
思考能力の高まり、ココにむしろ重点をおいて考えているわけです。
*英語については、またあらためて詳述します
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もう一度、トピックに関連することとして、まとめておきますと。
一見、直接役に立ちそうのない学校の勉強を通じて、
1)いろいろな分野を学習しておくこと自体が、人生の安定感をもたらすのだ
2)勉強する過程で鍛えられた思考能力が、のちのち役に立つのだ
この二点を覚えておいてくださいね。
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各科目の勉強法のコツ、受験戦争の勝ち抜き方、
などは別トピックで改めて書いてみます。
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