過去世リーディングと予言が外れやすい理由

過去世 調べ方
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過去世リーディングと預言のメカニズム

今回は、過去世リーディングと予言が外れやすい理由、という身も蓋もないテーマです。

過去世リーディングについては、まず確認しようがない、証明ができないという難点がありますし、スピリチュアル・カウンセラーによっても判断が違う、ということを経験された方もいらっしゃるでしょう。

反面、予言については、時代が追いついてきた部分については確認可能ではありますね。ただ、ノストラダムスとか大物であっても外すときは外すというのは、だいたいおわかりではないかと思います。

それでは、なぜスピリチュアル界の大物であっても、過去世リーディングおよび予言を外す時があるのか。理由を考えてみますと、大きくは下記の3点挙げられるかと思います。

  1. 認識のフィルターがかかっている
  2. 霊界とこの世では時間の流れが違う
  3. 運命と自力の関係 

1. 認識のフィルターがかかっている

基礎的な認識論については、「認識論ー対人関係にも生かせる哲学」という記事で書いたことがあります。要は、主体と客体の間に認識の世界が存在するということですね。

 Aさん→→→→→→→Bさん

こうではなく、

 Aさん→→認識界→→Bさん

こうなっています。

つまり、主体=Aさんが、客体=Bさん(あるいは社会でも国家でもいいですが)を”観る”場合、主体=Aさんの認識のフィルターを通して、翻訳された形で見えてくるということになるのです。

他のスピリチュアリストがどのようなカタチで”観て”いるのかは分かりませんが、私自身について言えば、ほぼ9割映像で観ています。

『古事記』とか『創世記』、『黙示録』などを紐解いても、実に映像的ですよね。そして、本音を言えば、「ほんとかよー??」と実に奇妙な描写になっていますよね。

これはやはり、翻訳された(霊視者の認識に合わせた)映像で視ていると思うのです。

そしてその映像のなかでも、地上と地上を去った世界がごっちゃになっていたり、それから時間軸も行きつ戻りつしていることが多々あります。

『古事記』などもその典型ですが、これは、やはり稗田阿礼(ひえだのあれ)が認識(翻訳)したところの映像を記述しているということです。

2. 霊界とこの世では時間の流れが違う

これは、2. の論点にも関わってくる問題です。

つまり、

現象界と実在界では時間の流れが違うのが原因なのです。

現象界では時計的な時間(太陽暦であるとか、24時間であるとか)を共通の基準にしていますが、実在界では、個人の意識の流れが時間そのものになります。

ゆえに、霊的に視た映像を再び現象界の時間軸に再翻訳するときに狂いが出やすいのではないかと推測しています

 *参考記事:反省すると罪が清められる」ということを哲学的に証明するー持続する現在意識」

3. 運命と自力の関係 

こちらは予言に関わるものですね。

時間というのは実在界であっても、「前と後」の区別は一応あるのですが(と言っても、これ自体の判定がまた難しかったりします)、「後」=「未来」については不確定な要素が残っているということですね。

このまま行けばこうなるだろう(運命)けれども、物質界に生きている人間の努力で変更の余地がある(自力)ところもある、ということになります。

そしてまた、2.で申し上げたように時間軸を物質界仕様に変換するときに狂いが出やすい、という二重の難しさがあります。

そういう意味で、予言などを担当されているスピリットはさぞ大変だろうと思いますけどね。未来予言は当たり外れがわりあい明確に判定されますのでね。

以上、過去世リーディングと予言が外れやすい理由というのをざっくり書いてみましたが、

本当のところ、時期や性別、場所を特定することが重要なことではなく、対象者の心の傾向性・カルマですね、あるいはマクロで言えば、人類がこのまま行けばどのような運命であるのか、その理由はどこにあるのか、

そうしたことがむしろ本質的であり、かつ重要なことであるんだと思います。「で、それなら、これからどう手を打つか?」という洞察ですね。

やはりいつもの結論になってしまいますが、

霊能力は洞察力のオマケ程度のものであって、しいて望むべきものでもないし、また本質的なものでもない、ということになります。

実際、霊能力の大きさと悟り・霊格は比例しません。

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