真理がなかなか身につかない、実践できないと思っているあなたへ

真理 身につかない

人生において、真理に巡り合うことは最高の出会いですが、そうした機会を得て、真理を学び始めても、「なかなか身につかない、実践し切れない」という悩みはあるものです。私にもあります。笑

そこで、そうした場合にどう対処したらいいか、今回は考えてみたいと思います。

目次

”霊主肉従”はなかなか難しいもの

「魚に説教するパドバの聖アントニウス」の寓話

聖アントニウスは教会に説教に行きましたが、誰も来場者がいませんでした。

そこで魚に説教したのですが、魚たちは説教を聞いている間はうなずいているのですが、説教が終わるとすぐに内容を忘れてしまう。

魚に説教するパドバの聖アントニウス

そういう、説教のむなしさを風刺した寓話です。

*ちなみに、この「魚に説教するパドバの聖アントニウス」を音楽家のグスタフ・マーラーが歌曲にしていまして、かつ、そのモチーフを(私が最高の芸術だと思っている)交響曲第二番第3楽章に使っています。

交響曲第二番

こうしたことは何も魚たちに限ることではなく、私たちにも当てはまることではないでしょうか?

お祈りをしたり、経典読誦をしたり、真理に関する本を読んでいるときは気分が天上界へ向いていても、日常生活に戻ると、すっかりその気分が抜けて、真理のことなど忘れてしまう…というのはありがちなことです。

ちなみに、私にもそういう傾向はあります。笑

霊主肉従(れいしゅにくじゅう)とは

霊主肉従とは文字通り、「霊が主であり、肉体は従者である」ということです。「霊が主人であり、肉体は召使いである」ということですね。

霊は実際は全てのすべてなのです。肉体や物体も霊の表現形態のひとつに過ぎません。

霊は生命であり、生命は霊なのです。

ゆえに、来世においてはもちろん、この世においても、まずは”霊”こそが優先されねばなりません。

肉体を持って生まれるのは、あくまでそれを契機として、霊が自我・個性を得るためなのです。そして、霊性向上を計り、同胞のために尽くすことこそが人間がこの世に生まれる目的なのです。

したがって、あくまで霊、霊性進化を主要目的として、肉体はあくまで、いわば「霊の乗り物」に過ぎないと(極論すれば)思わなければなりません。

乗り物

ところが、やはり肉体と五感を頼りに生きていると、どうしても肉体的自我が前面に出てきて、霊的我(れいてきわれ)を忘れがちになるのですね。

この世に生きている人はほとんどそういう状態です。

問題は、霊的真理を知識的に悟っても、やはり、肉体我(にくたいわれ)に引っ張られてしまい、結果、霊性進化がおろそかになってしまうことです。

説法を聞いたり、真理に関する本を読んでいる時は、心の針が天上界に向いていても、日常生活に戻ると、たやすく肉体我に戻ってしまう。

なかなか真理が腑に落ちてこない、身に染みてこない。そういう悩みをお持ちの方は真理に目覚めた方でも多いのではないかと思います。

まさに先に例に挙げた「魚に説教するパドバの聖アントニウス」の魚たちのようです。

霊的真理を腑に落としていくコツは”習慣化”にある

人間は習慣の塊である – 朝の時間の活用

これは文字通り、なのですが、人間の思いやそこから派生する行為は習慣の塊でできているのですね。

なので、「いかに習慣化するか?」がキモになってくるわけです。

習慣化において、とくに大事なのは、一日の始まりである朝の時間です。

朝

朝起きてすぐに、経典読誦や祈りから始めると、そこから真理へのはずみがついてきます。

モーターを回転させるためには、初動のちからが一番要るのですが、その初動のちからに相当するのが経典読誦や祈りなのです。

実際、実在界(あの世)では、菩薩・天使たちも、一日の始まりを経典読誦・祈りから始めています。

仏教的な価値観が好きな人は経典読誦から始めるのもいいでしょう。

特に『般若心経』は262文字という短い文字数のなかに「仏教のエッセンス」が詰まっていますので、お勧めです。

般若心経については、かなり詳しく解説した記事がありますので、参考になさってください。

*参考記事:『般若心経』全文解説 – 般若心経の悟りを超えて

朝の時間でも、8時とかではなく、体感的には4時から6時くらいが一番スッキリしています。

まだ、世の中が動き出す前ですから、ある意味で”霊的”な時間帯なのです。

人によって、いろいろ生活・仕事上の都合もあるでしょうが、なるべく、1時間でもいいので早く起きるのが望ましいです。

ちなみに、ネオ仏法の記事もほぼ朝の時間に更新しています。

「緊急ではないが、重要なこと」を優先させる

私たちは誰しも価値ある人生を送りたいと願っていると思います。

ところが、仕事や家事などの日常生活に追われて、なんとなく、やっと一日を終えてしまうことが多いでしょう。

それは、いろいろな記事でご紹介している『7つの習慣』(スティーブン・コヴィー著)で言えば、「緊急で、重要なこと」あるいは「重要ではないが、緊急なこと」を優先してしまうからです。

7つの習慣

そして疲れ果ててしまい、「緊急でもなく、重要でもないこと」、たとえばSNSをぼーっと眺めたり、といった時間の使い方をしてしまいます。

緊急ではないが、重要なこと

この図であれば、第一領域や第三領域に「追われるように」時間を使ってしまい、結果、疲れ果てて第四領域でダラダラと時間を過ごす、という塩梅です。

本当に価値ある人生を送るためには、第二領域「緊急ではないが、重要である」時間をいかに確保するか、にポイントがあるのです。

そのために、朝の一番に1時間ほどでも(あるいは30分でも)、第二領域の時間を取り分けてしまうことをお勧めします。

そしてその1時間をとりわけて、「一日は23時間」だと仮定して生活をすることです。

私で言えば、「緊急でないが、重要なこと」は、重要な順番で並べると、

  • 祈り・経典読誦・瞑想(信仰)
  • ブログ更新など(慈悲の実践)
  • 真理に関する書を読む(智慧の獲得)
  • ストレッチや体操をして健康を維持する(健康管理)

こうしたことになります。

理想的には、朝の6時に起きて、1時間から1時間半くらいをこれらのことに費やします。

結果、「自分の人生のミッションである」と思えることに時間を投入することができています。

また、朝イチからこうした価値あることに時間を使えていますので、一日に真理的な「はずみ」がつくわけです。

霊的真理と日常を分けない

これも文字通り、なのですが、私たちは、とかく「真理は真理、日常は日常」と分けて考えがちです。また、そうした感覚に引っ張られがちです。

しかし、「日常」とはそもそも何でしょうか?

具体的には、「仕事や家事、余暇」などが日常ということになりますが、これらは本当に真理とは別物なのでしょうか?

仕事で言えば、私たちは金銭という対価を頂いています。

なにゆえに金銭という対価が生じるかというと、そこに「付加価値」の生産があるからなのです。

付加価値

その付加価値の大きさに応じて、対価の大きさが決まるわけですね。
*ただし、反社会的なことは除く。付加価値にも「良い付加価値と悪い付加価値」があります。

そう考えてみると、付加価値を生んでいるということは、すなわち、「世の中の役に立っている」ということであります。

これは先に申し上げた、この世に生まれてくる目的の一つ、「同胞のために尽くす」ということですよね。

したがって、仕事というのはこれは「真理の実践」に当たるのです。

すなわち、「真理と日常は別物ではない」ということになります。

家事は金銭的対価を生んでいないようでありますが、家事をやらなければ、たとえば食事を作らなければ、その分、外食をせざるをえません。その分、金銭が出ていってしまうわけです。

そうすると、逆に言えば、「出ていくと予測されている金銭分を守った」ということですから、これもやはり金銭的対価を生んでいると言えるのです。

もちろん、金銭的対価がすべてではありません。

大事なのは、前提となっている「付加価値の生産」なのです。

その「付加価値生産の大きさと質」がその人の霊格を決める、というふうに言い換えても過言ではありません。

余暇も英語で言えば、レクリエーション(Recreation)ですね。これは、

  • レ:再び
  • クリエーション:創造

ということで、創造のための準備期間になっているわけです。

そういうわけで、この項目の結論的には、「真理と日常は別物ではない、別物扱いしない」ということが大事、ということになります。

真理に思いを馳せる時間を増やす

どのような物事にも言えることですが、人はやはり、その物事への「接触面積の大きさ」に引っ張られる傾向があります。

朝、祈りを唱えていても、たとえば、SNSの「病み垢(アカウント)」などを眺めている時間の方が多いと、そうした悲観的な感覚が共鳴・増幅され、自意識がどんどん引っ張られていきます。そして、真理から引き離されていきます。

それゆえに、「真理との接触面積」を一日のなかで増やすことが大事です。

真理との接触面積

イスラーム(イスラム教)では、”サラート”と言いまして、一日五回、定められた時間に礼拝することが、イスラム教徒(ムスリム)の信仰の実践とされています。

このサラートを欠かさず実践することによって、イスラーム的価値観が身体に染み込むようになっているわけです。

特定の宗派に所属している方は、その宗派の流儀に従って「真理への接触面積」をなるべく一日のなかで増やす実践をするといいですし、特定の宗教・宗派に所属していない方であっても、一日のなかで折に触れて、「神的実在と神的実在の摂理に思いを馳せる」時間を設けると良いでしょう。

私の場合は、やり方は様々ですが、たとえば、

「私も含めて、万象万物は神的実在から分光してきた存在であり、神性を宿している。あらゆる存在は兄弟姉妹である。神的実在の”外”はない。万象万物は神的実在の内部にある。ゆえに、神的実在の摂理は大宇宙の隅々に行き渡り、その恩恵を受けているのである」

といったふうに、神的実在やその摂理について、都度、思い浮かぶフレーズを心の中で唱えるようにしています。

あるいは、マインドフルネスを仕事の合間に実践することもあります。

こうした実践も「習慣化」に貢献しているわけですね。

心境の上下に過度に執われない

いろいろな物事にバイオリズムがあるように、心境にもバイオリズムがあります。

問題は、バイオリズムが下がっているときに、「真理が身についてしない」と悩んでしまうことです。

しかし、バイオリズムはバイオリズムである故に、当然、上下の波があるものです。

バイオリズム

ですので、当然、心境・心の状態にも波があるのですね。

だから、バイオリズムの波が下がっているときにも、過度にそれに執われないことが大事です。

そうではなく、少しずつ精進を重ねて、バイオリズムの波そのもの全体を上げることを心がけることが大事だと思います。

そのようにすれば、波が下の方へ行っても、最低レベルの心境は保たれるものです。

焦らず、「3歩進んで2歩下がる。差し引き、1歩進んでいる」を心がけましょう。

ベンジャミン・フランクリンの「13徳樹立」

「アメリカ建国の父」と呼ばれているベンジャミン・フランクリンはその自伝、『フランクリン自伝』のなかで「13徳樹立」について言及しています。

 

フランクリン自伝

神的実在は、あらゆる良き属性を具えています。慈悲、智慧、正義、勇気、節度・・・などなど、これは私たちにとって倫理の規範でもあります。

ところが、そうした規範を実践しようとしても「なかなか身につかない」と悩んでしまうのです。

なぜ、真理・倫理的規範が身に付かないかというと、これらの規範をいっぺんに実現しようとするからです。

「二兎を追う者は一兎をもえず」と言いますよね、

ですから、フランクリンは自分にとって必要だと思う徳目を13個リスト作成しつつ、それらをいっぺんに守ろうとするのではなく、「今週は”節制”に集中して気を付ける」といったふうに、順番に”一兎”を追うことにしたのです。

フランクリンの13徳を列挙してみると、次のようになります。

  1. 節制:飽きるまで食べないこと。酔うまで飲まないこと。

  2. 沈黙:自分と他人に無益な話をしないこと。むだな会話は避けること。

  3. 規律:物は場所を決めて置くこと。仕事は時間を決めてすること。

  4. 決断:やるべきことがあればやろうと決心すること。決心したことは必ずやりとげること。

  5. 倹約:有益でないことに金を使わないこと。つまり浪費をしないこと。

  6. 勤勉:時間をむだにしないこと。常に何か有益なことをして、むだな行動はすべて断つこと。

  7. 誠実:嘘をついて人を傷つけないこと。無邪気かつ公正に考え、話すときも同じようにすること。

  8. 正義:他人の名誉を傷つけたり、自分の義務を怠ったりと、不実な行いをしないこと。

  9. 節度:極端を避けること。腹を立てるに値するような侮辱を受けてもじっと耐えること。

  10. 清潔:身体、衣服、住居の不潔を許容しないこと。

  11. 平静:ささいなこと、よくある出来事、避けがたい出来事に取り乱さないこと。

  12. 純潔:性交は、健康あるいは子づくりのためにのみ行うこと。快楽に溺れて頭を鈍らせたり、健康を損なったり、自分と他人の平穏や信用を傷つけたりしないこと。

  13. 謙虚:イエスとソクラテスを見習うこと。

こうした項目を手帳につけ、たとえば、「今週は”節制”に特に気を付ける」というふうに、実践具合についてマルバツをつけていったのです。そのほかの徳目も一応はチェックしますが、まずは「節制なら節制について特に集中する」という方法論をとったのですね。

これは非常に合理的な実践方法だと言えると思います。

私たちも自分にとって必要な徳目を列挙して、それらを一度に守ろうとするのではなく、「今週は”謙虚さ”に集中してみよう」というふうに、順番に実践していくと効果が上がるでしょう。

以上、「真理がなかなか身につかない」というテーマについて、色々な”コツ”を挙げてみました。

霊性進化は永遠の神的実在へ至る道であり、「これで完成した」ということはないものです。

焦らず、しかし倦まず弛まず精進してまいりましょう!

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