密教:真言(マントラ)による即身成仏は可能か?

マントラ

密教は、大乗仏教の最終ランナーとして登場しまして、自らは金剛乗(こんごうじょう)と名乗っています。

インドでは、民間人の生活・儀式に密接に関わっていたヒンズー教に押されて、仏教が衰退していったのですが、

その対応策として、仏教側も現世利益的なマントラ(真言)信仰を取り入れていった、というのが歴史的経緯です。

真言宗では、身・口・意(しん・く・い)を整える(=三密加持・さんみつかじ)ことによって大日如来と一体化する、という修行法で、口の部分がマントラを唱えるということになります。

身のところでは印契(いんげい・様々な手の形)を結ぶわけですね。

そして意のところで如来と一体化する瞑想をする。
*この瞑想を、入我我入(にゅうががにゅう)と呼んでいます。

その結果、この身このままで成仏が可能であるという考えです。これが即身成仏(そくしんじょうぶつ)の思想です。

最初に私の考えを言っておくと、真言を唱えても、印契を結んでも、入我我入の瞑想をしても即身成仏は無理だと思います。

三密加持によって即身成仏が可能であるならば、真言宗の系統で平安時代以降、影響力のある僧侶が沢山でてくるはずですが、ほとんど出てきませんね。

無理、というのは言いすぎかもですが、一般人にとって再現性のある修行法ではないな、というのが、現時点での私の結論です。

空海の天才性をもって、成し得たのが即身成仏だと思います。

とりあえずは、マントラにだけ限って話しを進めます。

いわゆる言霊(ことだま)のパワーがやはりあるんじゃないか?そのパワーにあやかって、仏陀の悟りを得ることができるのではないか?という論点です。

言霊というほとではありませんが、たとえば、短歌や俳句を英語に翻訳しても、味わいが伝わらないというのはありますね。

 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり (正岡子規)

この歌を英語であれ他の言語に訳しても、「花が畳に届いていないんです」「え?それで?」となりますよね(笑)。

やはり、日本語特有の音韻が歌にちからを宿しているわけです。

ただ、歌や詩と違って、悟りには内容がありますからね。というより、内容のほうが重要であって、音韻は「あればあったほうがいい」という序列だと思います。

実際、イエスの「山上の垂訓」はじめ、様々な説法を口語訳と文語訳で比べても、文語訳のほうがバイブレーションが高いと思います。

これは、文語が優れている、という単純な問題ではなくて、文語訳した方の悟りが優れているのが原因だと思います。

また、仏教で有名な「般若心経」がありますね。このお経も随分有名になるだけあって、やはり翻訳した人物(玄奘・げんじょう)の悟りが優れているのだと思います。

そういう意味では、オリジナルの言語に忠実であればいいという問題ではないな、と。

釈尊の説法がテープに残っていてテープ起こしでもされていれば話は別ですが、仏典が文字で編纂されたのは、釈尊没後数百年後なので、パーリ語でも梵語でも言霊はほとんど失われているように思います。

そもそも釈尊はサンスクリット語を使っていたわけではなく、説法で使ったのはマガダ語というインド東部で使われていた一種の方言だと言われています。

サンスクリット語は雅語(がご)と言いまして、これはもともと書き言葉です。

歴史的には、釈尊没後、インド西部でパーリ語に訳され、小乗仏教の経典へ。一方、大乗仏教ではサンスクリット語で仏典が編纂されていった、というのが順序です。

そして、それがさらに漢訳されたりしているわけですね。

そういう意味で、当然、釈尊オリジナルの言霊ではなくなっているでしょう。

なので、言霊パワーで仏陀の悟りを、という論理にはやはり無理があると思います。

そういうわけで、

マントラを唱えて、「何か霊的な働きかけがある」と実感できたとしても、それは釈尊の悟りとは別物、と考えたほうが良いですね。

ましてや、意味もわからずマントラを唱えても、気分は密教修行者ということですが、それは気分のレベルを出るものでもないなと思います。

「即身成仏」の「成仏」がどこまでのレベルを指しているかにもよると思いますが、釈尊や空海レベルの悟りを一気に体現するのは三密加持の修行でも無理だと思います。

また、近道でもないと思いますね。

むしろ、空海が「密教に比べるとレベルが下である」とした顕教(けんぎょう・地道に悟りを重ねていく教え)のほうが、一般人にとっては再現性の高い修行方法であると思います。

空海の悟りは日本の仏教史上、最高のものであったと思います(この点はまた別の記事で述べます)ので、そのこと自体を否定するものではありませんが、

あくまで悟りの方法論として「マントラを唱えれば〜」、というのには一定の疑問がある、ということです。

ただ、おそらく例の魔法界の話につながりますが、「マントラをありがたく唱える霊界」というものが、マントラブームののち存在するようになって、そちらのほうからの働きかけはあり得るでしょうね。

地上でそういう信念がたつと霊界でも感応してきますのでね。

参考記事:「魔法・仙人・天狗系スピリットの特徴と付き合い方

でもその「マントラ霊界の悟り」は、仏教が本来目指していた主流の悟り、つまり、「智慧と慈悲の悟り」とは別物だということは知っておいたほうが良いと思います。

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