テーラワーダ仏教– tag –
-
ワンネス、仏教、宇宙。そしてネオ仏法の悟りへ
ワンネス(oneness)とは、その名の通り、「ひとつであること」を意味します。 私たち一人ひとりの人間も、動植物も鉱物も、それぞれ”違い”があり個性を持っていますが、そうした相違性・分離性を超えたところに、大いなる宇宙的な意識があり、その宇宙意... -
上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教の違い – いかに対立は解消されるか?
異端認定で”正統”を絞り込んでくるキリスト教と違って、仏教はおおむね寛容な歴史を展開してきたと言えるでしょう。 異説が生じても論争はしますが、「まあ、それはそれで」ということで、袂(たもと)を分かっていくだけなのですね。 解釈の違いは歴史的... -
仏教の無我の境地とは「没個性」という意味ではない
無我について、今回は実践論的な観点で書いてみます。 【死後、群魂の中に溶け込んでしまうわけではない】 無我について、一般的に勘違いしやすいのが、「自我を滅却するのだから、個性がなくなってしまうこと?」という解釈かな、と思います。 実際、マイ... -
涅槃(ニルヴァーナ)に達するとは?わかりやすく意味を解明する– テーラワーダ仏教批判④
テーラワーダ仏教批判の第四回目です。 *シリーズ全体はこちらから⇢テーラワーダ仏教批判 今回の「涅槃論」がおそらくは、上座仏教(テーラワーダ仏教)が釈尊の本意を誤解しているところの最大の論点である、と考えています。 【涅槃=甘露=不死の等式... -
仏教と倫理を巡る問題 – 有漏善と無漏善についての考察
【福徳を積むことは解脱・涅槃に資さない??】 テーラワーダ仏教批判の第三回目です。 最近、『大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか』(大竹晋・著)という本を読んだのですけどね。仏教に興味がある人にとっては結構話題になっている本であ... -
阿羅漢と仏陀の違いとは。そして菩薩の登場
「テーラワーダ仏教批判① – テーラワーダ仏教は部派仏教の一派の流れに過ぎない」の続きですが、独立したテーマとしても読めるように書いてみました。 【阿羅漢(アラカン)と仏陀、菩薩の違いとは?】 ”阿羅漢”と”仏陀”はオリジナルでは違いはなかった 阿... -
テーラワーダ仏教批判① – テーラワーダ仏教は部派仏教の一派の流れに過ぎない
現代の仏教を論じるにあたり、テーラワーダ仏教の存在を抜きに語ることはできません。 テーラワーダ仏教とは、「上座仏教」「南伝仏教」とも言いますが、現在では、スリランカ、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどで広まっている仏教です。 日本で...
1