「上座仏教(テーラワーダ仏教)では悟れない理由 – ①総論」の続きです。
阿羅漢とはそもそも何なのか?
上座仏教では、阿羅漢(アラカン)になるのが修行の最終目的であるわけですが、言葉の定義上で言えば、これは釈尊の時代(原始仏教)からそうだった、ということになります。
ただ、あえて上座仏教に対して大乗運動が起きてきた、ということは、やはり、大乗運動を起こした側からすると、「それは違うんではないか?」という疑問があったということですね。
大乗仏教を起こす必然性があったということ。
それは、つまり、「今の仏教のあり方は、釈尊の真意とは離れていっているのではないか?」ということでもあり、そこのところを解析するキィワードのひとつが、「阿羅漢(アラカン)」ということになると思っています。
まずは、阿羅漢とはなにか?という一般的な定義から入っていきます。
阿羅漢という言葉自体は、仏教オリジナルではなくって、仏教以前のインドですでにあった言葉です。
簡単に言えば、「悟った人」「覚者」という意味であって、そういう意味では、「仏陀」という言葉とほぼ同じ意味なんです。オリジナルとしては。
なので、仏典で釈尊を紹介する箇所を読むと、「阿羅漢にして、仏陀、…」という記述をよく見かけるのはそういう理由です。
阿羅漢と仏陀はやはり違っていた
それでは、本当に阿羅漢と仏陀は同じなのか?
仏教以前はそうであったとしても、仏教オリジナル、つまり釈迦教団が成立してからの阿羅漢とはいったいどういう意味で使われていたのか?ということが次の問題になるわけです。
仏教書をいろいろ読んでいると、おおかたの解釈としては、
- 阿羅漢と仏陀は悟りの内容は同じである
- ただし、仏陀は最初に悟り、そして多くの弟子を阿羅漢に導いている存在
と、ざっくり言うと、これだけの違い、という解釈です。
まあ、ここのところがですね、仏典を読むと、たしかに「私と同じ悟りに…」というふうに読めるので、「仏典にそう書いてあるじゃないか」と言われると、なんとも言えなくなってしまうのですけど。
でもこういうところが、総論で書いたところの、「もはや、学問や文献では立証できない」というところでもあるわけで。
「では、実際はどうであったか?本当に阿羅漢と仏陀は同じ悟りだったのか?」ということですね。ここのところをご説明していかないと話が進まないんですよね。
結論から先に言ってしまうと、やはり、阿羅漢と仏陀の悟りはぜんぜん違います。原始釈迦仏教においても、そうでした。
ただ、釈尊がいわゆる悟りを開いて(大悟して)、その後、ちょっとした逡巡がありながらも、「やはり、伝道していこう」という決意をなされたと。
そして、最初の説法がいわゆる、初転法輪(しょてんぼうりん)と呼ばれるわけですが。まあ、はじめはもとの修行仲間であった5人に説法をされたんですね。
そのときに、その5人のうちのひとりであるコンダンニャという人が「わかった!」と叫んで、釈尊も「コンダンニャは悟った!」という。
なんでビックリマークがついているのか?(笑)
まあ、それだけ革新的な教えであり、またそれが腑に落ちた喜びなのでしょう。それで、残りの4人も次第に悟って、阿羅漢になった、という話の流れです。
*もっとも、コンダンニャの「悟り」は阿羅漢ではなくって、阿羅漢にいたる出発点である預流(よる)という段階であった、という解釈もあります。
*参考記事:
「四向四果(しこうしか)と解脱(げだつ)」
「預流果 ー 聖なる世界へ還るためのメソッド①」
宗教に限らず、組織の立ち上げ時期っていうのは、やっぱりちょっと判定が甘くなってしまうというのは、よくあることで。
たとえば、自営業でご主人が社長で奥さんが経理、という段階であれば、「奥さんが経理をやっていることで銀行の信用が大きくなる」とよく言われますが、
会社組織が100人、200人、300人になった段階で、やはり奥さんが経理を続けているとどうか?というと、これは今度は銀行から見ると「危ういでなないか?」というふうに変わっていってしまいますよね。
数百人の規模になると、やはり専門家が必要で、奥さんが経理っていうのはだんだん無理が出てくると。
それと同じことで、仏典では、「仏陀にして、阿羅漢、……である釈尊」ということで、阿羅漢=仏陀=釈尊、という図式になっていますが、
これは実はずっと初期の段階の話なんです。釈迦教団の立ち上げ時期の話です。
「仏教以前では、阿羅漢と仏陀はほぼ同じ意味だった」と前述しましたが、
やはり、教団の立ち上げ期は、伝統的な言葉を借りつつ、それとかけ離れた意味をもたせるのは戦略としてもマイナスであったんです。
それで、釈尊ご自身も、「私は、仏陀になっのだ、阿羅漢になったのだ」というふうに、仏陀=阿羅漢の図式で宣言されていたわけです。
そしてさらに、「あなたがたも私と同じ筋道をたどれば阿羅漢になれる」というふうに説きましたし、
実際には(初期ですよ)釈尊自身も「阿羅漢と仏陀の悟りの内容は同じ」といった趣旨の説法もされていたと思います。
ただ、これは一種の謙遜でもあり、また、上述したように、組織の立ち上げ期に、あまり大きく偉そうに出るのはよろしくない、という思いもあったでしょうし。
かつ、実際は釈尊の悟りの内容も、菩提樹下の悟り(=大悟)からずっと変わらなかったわけではなく、「悟りの深まり」というのがあったんです。45年間の釈迦教団の歴史の中で。
ここのところは、「大悟は究極の悟りであるから、悟りの深まりがあったというのは論理的におかしいのではないか?」という批判もあるかと思います。
まあここはね、結局、「そもそも”究極”とは何であるか?」という内実をぐぐっと詰めて考えなきゃいけないところなんです。
ここを解説しようとすると、それだけで数記事必要になってきますので、今回は深入りしませんが、
以前、ちろっと申し上げたあれですね、
「悟りというのは、「悟ってない – 悟った」という二分法では語れない、「悟ったか、悟ってないか」「ゼロかイチか?」というデジタルなものではなく、
もっとずっとアナログなもの」というふうに書いたこともあったかと思いますが、簡単に言えば、そういう説明になります。
そして、「悟った」「大悟した」あとにも、まだまだ”アナログ的に”さらなる悟りは続いていくということなんですね
また、出家・在家を問わず、信者が釈尊を見る目もやはりだんだんに変わっていたんです。釈尊の位置づけがどんどん上がっていったわけです。
ここのところも、仏教書を読んでいると、「釈尊没後に神格化が進んでいった」と書かれていますが、まあ、それももちろん事実ではありますが、
実際は、釈尊在世中にも、一種の”神格化”がだんだんと形成されていったというのが実情です。
もちろん、キリスト教的なクリエイター、GODというまでの位置づけではありませんが、やはり、「一切智者」として唯一無比の存在である、という信仰は集めていました。
「仏教には信仰はなかった」などと書いている人もいますが、ここもあまり言葉の厳密性にとらわれると本質を見失ってしまいます。
仏教では、信仰のことを「帰依」と呼んだりしますし、帰依といっても盲目的な信仰ではなく、(程度の差はあれ)「理性的な納得感」という側面も重視していたのは事実です。
ただそれも、釈迦教団の教勢が拡まるにつれて、「釈尊が言うことだから真実なんだろう」という、いわば、理性からテイクオフした「信仰」というレベルも許容範囲になっていったのです。
阿羅漢の認定は、現在考えられているほど厳しい基準ではなかった
なので、阿羅漢ですね。
まずは、仏陀と阿羅漢はやはり違った受け止め方がなされるようになってきた、という話をしてきましたが、
阿羅漢の認定についても、現在、上座仏教で考えられているような、「涅槃を得た究極の悟り」というレベルではなかったということです。
(…というか、そもそも「涅槃」の解釈にも誤解があるのですが、それはまた別トピックで詳述します)
教団初期の頃は若干、甘い認定でしたし、中期・後期になった頃であっても、そのころは一定の基準は設けていたものの、
釈尊が「◯○は阿羅漢になった」と宣言するか、もしくは、高弟の誰かが、「彼はもう阿羅漢ではないか?」という動議をして、それに対して高弟の間で同意が得られれば、それはもう「阿羅漢である」という認定の仕方ですね。
法(釈尊の教説)の全体像を理解し、ある程度人格レベルに落とし込み、説法能力もある、サンガのなかで指導者としてもふさわしくなった…いわば、そういったレベルでの認定です。
なので、仏典を読むと、誰かが仏教に帰依したという、まあ一種の体験談ですか、そういう話では、末尾に決まり文句のように「…そして彼は阿羅漢になりました」といったような結びですね。これがよく出てきますが、
これは、「お姫様は王子様といつまでも幸せに暮らしました」みたいな。
「彼は阿羅漢になったけど、その後、堕落して一般ピーポーに戻ってしまいました」では、ちょっと仏典としての権威が下がってしまいますよね。
まあこういうことを言うと、がっくりくる方もいらっしゃるかもですが、一方では、ほっとする方も多いはずです。
特に、上座部仏教のトップの方であっても、そして、その教え・禅定(マインドフルネス)を長年続けている方であっても、
「一向に阿羅漢になれない」「釈尊の時代にはあれほど続出したのに。われらが上座部は、釈尊の直説をキッチリ受け継いでいるはずなのに…なぜだ!?」というふうに、人知れず悶々とされている方も多いはずです。
それはそのはずで、
「いや、釈尊時代の阿羅漢というのは、「究極の悟り」という意味ではなく、もうちょっと緩かったんですよ、認定は」というのがひとつの答えであります。
仏教を専門に勉強されている方からすると、「いや、四沙門果(ししゃもんか)を説いている仏典に照らし合わせると…!」という言い分もあるかと思いますが、
…まあ、これ仏典も、やはり釈尊の直説通りに、正確には伝わっていないんですよね。
こういう話を聞いてみると、「なんだ、そうだったのか」と素直に思ってくれる読者も一定の割合でいらっしゃると思いますが、
私の説明っていつもそうでしょうが、「聞いてみると、なるほど、と思うが、一方で、何だそんなもん!?」みたいな。コロンブスの卵みたいなところがあるでしょう?
そう。真実って意外に、「あたりまえ」の積み重ねであるのです。
なので、順番にご説明していくと、コロンブスの卵的なものに必ずなってしまうのですけどね。
まとめ
とまれ、今回は、
- 阿羅漢と仏陀は、釈尊の時代であっても、だんだんと違う「悟り」として受け止められるようになってきた
- 釈尊の神格化は、釈尊在世中にもだんだんと大きくなっていった
- 阿羅漢の認定は、上座部仏教が思っているほどには厳しいものではなかった
という話でした。
次回は、福徳=善行=利他は涅槃(ねはん)に資するのか?という問題を扱ってみますね。
→「上座仏教(テーラワーダ仏教)では悟れない理由 – ②福徳(倫理)を除外した解脱はありえない」