執着– tag –
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キリスト教/ イスラム教/ユダヤ教
「心の貧しい人は幸いである」は誤訳なのか? – ギリシャ原語、英訳から考えてみる
「心の貧しい人は幸いである」は、一般に「山上の垂訓」あるいは「山上の説教」と呼ばれるイエスの説法のなかの一節です。イエスの教えの中でも、もっとも有名でかつ格調が高い説法でしょう。 まずは、「山上の垂訓」全体を新約聖書(新共同訳)から引用し... -
仏教
無我と無私の違い – 実践論としては、無我=無私の理解で良い理由
無我と無私については、字面も似ていますし、無我(我が無い)、無私(私が無い)ということで、意味的にもほとんど同じに見えるでしょう。 ただ、ネットで検索すると、「無我と無私は違う」という意見が大半ですし、また、無我は仏教用語であり、無私はど... -
仏教
解脱と涅槃の違い – 仏国土論としての涅槃まで見抜いていく
解脱と涅槃については、個人的には、仏教のなかで最も誤解されている概念だと思っています。 仏教書を何冊か読んでも、「解脱、涅槃とは何か、どうもスッキリと腑に落ちない」という方が多いのではないでしょうか? 上座仏教では、涅槃にほぼ近い概念で、”... -
仏教
仏教の慈悲とキリスト教の愛(アガペー)に違いはあるか?
仏教は「慈悲の宗教」と言われることもあり、一方でキリスト教は「愛(アガペー)の宗教」とおおまかには理解されているでしょう。 ”慈悲”も”愛(アガペー)”も広く「他者の幸福のために善い行いをする」という意味では共通点がありそうです。 今回は、仏... -
『般若心経』の悟りを超えて
心無罣礙
前回の続きで、今回はシリーズ23回目です。 *シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -① *『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 心無罣礙 読み:しんむけいげ 現代語訳:心にひっかかりはない 罣礙(けいげ)は... -
『般若心経』の悟りを超えて
無苦集滅道
前回の続きで、今回はシリーズ18回目です。*シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -①*『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 無苦集滅道 読み:むくしゅうめつどう 現代語訳:苦集滅道(の四諦)も無い 例のご... -
テーラワーダ仏教批判
阿羅漢と仏陀の違いとは。そして菩薩の登場
「テーラワーダ仏教批判① – テーラワーダ仏教は部派仏教の一派の流れに過ぎない」の続きですが、独立したテーマとしても読めるように書いてみました。 【阿羅漢(アラカン)と仏陀、菩薩の違いとは?】 ”阿羅漢”と”仏陀”はオリジナルでは違いはなかった 阿...
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