”情けは人の為ならず”の、さらに奥にあるもの

「情けは人の為ならず」は、
「他人に情けをかけることは、めぐりめぐって自分に還ってくるものだ」
という意味ですね。

よく、
「情けをかけることは結局、相手のためにならない」
という意だと誤解されているのは、「ならず」が
現代語をベースにして解釈されてしまうからです。

***

古典文法で、「人の為ならず」を説明すると、

 断定の「なり」+ 打ち消しの「ず」

で、

「人のためだ」+「〜ではない」

 「人のためではない」

ゆえに

「自分のため(にやるもの)である」

と、スッキリくるわけです。

***

「情けは人の為ならず」は、
このように、奥深いことわざではあるのですが。

精神界の秘儀から言えば、
じつは、もっともっともっと奥深い意味があるのです。

精神界の秘儀とは何か。

それは、

「めぐりめぐって自分に還ってくる」
ということももちろんあるでしょうが、

それ以前に、

「情けをかけた瞬間に(その情けは)自分のポイントになる」

という法則があるのです。じゃじゃん!

***

スピ哲で繰り返し書いていることですが、

本来の成功とは、
「エナジー(個性ある意識体)としての自分を、神々に近づけてゆくこと」
なのです。

近づけていく、というのはすなわち、
自らの性質を神々の性質に似せていくということなのですね。

で。

神々の性質とは何かというと、
「太陽のように与えきりの、無償の愛の存在である」
ということになります。

(古今東西、”太陽信仰”があるのは、実は、こういう意味合いがあります)

ということは・・・、

他人に愛を与えた、その瞬間に、
神々の性質と同じものを発揮したということになります。

つまり、与えた時点で、スピリットとして、
神々に一歩近づいたということ。

近づいたということは、
エナジーとして”成功した”ということになります

つまり、「めぐりめぐってくる」というのは、
物質界的に、自分に恩恵が還ってくるということも
あるかもしれませんが、

本来の自分というのは、エナジーとしての自分なので、
「めぐりめぐって還って云々」はオマケみたいなものなんですよ。

めぐりめぐらなくても、愛を与えたその時点で、
与えた愛の分量だけ、スピリットとしての自分を
成長させた(神々に近づけた)ということになるんですね。

***

そういうわけで、”情けは人の為ならず”と
はじめに言った人が、どこまでの意味合いを
悟っていたか、にもよるのですが、

精神界の法則から言えば、

「情けをかけた、まさに瞬間に、その情けは自分のものになっている」

というのが真実なのです。

 

 

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