臓器移植・臓器提供については、かなりの議論があります。
「どうせ死にゆく身であるならば、自らの身体を人様のお役に立てたい」というのは、ひとつの善行であり、菩薩行であるかのようにも思えます。
一方、脳死を前提とする臓器移植・臓器提供は、「死とは何であるか?」「どこからどこまでが生であり、死であるのか?」という生命倫理に抵触するのではないか、という懸念もあります。
死の定義については、世界宗教(仏教、キリスト教、イスラーム)においても、かっちりとした答えが出ているようには思えません。
それらの宗教の開祖(仏陀、イエス、ムハンマド)自身が「生と死の境目について」明確に語っていないため、後世、当時の風習・慣習に従ってある程度の「見解」が出されている程度にとどまっているように思われます。
従って、近代以降のスピリチュアリズムを参照にしつつ、ネオ仏法としてひとつの見解を出してみたいと思います。
結論から申し上げると、「臓器移植・臓器提供は止めておいた方が良い、なぜなら激痛を伴うから」なのですが、その理由を順を追ってご説明していきます。
どこからが「死」であるのか?
”死んで”間もなくの期間はエーテル体(幽体)をまとっている
どこからどこまでが”死であるのかについては、種々の議論が大昔からあると思います。
現代では、心臓死の段階か、脈拍が停止し瞳孔が開いている段階か、脳死の段階か、ということが議論になり、臓器移植との関連でいえば、「脳死をもって死とする」を前提として進められていることでしょう。
ところが、肉体の機能が停止しても、霊的真理からいえば、それはまだ”死”ではないのです。

人間は肉体を脱ぎ捨てた段階では、まだエーテル体(低位アストラル体、幽体)が残っている状態です。
*ここらへんの用語については種々のスピリチュアル文献によって違いがありますが、用語は本質的な問題ではないので、”エーテル体”で話を進めてまいります。
宗教やスピリチュアル、ネオ仏法においても、便宜的に、
肉体ー霊体
という二元論でご説明することが多く、それは「便利だから、理解しやすいから」が理由なのですが、実際は玉ねぎの皮を剥いていくように(神智学的な分類に従えば)、
肉体→エーテル体→低位アストラル体→高位アストラル体→メンタル体→コーザル体…
といったふうに、次々と霊的な”皮”を被っているのが実情なのですね。
そして、「今どの皮を被っているか、で霊格が決まる」ということにもなるのです。
参考記事:霊格の段階(魂のレベル・階層)一覧と霊格を上げるための公式とは?
エーテル体(幽体)とは何か?
肉体の次の衣であるエーテル体は、生きている時の身体が文字通り「生き写し」であり、外見があり、臓器なども備えています。意識もあります。
なので、たとえば医学的に「死んでいる」ように見えても、周囲の声などは聞こえていますし、(手術室での)医者の会話なども聞いているのですね。
そこで、「臓器の摘出をしよう」などと決定されたら、驚愕します。「オレは(私は)まだ生きている!」と(意識的に)もがいている状態です。
実際は、後述するシルバーコード、これは肉体とエーテル体を繋いでいる”糸”のようなものですが、この「シルバーコードが切れない限りは」肉体の痛みも伝わっていくのです。
通常の人の場合、エーテル体は(霊的な)死後の期間も、その人がまとっている”衣”として機能し、そのエーテル体の状態で死後の生活を送ります。

霊界でも「低位霊界」と呼ばれる世界ではエーテル体(もしくは、低位アストラル体)の状態で死後の世界を過ごすことになります。
そこで霊的覚醒が進んだ人は、エーテル体をまた脱ぎ捨て、次の霊体の衣をまとって生活していくわけです。
死とは「シルバーコードが切れた瞬間」
従って、霊的真理から見た”死”とは肉体と霊体を結んでいるシルバーコード切れた瞬間であり、シルバーコードが切れないでいる間はまだ肉体の痛みが直接的に感じられるのです。
シルバーコードが切れてからが本格的な”死”であり、そこで、故人となっている親類縁者や守護霊、菩薩などの「お迎え」が来て死後の導きが始まるという順序です。
ちなみに、いわゆる「臨死体験」もまだシルバーコードが切れていない状態で起こる事態であり、シルバーコードは不思議なことにどこまでも伸びていく”糸”のようなものですから、まだ死ぬべき段階にない人の場合、また肉体に戻って蘇生することがあるのです。
私たちが睡眠中、夢を見ているときも、実は肉体から抜け出して(シルバーコードが繋がれているまま)霊界を訪れていることが多いのです。

これは霊的なエネルギーチャージのためでもあり、また、いつかは来る本格的な死後、霊界での生活をなるべくスムーズに進めていくための、いわば「予習」になっているのです。
ともかくも、繰り返しますが、(霊的な真理から見た)「死とは、肉体とエーテル体を結んでいるシルバーコードが切れた瞬間である」と定義することができます。
臓器移植・臓器提供を止めておいたほうがいい理由
臓器移植手術は激痛が伴う
上述してきたことでだいたい想像がついたかと思いますが、脳死の段階ではまだシルバーコードが肉体とエーテル体を繋いでいる状態であり、エーテル体は「痛み」を(肉体と同様に)感じるのです。
ですので、臓器摘出手術などをすることは、麻酔なしに身体にメスを入れられるのと同じことで、非常な激痛を伴うことになります。
エーテル体的意識のなかでは、「オレは(私は)まだ死んでいない!」と叫んでいるような状態ですので、意識も混乱した中で手術の激痛を迎えることになるのです。
これは魂にとって、驚愕の体験であり、霊的トラウマも残します。
あなたは、生身の身体に麻酔なしでメスを入れられ、臓器を摘出されることと同様の処置・痛みに耐えられますか?

脳死における臓器移植・臓器提供というのはそういうことなのです。驚愕と激痛の体験なのです。
それを承知した上で、なおも「人様のお役に立ちたい」と思えるのであれば、それもひとつの善行であると言えるかもしれませんが、ほとんどの人がそうしたことを知らずに、お気軽な”善行”の気分で「臓器提供意思表示カード」などを携帯してしまうのです。
そして、驚愕と激痛の体験を迎えることとなり、霊界へもスムーズに旅立てなくなる結果になっていくのです。
ですので、「臓器提供意思表示カード」をお持ちの方は今すぐ破棄することをお勧めいたします。
臓器移植がなかなかうまくいかない理由
一個の人間に意識があるように、じつは個々の臓器にもその臓器の個性的な”意識”とでもいうべきものがあります。
したがって、臓器はオリジナルの個性を持っていますので、「機械の部品のように取り替える」というわけにはいかないのが本当のところです。

移植された相手の個性と提供者の臓器の意識が合わず、いろいろと齟齬をきたすことが多いのです。
これが、臓器移植がいろいろと難しい術後の経過を辿ることが多い理由なのです。
それどころか、臓器の提供が一種の”憑依現象”となって現れることがあり、不幸な自体を招くこともあります。
お通夜にも霊的な意味がある
上述したように、肉体とエーテル体を結んでいるシルバーコードが切れた瞬間が「死」であり、それには通常24時間ほど時間がかかります。
実はそのために「お通夜」というものがあるのです。
昔の人の方が現代人よりも霊的に敏感であり、本能的にそうしたことを悟っていたのです。
お通夜を行うことで時間的に間を空けて、シルバーコードが切れる瞬間まで余裕を持たせることができるのですね。
また、お通夜によって、死にゆく人が霊的覚醒の時間を稼ぐことができるというメリットもあります。
参列する人々にとっても、「生とは死とは何か?」と思いを馳せ、霊的真理への目覚めの切欠となることがある貴重な機会となっています。
”直葬”も止めておいた方が良い
臓器移植・臓器提供とまったく同じ理由で、死後、すぐに火葬場で肉体を焼いてしまう、いわゆる「直葬」もスピリチュアル的な観点では止めておいたほうがいいのです。
これはもちろん、上述してきましたように、死後すぐにはシルバーコードが切れておりませんので、その状態で火葬場で焼かれることは、非常な激痛と驚愕の体験となります。
霊的トラウマにもなりますし、霊界へもスムーズに旅立つことが難しくなります。
やはり、お通夜・葬儀などにもそれなりの意味があるのです。
経済的事情で「家族葬」など葬儀をコンパクト化するのもやむを得ないこともあるでしょうけど、最低限、肉体の死後24時間は空けて火葬に臨むようにしましょう。
以上、スピリチュアル的(霊的)真理からみた臓器移植・臓器提供の危険性を述べてきました。
臓器移植にはやはり背後に「人間機械論」的な価値観が横たわっています。
そうではなく、人間は神的実在から分光されてきた「神性」を持つ存在であり、そこにこそ人間の尊厳と倫理的基礎があるのだということを悟ってまいりましょう。



コメント
コメント一覧 (2件)
>近藤ヒカルさま
ああ、この記事を書いて本当によかったです。
ヒカルさんのようにだいぶ前からネオ仏法の記事を読んでいた方でも、
臓器提供に◯をされていたことに、ひやっとします。
ぜひ、早めに変更されることをお勧めいたします。
また、同じように知り合いで臓器提供に◯をしている方がいらっしゃいましたら、
真実をお伝えください。
よろしくお願いいたします(._.)
私はマイナンバーカードの臓器提供欄のところ、「2.心停止後に限り、臓器を提供する」に〇をしています。しかし、シルバーコードの糸が切れるのが24時間後だとして、24時間経ってから手術が行われる保証は無いわけです。
そう考えると、やはり臓器提供をしない、に意思表示を変えた方が無難そうですね。
それから、過去に脳死した子供の親が臓器提供の意思を表示し手術を行ったニュースを見たことがありますが、生身にメスを入れられたその子の苦痛を思うと本当に心が痛みます。