ご質問
質問)昨日、職場の人と話をしているときに、
「そもそも、何で「感情」なんていうものが存在しているのだろう??」
といった話題になりました。「喜怒哀楽のような「感情」がなければ、
楽に生きられるのにな~」
ということを職場の人が話していました。僕はこの疑問に対して、
答えることができませんでした。このときすぐに、
高田さんにおたずねしたいと思いました。「感情」がなぜ存在するのか??
もしよろしければ、
高田さんのご意見をお聞かせ頂けないでしょうか??(N・Fさん)
お答え
これはですね、
まず、「ラクに生きられる」のが人生の目的ではないからです。
…ということは、根本仏が地上世界を作られた意図も「ラク」を目的としていないってことですね。
感情のブレというのは、広い意味で他者との関わりで出てくるものですよね。
(とりあえず食うに困らない前提で)山寺で静かに禅のような生活をするとか、、そういう生活パターンだと、感情のブレはほとんどないはずです。
ということは、感情のブレというのは、
(自分の)自我 ✕(他者の)自我
の相克で出てくるものなんです。
この相克は、いっときはキツく感じられる時があるかもしれませんが。
これがあるからこそ、「克服しよう」「調整しよう」という、魂の向上につながってくるんです。
なので、
感情が起こらないように創造されたとしたら、逆に言えば、魂の向上もないと。
…ということは、別に宇宙を作る必要もなかったと。笑
ココまで話がきちゃいますね。
そういうわけで、
人間的な心があるということは、思いがあるということであり、思いのなかにはどうしても感情はありますね。
そして、自我Aと自我B(あるいは、社会C)との相克のなかで、喜怒哀楽のパターンが現れてくると。
でも実際は、この自我同士の相克があるからこそ、進化の原理につながっていくということです。
また、弁証法的(中道)にいえば、
相克→調和、の過程こそが、まさに進化なんですね。
相克を克服して、調和にいたったということは、それ以前より、上位の認識を獲得したということなので、これは別の側面からいえば、”進化”です。
ということは、実は、進化と調和というのは、同じものを別の側面から表現したものであって、本来は、同一のものなんですね。
なので、これは、大宇宙の創造の意図の根本に関わってきます。
進化と調和の二大原理を同時に達成していくこと、その「ダイナミクスの中に、幸福感を感じよ」というのが、根本仏の意図です。
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