浄玻璃鏡とは一般に、地獄の裁判官である閻魔大王が亡者の生前の行いや思いを映し出し、裁く際に使われる鏡と言われています。
その鏡には、生前に「バレなきゃ構わない」と行為していたことがすべて映し出される。
行為だけではなく、思いまで映し出され、嘘・偽りは一切通じない、ということでかなり恐ろしいですよね。
浄玻璃鏡が本当に存在するのか?
私は「それに相当するものは存在する」と確信しています。
浄玻璃鏡が実際に”在る”として、それにいかに対処したら良いか、生前にできることはないか?
そこらへんを考えてみましょう。
目次
三途の川を渡る
四十九日とは何か?
人間は肉体の死を迎えると、いわゆる『お迎え」というものが来ます。
それは先にあの世に旅立ってた親類縁者であったり、知人・友人で合ったり、また自分の守護霊であったりするのですが、ともかくなんらかのかたちでお迎えに遭遇することになります。
それで、霊界にストレートに行くか?というと、そうでもないことが多く、多くの人はまだ地上世界(現象界)に執着を残しています、
自分が「死んだ(肉体の死を迎えた)」ということをわりとストレートに分かったとしても、「自分の死後、家族は大丈夫だろうか?」「財産分与はうまくいっているか?」など、いろいろと思い残しがあり、しばらくは地上付近に止まっていることが多いのです。
その地上世界にとどまっていられる期間のマックスがいわゆる「四十九日」の期間なのですね。
地上に留まり続ける魂もいる
(以下、執筆中)



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