お金とスピリチュアル – なぜ、お金に苦労するのか

お金とスピリチュアル

お金との付き合い方はスピリチュアル的・宗教的人格にとって、わりあい切実な問題です。

というのも、スピリチュアル的・宗教的な人格の人はけっこうな割合でお金に苦労する傾向があり、その一方で逆に、スピリチュアルをダシにお金儲けをするという方向性も見受けられるからです。

こうした「お金とスピリチュアル」の関係について、今回は深く掘り下げてみたいと思います。

目次

スピリチュアル的・宗教的人格の人はお金の問題につまづきやすい

過去生の影響でお金に対する罪悪感がある

これはタイトルの通りなのですが、スピリチュアル・宗教的人格の人は金銭的問題につまづきやすく、経済的に苦労する傾向があるのです。

なぜなら、仏教やキリスト教においても、「経済的な繁栄」は積極的に説かれておらず、むしろ、お金に対してネガティブな教えが説かれていることが多く、私たちは過去生においてそうした教えを学んでおり、魂の中に刻印されているからです。

たとえば、釈尊は金銀財宝を前にして弟子たちに、「そこに、毒蛇がいるぞ。かみつかれぬように気をつけなさい」と説いたこともあります。

毒蛇

イエス・キリストは、戒律を守ってきた青年が「永遠の生命を得るためにはなお何が必要か?という問いに対して次のようなやり取りをしています。

「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。(マタイによる福音書19:20-22)

もちろん、こうした教えは間違ったことではなく、金銭的な執着は真理への道を閉ざす傾向があり、やはり人は何よりも霊的真理を優先させることが肝要であることは今も昔も変わりありません。

ただ、現代では貨幣経済の真っ只中に私たちは生きておりますので、先に挙げた釈尊・イエスの教えを”文字通りに”実行してしまうと、そもそも暮らしていくことができなくなってしまいます。

現代ではより高度な「お金との付き合い方」が求められている

私たちはなぜ永遠とも思われる輪廻転生の過程にあるのでしょうか?なぜ、地上に生まれてくるのでしょうか?

それは、時代の変化とともにつねに新しい「学び」があるからです。

私たちはつねに「霊性進化(智慧の獲得)と同胞へ尽くすこと(慈悲の実践)」が求められており、また、それこそが真の幸福論の基礎でもあるのです。

現代では貨幣経済の真っ只中にあります。

そうであるならば、それを一概に否定せず、「貨幣経済のなかにおいて、いかに真理を学び実現していくか」が課題となっているのです。

貨幣経済

過去生においてはさきに述べたように、「金銭への執着を絶つ」修行をしました。

今回の人生においては、新時代においては、「お金と上手に付き合いつつ、かつ、お金に執着しない」という、より高度な魂のあり方が求められていると言っても良いでしょう。

スピリチュアル的にお金とどう付き合っていけば良いか

呪術スピリチュアは避けるべし

まず、前提として、当サイトの分類で言うところの「呪術スピリチュアル」は避けていきましょう。

スピリチュアルにも「真理スピリチュアル」と「呪術スピリチュアル」があるのです。

*参考記事:真理スピリチュアルと呪術スピリチュアルの違い

呪術スピリチュアルとは何か?

それは、手段を様々なスーパーパワーに求め、結果(目的)をこの世的な繁栄に置くようなスピリチュアルです。

手段(スーパーパワー) → 目的(この世的繁栄)

このような図式になっています。

あなたが接してきたスピリチュアルにこの図式に当てはまるかどうか考えてみてください。

実際は、ほとんどのスピリチュアルがこの図式に当てはまってしまう「呪術スピリチュアル」になっていることに気づくはずです。

呪術スピリチュアル

呪術スピリチュアルの何がいけないかと言うと、上述しましたように、金銭を含めたこの世的な繁栄・成功への執着を増大させてしまう結果になるからです。

そうしますと、そもそも、「この世(現象界)にわざわざ生まれてきた目的」から遠ざかってしまうのです。

現象界に肉体をもって生まれてきたのは、あくまで「霊性進化(智慧の獲得)と同胞のために尽くすこと(慈悲の実践)」にあるのです。

ゆえに、スーパーパワーの力を借りるにしても、あくまでも目的(結果)は、「霊性進化と同胞のために尽くすこと」に主眼を置かなければ、そもそも、何のために生まれてきたのか?という真の目的に反することになってしまうわけです。

*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします

”お金”はあくまで価値中立的なものである

先ほどから、「金銭に対する執着は断つべきである」と述べてきました。

それは結局、実在界に持って帰れるのは”心”だけだからです。

実在界が実際に存在すると仮定するならば、そのことはお分かりですよね。

俗に「墓場には持っていけない」などとも言いますが、私たちがこの世にて執着する金銭、地位、名誉、異性・・・などなど、みなあの世には持っていけず、この世に置いていかねばならないのです。

この世とあの世を貫いて、真の「自分」あるいは「自分の持ち物」と言えるのは、”心”しかないのです。

心

心しか自身のもの以外にあり得ないとするならば、結局のところ、「心をいかに磨き、美しくしていくか?」以外に、私たちは自分の価値を高める方途はないのです。

誤った執着の代表格が「お金、金銭」であるのです。

しかし、考えてみれば、お金そのものに本当に価値はあるのでしょうか?

お金に価値があるとされているのは、単に「社会的合意」に過ぎないのです。

それ抜きでは、お金は単なる紙切れです。

それゆえに、「お金そのものに価値がある」といった誤った観念を疑い、捨てていきましょう。

お金というものは、それ単体ではあくまで価値中立的なものであり、あくまでその使用者の心と使い方によって、善悪が分かれてくるものに過ぎないのです。

お金は「付加価値」の現世的表現である

私たちはなにゆえに金銭的報酬を得ることができるのでしょうか?

それは簡単に言えば、「働いたことの対価」としてしまえばそれまでですが、同じ時間を働いたとしても、ある人は多く稼ぎ、ある人は少ない稼ぎに甘んじてしまいます。

それはなぜかと言うと、「いかにその仕事が付加価値を生んでいるか?」の差なのです。

もちろん、反社会的なことや情欲を煽るような「悪しき付加価値」は論外ですが、それ以外の正当な働き・営みにおいては、やはり「社会にどれだけ有用性を提供したか?」という”付加価値”の部分が問われているわけです。

その付加価値の大小・質が金銭的報酬の大小になって現れているのです。

それゆえに、「今、自分が成している仕事がどれだけの付加価値を生んでいるのか?」を自らに問うてみましょう。

そこで、付加価値が低い、たとえば自分でなくともいくらでも代替が効く、ということであれば、それはどうしても金銭的対価が少なくなってしまいます。

なので、「どうすれば付加価値を高めることができるか?」が勝負どころであるのです。

付加価値

お金・金銭とは(反社会的な生業は別として)「付加価値の現世的表現形態」であることを銘記しましょう。

お金に対する肯定的な感情を育成する

上述してきましたように、宗教的・スピリチュアル的人格には「お金に対する罪悪感」を先天的に感じている人が多いのです。

それが潜在意識にあるため、ついお金・金銭的成功を遠ざける思いや行動をとってしまう傾向があります。

じつは私もかつてそうでした。

恥ずかしい話ですが、(私は小さな会社を持っています)、一時は月収10万円まで落ち込んだことがあります。

子どもができたことが切欠で「これではいけない」と思い、お金との付き合い方を徹底的に洗い直すことにしたのです。今から10数年前の話です。

そこで私は、「お金、ビジネス」と名のつく本を片っ端から読み、お金に対する肯定的な感情を育てていきました。

ある時、神田昌典さんの『非常識な成功法則』を読んで感銘を受け、その内容を徹底的に実践することにしました。

非常識な成功法則

その中に書かれていたことでやはり、「お金に対する肯定的な感情を養う」といった項目がありました。

今から思い返せば恥ずかしいくらいなのですが、たとえば、キャッシュカードでお金を引き出すとき、音がするじゃないですか。

その音を聞きながら、「なんて美しいせせらぎの音なんだろう!」などと心の中で唱えていたりしました。笑

いくらなんでもやり過ぎの感はあるのですが、もともとお金に対する罪悪感があったため、そのくらい極端な実践をしていかないと、なかなか罪悪感を払拭していくことができなかったのです。

今現在は、私は割合と多くの収入と資産を築けるようになりました。なので、ある程度、こうしたテーマで文章を書ける資格があるのかな、と思って書いているのです。

とにかく、お金に真剣に取り組みたい人は「お金との付き合い方」といった名のつく本を片っ端から読んで、お金に対する肯定的な感情を育んでいきましょう。

「貧者の一灯」は価値があるが・・・

仏教の言葉で「貧者の一灯」というものがあります。

富裕な人がその経済力の一部を(余裕資金で)仏陀教団に布施するよりも、貧しい人がそのなけなしのお金をお布施するほうが真理的に価値がある、とされています。

私はこの原理を否定するつもりはありません。

しかし、富裕な人が「真理の普及・伝導にお役に立ちたい」と真剣に願い、大きな布施を成していくことはやはり大きなおおきな力があることは事実です。

その心境の内実において、「貧者の一灯」の貧者に引けをとらないくらいの真摯な心で布施をなしていくならば、それはより偉大な行為であると言っていいのではないでしょうか?

貧者の一灯

私たちは貨幣経済の真っ只中にありながら、「金銭への執着を絶っておしまい」にするのではなく、むしろ積極的に経済繁栄を肯定し、さらに大きな布施をなしていくことこそが、新時代のより高度な布施業となっていくことを銘記していきましょう。

以上、「お金とスピリチュアル」というテーマで、現代における経済繁栄の意義について縷々述べてきました。

仕事の具体的な進め方、考え方、などについてはもっともっと詰めていくことができますが、それはまた別稿で書いていきたいと思います。

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