憲法改正論議が盛んで、自民党の憲法草案に対して
反対している人たちであっても、ある程度は、
国防について前向きになっているのは、
結構なことではないかと思います。
現行憲法については、GHQの占領下の時代に作られたものであって、
そもそも法源がマッカーサーにあるのでね。
そういう意味で、「日本国民の総意に基づいて」という憲法前文が大嘘
なので、やはり内容はどうであれ、僕の本音としては、改憲というより、
自主憲法制定の方向に行くべきだと思っています。
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ここで、憲法について、ちょっと変化球を投げてみるならば。
必ずしも、成文憲法を作る必要はない、ということです。
憲法の時代不適合性で問題を起こしているのは、
明治憲法に続いて2度目であることを考えると、
日本は成文憲法に適さない風土であるのかもしれません。
イギリスのように成文憲法を持たず、慣習法・判例の積み重ね
で決めていく、というのが歴史ある国家としては、
ひとつの行き方でもあるんですね。
法治国家というのは、たとえばローマにせよ、古代中国にせよ、
異民族が多い帝国型の国家に出てくるものです。
その点、民族の同一性が保たれ、世界一歴史の長い王朝を持つ
日本としては、帝国型にする必要はぜんぜんないわけです。
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帝国型では、元首を「皇帝」(カイザー)と呼称したりします。
「天皇」というと、皇帝のひとつのカタチだろうと思われるのですが、
実際は、王様=King、といったほうが、より、その性格を現していると
思うんですね。
Kingの、Kin、は、KinderとかKindとか同根の派生語をみて分かるように、
元来は「血族の長」という意味ですので、要は、民族の長ですね。
そういう意味では、天皇というより、それ以前の、大王(おおきみ)
という呼称のほうが相応しいのかもしれません。
また、現行憲法になってから、「象徴天皇」になった、
との解釈(というか、そういう条文ですので)ですが、
そもそも、日本の天皇はほぼ一貫して象徴天皇であったわけです、
歴史的事実としてはね。
天皇親政を執ったのは、神代の時代はさておき、天武天皇、
天智天皇、聖武天皇、桓武天皇・・・など十指に余るほどしか
おりません。
それ以外の期間は、たとえば、蘇我氏、藤原氏、平家、源家、
などが実際の政権運営にあたっていましたからね。
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日本人が法律を変えたがらない頑固さはどこからくるのか、
それは本音と建前を使い分けるのが、そもそも好きであって、
いったん作った法律をタテマエとしてしまうんですね。
その好例が大宝律令(のちに養老律令)で、
710年に制定されてから、建前上は、なんと明治憲法の
制定まで続いているんですね。笑
大宝律令制定後、つまり、律令国家としてスタートしたですが、
それは、公地公民制・班田収授法を代表とする、一種の
古代型共産主義のようなものだと解釈できるのではないかと思います。
ところが、公地公民だと、農民がいっこうに新規土地開拓をする気を起こさない
ということで、723年には3代に渡って私有を認めますよ、という
三世一身の法になりました。
しかしこれでもやる気がでない、ということで、743年の墾田永年私財法
つまり、ずっと私有でいいよーってことになり、公地公民制は
わずか30年足らずで崩壊しているわけです。
そういう意味で、「私有財産の否定はやっぱダメだわ」という共産主義の
実験は、日本はすでに8世紀に経験済みだとも言えますね。
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にもかかわらず、建前としては明治憲法の施行(1890年)まで、
律令制が続いているところが実に奇妙なところですよね。
イギリスに習って、成文憲法を作らないのもアリ、と書きましたが、
日本とイギリスは実に似ているところが多くて。
法律に限ったとしても、たとえば、「マグナ・カルタ」。
これは貴族が王権を制限した初の憲章ということで、近代民主主義
の基になったと、イギリス人は大いに自慢していますが、
それを言うなら、日本もほぼ同時期、鎌倉時代の「御成敗式目」(貞永式目・1232年)で
公家法を制限していますからね、この点も似ているでしょう(山本七平説)。
つらつらと、相変わらず、まとまりのない記事になりましたが、
世界最長の歴史を持つ、”大人の国”としては、成文憲法でなくても
いけるでしょう、という見方があるということを書いてみました。
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