無常– tag –
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仏教
三法印の究極の到達目標とは?- 三法印の発現段階と新時代の三法印
三法印については、「仏教であることの旗印」ということで、今までいくつかの記事で言及してまいりました。 仏教の旗印であるということは、すなわち、仏教が目指すもの、仏教の到達目標であると言えますね。 今回は、まずはストレートに「三法印とはそも... -
仏教
無我と無私の違い – 実践論としては、無我=無私の理解で良い理由
無我と無私については、字面も似ていますし、無我(我が無い)、無私(私が無い)ということで、意味的にもほとんど同じに見えるでしょう。 ただ、ネットで検索すると、「無我と無私は違う」という意見が大半ですし、また、無我は仏教用語であり、無私はど... -
仏教
解脱したらどうなる? -「輪廻から抜け出す」は誤りである理由
今回は仏教および仏教学の中でも、最大級に理解ミスがあると思われる「輪廻転生と解脱」というテーマで語ってみたいと思います。 この「現脱したらどうなるか」問題は単なる「そういう解釈もありますか」というレベルの話ではなく、仏教を宗教として成立せ... -
仏教
三法印と四法印の違い – 一切皆苦と涅槃寂静でどう違ってくるのか?
どの宗教でも、その宗教特有の特徴というものがあります。 仏教では、他の宗教(バラモン教や六師外道の教え)との違いを明確化するために、「これこそが仏教であるという印(シルシ)、旗印」として、三法印(さんぽういん)あるいは四法印(しほういん)... -
仏教
諸行無常を感じる時、じつは本物の成功が手近にある
「無常」というのは仏教用語で、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と言うこともあります。 日本人にとっては、 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。(「平家物語」) あるいは、 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。(『方丈記』) ... -
『般若心経』の悟りを超えて
「色即是空 空即是色 」の意味-『般若心経』の悟りを超える
前回(色不異空 空不異色 の意味 – ”空”に時間論を織り込む)の続きで、今回はシリーズ9回目です。 *シリーズ全体の目次はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて *『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 シリーズ物ではありますが、この記事を読... -
『般若心経』の悟りを超えて
色不異空 空不異色 の意味 – ”空”に時間論を織り込む
前回(舎利子 – 道化役のシャーリプトラ))の続きで、今回はシリーズ8回目です。 *シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→摩訶般若 – 仏教的グノーシスの経典としての『般若経』 *『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 「空である!」とい... -
科学/心理
瞑想(マインドフルネス)で、うつ・不安障害を克服する方法
マインドフルネスを実践する前段階の”準備マインド”から始めてみましょう。 まずは、「そもそも、この世に生きることはストレスフルなものなんだ」ということを認めるところから始めます。 ここのところを、「人生は喜びに満ちているはず!」という前提か... -
テーラワーダ仏教批判
仏教と倫理を巡る問題 – 有漏善と無漏善についての考察
福徳を積むことは解脱・涅槃に資さない?? テーラワーダ仏教批判の第三回目です。 最近、『大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか』(大竹晋・著)という本を読んだのですけどね。仏教に興味がある人にとっては結構話題になっている本であるよ... -
生活/ライフハック
虫や動植物を殺したらスピリチュアル的に罪になるのか?
殺生(せっしょう)については、メジャーな宗教では必ず「殺生戒」という戒律があって、戒められていますね。 ただ、殺生すなわち「殺す」というのが、どこからどこまでの範囲であるのか? 各宗教によっても定義が違いますし、あるいは「無宗教である」と... -
仏教
無常・苦・無我(三相)とは?仏教学通説の誤りを正す
無常・苦・無我(三相)とは? 仏教の中心的思想でありながら、仏教思想に流れている毒水があります。それが無我説に関わってくるのですが、今回は「無常・苦・無我」ですね、この3つを文字通り”三相”と言いますが、仏典の一節を手がかりに探ってみます。 ...
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