人間は肉体の死後、通常はあの世(実在界)に旅立っていきます。
ところが、一部の霊はあの世に旅立てず、浮遊霊になったり、地縛霊になったりするパターンがあるのですね。
そして、地上にいる人間(私たち)に取り憑いたり、障りを起こすことがあります。
今回はとくに地縛霊の危険性と対策について、述べてみます。
地縛霊の発生原因とは?
真理知識がない
地縛霊の発生原因としてもっとも根本のところは、「真理知識がない」。これに尽きます。これが地縛霊の典型的な特徴のひとつです。
一言でいうと「死んだらすべておしまい」だと思っているわけです。
ですから、実際に”死んだ(肉体を脱ぎ捨てた)”としても、本人が死んだことに気づかず、「まだ地上に生きている」と思い込んでいるのです。
これは地縛霊、浮遊霊、あるいは”幽霊”一般に言えることであります。
来世というのは、思いや認識がそのまま展開される世界ですので、「死後の世界はない」という思い・認識を持っていると、実際に「死後の世界はない」という状態になってしまうのです。

実際は地上に生きていた時に、真理に触れる縁はいくらでもあったはずですし、また、そういうふうに計画もされているのですが、昨今、地上自体に唯物主義・科学至上主義・宗教への偏見が蔓延している状態であるがために、本人もそれに影響されてしまい、真理をスルーし続けてきたのですね。
それでは、真理とはなにか?
これについては、のちほど詳しく述べますが、ここでかんたんに触れておくと以下の通りです。
私たちは、神的実在に造られた霊的存在であり、永遠の輪廻転生の過程にあります。
地上に生まれてくるのは、肉体に宿ることによって、新たな経験・知見を得るためであり、また、自身の資質を活かして地上ユートピア化に尽くすためであるのです。
地上生活はこのようにあくまで魂のトレーニングの場であり、仮の世界なのです。あの世こそが人間の、魂の本拠地なのです。
それが神仕組みである以上、やはり地上を去る時がきたら、「いよいよ卒業だな」ということで、地上への執着を絶っていかなくてはならないのです。
なんとなれば、地位や名誉、肩書き、金銭、財産など、この世に関する一切のものは来世に持っていけないからです。
来世に持っていけるものは心、魂だけなのです。

ゆえに、唯物論的な価値観を持っていると、その「唯物論的な心」を来世に持ち越してしまい、結果、浮遊霊・地縛霊などになってしまうのです。
土地・場所に執着をする
「土地・場所に執着する」こと。これもまさに地縛霊の特徴であります。
”地縛霊”というコトバは、文字通り、「土地に縛られている霊」ということですよね。
つまり、幽霊の中でも、ある特定の土地・場所に執着して動けないでいる霊人のことを”地縛霊”と呼んでいるのです。
たとえば、自殺などをした場合、自殺した場所に執着をします。
なぜかというと、実際は「死んでも死んでいない」状態ですから、本人は「自殺が失敗した」と思い込み、飛び降り自殺であれば、その場所で何度も何度も飛び降りる、ということを繰り返しているのです。そこから離れられなくなっているのです。
こうした、
自殺→地縛霊
のラインが地縛霊の発生原因でもっともありがちなパターンです。

よく「自殺の名所」「心霊スポット」ってあるじゃないですか。
あれは、そこにマイナスの想念(自己破壊願望)をもって近づくと、そこに居座っている地縛霊とバイブレーションが同通してしまい、取り憑かれてしまうのですね。
そして、唆されるように飛び降りてしまう、という構造になっています。
そうすると、その人もまた地縛霊となり、今度は二体の地縛霊がいることになります。
そこで、また新たな自己破壊願望を持っている人が通りかかると、二体の地縛霊が取り憑き、自殺をすると。そして、三体目の地縛霊が誕生する・・・という悪循環になっているのです。
このように、自殺をしても救われないどころか、事態はさらに悪化するのです。
*参考記事:自殺をスピリチュアル観点から検証する – 死後、どうなるのか?
そのほかに、自宅で亡くなった場合、自宅に居座ってしまうというパターンもあります。これも一種の地縛霊と言ってもいいでしょう。
やはり、家族がいるところは慣れ親しんでいますし、愛着がありますので、そこに居やすいわけです。
また、本人は「死んでいない」と思っているわけですから、自宅で家族に話しかけたりしています。
ところが、話しかけても反応がない。おかしい・・・「自分は無視されているのではないか、けしからん」などと思い込み、色々な”障り”を起こすことがあるのです。
こうしたことも、根本的には、真理について無知であった、ということが原因になっているわけです。
仏教の「心の三毒」で言えば、貪・瞋・痴(とん・じん・ち)のなかの”痴”です。
まさに、「真理ついて無知である」ということは毒であるのです。
誤った神学を頑なに信じ続ける
これは上記の「真理について無知である」にも通じるのですが、まあ無知というより、神ではなく人間が勝手に作り上げた教説・神学に縛り付けられて、成仏できないパターンがあります。
たとえば、「最後の審判」で肉体が復活するまではテコでも動かない・・・という塩梅で、墓石などにしがみついている地縛霊もいるようです。
*参考記事:最後の審判はいつ来るのか? – 相対的終末と実存的終末で理解する

こういうタイプの人は下手に勉強が進んでいる(?)がゆえに、プライドも高く、なかなか導きの霊の説得に応じようとしない傾向があります。
地縛霊の危険性とは?
地縛霊再生産の悪循環
地縛霊の危険性については、大筋、上述した通りなのですが、
やはり、地縛霊がさらに地縛霊を再生産してしまうという悪循環が大きいです。
人間はその心の状態に応じて、常に一定のバイブレーション(波動、波長)を発しています。

いや、極論すれば、「バイブレーション」そのものが、その人であるのです。
そして、バイブレーションが似たもの同士が惹き合うという特性があります。
地縛霊が居座っているところに、同じようなバイブレーション、これは自己破壊願望ですね、そういう人が通りかかると、「バイブレーション一致」の法則に則り、いわゆる「憑依現象」が起きます。
そして、憑依された人は地縛霊と同じような行動パターンをとってしまい、破滅型の人生を送ってしまうのです。そして憑依された人も死後、地縛霊になってしまうという悪循環があるのです。
とくに邪教的磁場が危険
宗教の中でも邪教団、いわゆる「カルト教団」があります。
これは特に日本人が誤解しているところでして、「宗教は一様に怪しい」と思い込んでいる人が多いのですが、やはり、他のことと同様に、宗教にも、「すごく良い宗教」「まあまあ良い宗教」「可もなく不可もない宗教」「悪い宗教」「すごく悪質な宗教」というランクがあります。
その中でも「悪い宗教」「すごく悪い宗教」いわゆる邪教団が巣食っている場所、部屋などがあります。

彼らがその場所・部屋を退去した後も、そこにはやはり、地縛霊が居座り続けているケースが多いのです。
そういうことを知らずに、その部屋に入居したりすると、とたんに邪霊に大量に憑依されてしまう事態となってしまいます。
そして人生が傾いていくという流れになっていきます。
ここのところ、宗教的にある程度研鑽を積んだ人であっても、大量の悪霊に責め立てられるとやはり敵わないケースが多いのです。
ゆえに、そうした磁場には宗教的な自負があったとしても、決して近寄らないことが肝要です。
大量の悪霊に責め立てられると、修行中の菩薩候補生あたりではまず歯が立ちません。
地縛霊はその後、どうなるか?
なかなか説得に応じない
上述しましたように、地縛霊になった本人は「死んでいない」と思い込んでいますので、あの世の導きの霊人の説得にもなかなか応じません。
「オレは(ワタシは)生きている!」と踏ん張っていいて、聞く耳を持たないのです。
そういう場合は、守護霊や天使など導きの霊であっても、どうすることもできません。
この世とあの世を貫いて「主体性の原理」が働いていますので、あくまで「死んでいない」という”主体性”は侵すことができないのです。
いつかは救いの機会はやってくる
ただ、たとえば飛び降り自殺であれば、「飛び降りては死んで(?)、また生き返って、また飛び降りて・・・」を延々と繰り返していると、いつかの時点で、「これはいくらなんでもおかしいのではないか?」と思い始める瞬間がやってきます。
そういった時こそ、再説得のチャンスです。
再び、導きの霊がやってきて、「あなたは肉体的にはもう死んでいるのですよ」「これからは本来の世界である霊界へ移行していかなければならないのです」といったふうに再説得が始まります。
それを聞き入れることができれば、やっと”地縛霊”から卒業、ということになります。本来の住処である霊界へと旅立っていくことになります。
因果の理法はくらますことはできない
再説得に応じて霊界へ旅立っていくことにはなるのですが、その後、霊界でどのような生活が待っているか?というと、なかなかストレートに天国へ、とはいかないのが実情です。
やはり、地縛霊になったくらいですから、生前、真理に無知であり、それなりの生活を送ってしまったわけです。また、地縛霊になっていたときに他の人間を唆して地縛霊の再生産を行ったりしてた場合、それは”罪”にあたり、そうしたことを霊界において清算しなければなりません。
そういうわけで、個人の審判を終えた後、いわゆる”地獄”という魂の補習コースへと進むケースが多いように思われます。
やはり、”自業自得”という言葉があるように、自分のしてきたことに対しては自分で責任を取らなくてはなりません。「原因あれば結果あり」で、因果の理法はくらますことができないのです。蒔いた種は自分で刈り取らねばなりません。

ただ、地獄も永遠なものではなく、一通りの反省が済めば、やがては天国へと還っていくことができます。
真理の普及が急務
真理とは何か
地縛霊、浮遊霊、あるいは地獄に堕ちてしまう霊、彼らは皆、「真理に関して無知であった」という特徴があります。
それでは、真理とは何か?
難しくいえば、いろいろと述べることもできますが、ここでは「最低限、これだけは押さえておきましょう」というところだけ述べておきます。
私たち人間は、神的実在の自己表現の一端であり、その一部なのです。分かりやすくいえば、「分霊」です。
ゆえに、誰もが自らのうちに神性(仏教的にいえば、”仏性”)を宿しています。
永遠の生命の中で、この神性を磨き出し、顕現させてゆくことが私たち人間の成すべきことであり、かつ、真の意味での幸福論でもあるのです。
そのために、輪廻転生というシステムが採用されています。
私たちは真実の世界である霊界にいると、「心だけ」で存在しています。そして、心はその心境に応じて一定のバイブレーションを発しています。
そのバイブレーションが似通った者同士が惹かれ合い、集まり、一定の世界を形成しているのですね。
あらかじめ、「天国、地獄」などの空間があって、そこに投げ込まれるというより、バイブレーションが近いもの同士が集まって、結果的にそこに”世界”が形成されているのです。
これが、あの世(実在界)にさまざまな階層世界が存在する理由です。
このように、実在界ではバイブレーションが似通ったもの同士が集まっておりますので、いわば「気は楽」なのです。善念を持つ魂は同じく善念を持つ魂と惹かれあい、集まっていますので、その世界が天国的世界になるであろうことは想像がつくでしょう。
一方、たとえば、恨みや怒りの心を持った人はそうした人同士で集まり、いわゆる「阿修羅地獄」の世界を形成しています。
似たもの同士が集まるのがあの世の世界の特徴であるのです。
それはある意味、気は楽であるのですが、どこか刺激が少ないのも事実なのですね。
そこで時折、地上に生まれ、”肉体”といういわば殻を被ることによって、バイブレーションの違う人と会うことができるシステムとなっているわけです。

地上では、あの世では会えないような霊格の高い人(あるいは低い人)と会うこともできますし、趣味趣向の違う人とも会うことができます。
ここで魂は、新たな経験・知見を得ていくことができるわけです。智慧の獲得。これが人生の意味です。
そして、自らの資質を活かして、この地上世界をもなるべく理想世界に近づけるべく努力していくこと、すなわち、慈悲の実践こそが人生のミッションです。
- 人生の意味:智慧の獲得
- 人生のミッション:慈悲の実践
この智慧×慈悲がその人の人生そのものであり、かつ、その人の霊格を決定していくわけです。
このように、地上世界は、霊格を上げるチャンスに満ち満ちているのです。
だからこそ、そのような神仕組みがあるからこそ、人生を途中放棄することはルール違反なわけです。自殺した人間が地縛霊などになってしまうのはそうした理由です。
ここらへんの「真理の基礎知識」については、下記の記事で詳述しておりますので、ぜひ参考になさってください。
*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします
真理普及の意義
上述したような真理はじつはいつの時代でもかたちは違えど、説かれているのです。
最初は素朴なかたちであっても、それがだんだんと「宗教」になっていきます。もつろん、それは悪いことではないのですが、宗教化して時代が下ってくると、だんだんと「人間の都合」によって、さまざまな教理・神学などが付け加えられていき、形骸化していきます。
そこで、いろいろな菩薩たちが地上に派遣され、宗教改革などを起こして、その”宗教”に新たな息吹を与えてゆくのです。
宗教ではありませんが、19世紀半ばごろから勃興した”スピリチュアリズム”もこうした真理普及の運動であったのです。
ところが、昨今のスピリチュアルは、ほとんど「ご利益宗教」と言いますか、「ご利益スピリチュアリズム」になっていますよね。
とある神秘的なパワーに触れると、この世で恋愛成就、金銭的成功、名誉を得る・・・などなど、さまざまな「ご利益」が説かれています。
それであっても、唯物論よりはよほどマシなのですが、本質からズレているのも事実です。
なんとなれば、上述したように、この世は仮の世界であり、あの世こそが実在の世界だからです。
この世でいくら富を積もうとも、名誉や肩書を得ようとも、それらは来世に持ち越していくことはできません。心、魂こそがすなわちアナタなのです。
このような真理知識を知らないがゆえに、死後も地上に執着し、浮遊霊や地縛霊に成り果ててしまうわけです。
それゆえに、真理を知ったならば、それを実践し、我が物とし、さらに同胞に宣べ伝える必要があるのです。
そうした「真理を伝える」という仕事は金銭的対価を生まないかもしれませんが、じつは実在界的には「最高の仕事を成した」と評価・カウントされています。
智慧の獲得と共に、その智慧を宣べ伝える「慈悲の実践」こそが、自らの霊格を上げてゆく道であり、かつ、本来の幸福論でもあるのです。智慧の獲得と慈悲の実践に幸福ポイントを置くことが大事なのです。
真理こそがアナタを同胞を真に自由にするのです。

真理は聞いてみれば、それほど難しいものではありません。少なくとも、「これだけは押さえておきましょう」レベルの真理は単純なものです。本物というのはシンプルなものなのです。
昨今では、死後、地獄に分類される世界へ赴く人がかなりの割合でいます。また、本記事で述べているように、「そもそも、あの世にすら旅立てない」霊も増えています。いわば、「この世地獄」です。
だからこそ、真理の普及が急務になっています。
この記事を読んだ人のひとりでも多くの方が、真理知識の獲得とその普及に、できる範囲で構いませんので尽力していただけたら、と切に願います。



コメント
コメント一覧 (2件)
>高橋美香さま
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、この世の視点から見ても「明らかに異常性が高い」犯罪などには、やはり憑依霊の影響がたいていはあります。
もちろん、それは本人の中に「呼び込む」要素があるから憑依されてしまうわけですが、いったん憑依されてしまうと、悪感情がダブルで増幅されてしまい、結果、異常な犯罪に繋がってくることがあります。
この世において、真理を普及していくことがいかに大事か、ということですね。
続きの記事を楽しみにしています。
この様な憑依等のケースからの、無差別的な犯罪もあるのではと危惧しています。
いつも学びの深い記事を、ありがとうございます。