日本では統計によると、年間3万人以上の人が自殺(自死)していますので、これはもう戦争レベル。「こころの内戦状態」とも言える事態なんですよね。
また、2020年以降は新型コロナウイルス感染症のパンデミックで、さらに自殺者が増加傾向にあります。また、ここしばらくは芸能人の自殺も相次ぎ、それに伴った、連鎖反応的自殺も増えているようです。
自殺についてはキリスト教などの宗教でも禁じているところもありますが、なかなか死後の様相まで突っ込んで解説できるところがありません。
なので今回は、「自殺がなぜいけないのか?」「自殺者は死後、どうなるのか?」ということについて、真理スピリチュアルの観点から解説してまいりたいと思います。
今、さまざまな試練を迎えている方は、とくに、最後までお読みいただければ幸いです。
自殺は、「人生の意味とミッション」そのものに反している
まず、一番の基本を最初に申し上げておきます。
なぜ、自殺がいけないかと言うと、これは他殺ももちろんそうなのですが、「人生の意味とミッション」に反している、つまり、人間が存在する目的そのものに反しているからです。
これが自殺をスピリチュアル的に考えるにあたって、いちばんの基本になります。
人間は本来、この世(現象界/現世)の住人ではなく、あの世(実在界/来世)が本拠地であるのです。
実在界においては、生命はエネルギーそのものとして存在していますので、自らのエネルギーの波動が同調しているもの同士が同じ世界に住んでいるのですね。
*ネオ仏法では、これを「波動エネルギー理論」と呼んでいます。
たとえば、心優しい人であれば、心優しい人同士が集まってひとつの世界を形作っているわけです。これがいわゆる「天国」なのです。逆も真なり、です。
ところが、似た者同士で集まっていると飽きてくる面がありまして、次第に、「もっと新しい世界があるのではないか?」と思い始めるときが来るのですね。
これがいわゆる、地上に生まれるとき、であるのです。
地上に生まれてくれば、みな肉体をまとっていますので、波動(波長)が同調しない人同士でも会うことができます。
そうすると、よくも悪くも、実在界では会えないような人と会うことができる。これが新しい知識・経験、知恵を獲得する契機になっていくわけです。これが人生の意味です。
ちょっと古い言葉で言うと、「魂の修行のために生まれてくる」ということです。あるいは、「霊性進化・霊性向上のため」と言っても良いでしょう。
それから、自らの力量に応じて、この現象界(地上世界)を少しでも理想社会に近づけるよう参画していくことも期待されています。これが、人生のミッションです。
このような人生の意味とミッションのもとに、生まれる前に人生計画(青写真)を立てて地上に生まれてくるのです。
人を殺すことがなぜいけないかというと、まず第一に、この「人生の意味とミッション」の双方を阻害することになるからです。
それが、自分であれ(自殺)、他人であれ(他殺)、同じことです。
上述のとおり、人生の意味は魂の修行にあり、これは一言でいうと、「智慧の獲得」にあります。
一方、人生のミッションは、理想社会の建設に貢献することです。これは一言で、「慈悲の発揮」と言うことができます。
この智慧と慈悲というのは、大宇宙が存続しているところの二大原理でもあるのです。もちろん、人間もこの「宇宙」に含まれます。
そうすると、自殺も他殺も、それを行うことは、「智慧と慈悲」という宇宙の二大原理の否定であり、生命の基盤・アイデンティティそのものの否定につながってしまうのです。
まとめますと、実際に自殺を含むところの殺人においては、
- 智慧の側面:霊性進化の機会を阻害する、放棄する
- 慈悲の側面:理想社会建設への機会を放棄せしめる、放棄する
ということになりますね。
とくに、人は(というか、存在はすべて)”関わり”のなかに生きておりますので、自殺においても他殺においても、当事者だけではなく、その家族・親戚・同僚・知人・友人…といった多くの人を悲しませることになります。
これではさきの”慈悲”という「人生のミッション」と、まるで逆になってしまいますよね。
この「人生の意味とミッション」について、もっと深く知りたい方は下記の記事をお読み下さい。
*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします
“死は救済”にならない – 自殺をすると死後どうなるか?
死んでも、「死んでいない」
さて、では具体的に、自殺してしまうと、死後、どういった状態になるかというお話をしていきます。
自殺をするということは、「今がとても辛いので、その状態から逃れたい」ということですよね。深く考えてであれ、衝動的であれ、どちらも一言で表現すれば、そういうことになると思います。
それでは、自殺をすることによって、現状の辛さから逃れられるか?というと、事実はまったく逆になってしまうのです。
というのも、まず、さきに申し上げた通り、人間はこの世(現象界)だけの存在ではなく、むしろ、あの世(実在界)の住人であるからです。
ひらたく言えば、「死んでも、じつは死んでいない」ということです。肉体を脱ぎ捨てただけであって、自らの本質であるところの心もしくは魂は存続していくのです。
自分という存在がなくなれば、苦しみから逃れられる、と思っていたのに、自分という存在はなくならないのですから、当然、苦しみからは逃れられません。
天国へはストレートに還ることはできない
そもそも、自殺をしようとする心境そのものが天国的ではないことはお分かりだと思います。
先に、「人間は本来、エネルギーだけの存在であるので、あの世では、似たような波動を発している者同士が同調して集まり、特定の”世界”を創り上げている」というお話をしましたね。
ということは、自殺を考える人というのは、同じように「自殺を考えている人、人生に絶望している人」同士が集まって、ひとつの”世界”を創ってしまっていることになります。
これが天国的な世界でないことはお分かりですよね。
本来の仏教用語とは意味が違いますが、いわゆる「成仏できない」と言っても良いでしょう。自殺によるペナルティというわけでもないのですが、結果的に、「自殺して、もっと状況が悪くなる」ということです。
自殺者のほとんどが「地縛霊」となる
「天国的でない」と書きましたが、もっと突っ込んで言いますと、そもそも、あの世そのものにスムースに旅立てない状況が待ち受けているのです。
あの世は「心がすべて」「認識がすべて」の世界です。
自殺をするということは、「死ねばすべてなくなる」「あの世なんてあるわけがない」と思っているということですよね。
そのように思っているということは、その思った通りの世界が展開している、ということであるのです。
つまりは、あの世にすら旅立てず、霊としてこの世を徘徊することになります。と言いますか、徘徊できればまだマシで、ほとんどは自殺した場所にとどまることになってしまいます。
これがいわゆる地縛霊というものです。
地縛霊と言うと、夏のホラー話かなにかだと思ってしまいますが、自らがその地縛霊になってしまうのです。
さらに、「憑依霊」のコースへ
そしてさらに次の段階があります。
その自殺した場所に、たまたま同じような悩み・苦しみを抱えている人が通りかかったとします。
すると、さきに述べた「波動エネルギー理論」の法則が働いて、その人にくっついてしまうのですね。霊体がオーバーラップしているようなイメージです。
これがいわゆる、憑依霊になってしまった状態です。
そして、憑依された人は、悩み・苦しみが(自殺した人の分まで)ダブルで増幅され、さらにその場所で自殺してしまうケースがあるのです。
これがじつは、「自殺の名所」の発生原因でもあります。
憑依されて自殺した人がまた憑依霊となり、次なる人に憑依してまた自殺させる…というマイナスのループが行われているのです。
このように憑依霊に成り果てて、さらに自殺を生み出すということは、(法律用語で言えば)「自殺幇助(じさつほうじょ)」を行っているのとまったく同じことですよね。まさに「そそのかし」であるからです。
そうすると、実際のところは、自殺をすると、自殺幇助の罪まで重ねてしまうことになり、他殺よりもむしろ霊的にも罪を重ねる結果につながることが多いのです。
そうすると、天国など夢のまた夢、という状況になってしまいます。
救いがなかなか得られない
また、波動エネルギー理論で言えば、自殺者は自殺者同士で集まって暮らしていますので、なかなかそこから抜け出すのが難しくなります。
この世では、肉体を持っていますので、自分とは違った波動の人、「他者を思いやれる余裕のある人」「慰めるパワーのある人」と出会うことが可能です。
それはつまり、悩み・苦しみから脱却する機会が多くあることになりますが、肉体という枷(かせ)がなくなってしまうと、そうした機会も一切なくなってしまいます。
まれに、(霊的に)状況に気づいた人が「お祓い」などをしてくれることもあるかもしれませんが、現代では神主さんもお坊さんもほとんど真理を知っていない状況ですので、あまりその「お祓い」も効きません。
たぶん、今、これを読んでいるあなたのほうがすでに「お祓い」する力を得ていると言ってもいいくらいです。
自殺における原因と結果の連鎖、それがもたらす状況を今、学んでいるからです。
要するに、自殺をしたら苦しみから解放されると思いきや、実はまったく逆効果で、来世はさらに辛い苦しみが待っている、ということなのです。
なのでやはり、いくらメンタルが落ちていると言っても、自殺はやはり思いとどまるべきなのです。割に合いません。
スピリチュアルカウンセラーがスピリチュアルケアとして自殺願望者に伝えるとしたら、これまで述べてきたことをしっかりと伝える必要があります。
救いはいつかは来る
とはいっても、永遠に上記の自殺ループが続いていくとも限りません。
というのは、人は「飽きる動物」だからです。
地縛霊となって、延々と同じことを繰り返していると、だんだんと「うんざり」してくる瞬間が訪れます。
そうしたときが、救う側からするとチャンスであり、説得役の天使(菩薩)や守護霊などがやってきて、諄々(じゅんじゅん)と説得して、あの世へ誘ってくれることがあります。
そしてその説得に応じれば、その瞬間に「波動が変わる」ことになりますので、その世界から抜け出すことができるようになります。
もっとも、自殺幇助まで罪を重ねてしまっているのであれば、あの世に旅立っても、まだ天国というわけにはストレートには行かず、一定の「修行場」で反省行を重ねる必要がでてくるでしょう。
しかし、この段階までくれば、救いはもうすぐそこにあるとは言えます。
まあ、話の最後に「救いはいつかは来る」と希望を書いておきましたが、そこまでにいたる道程を考えれば、やはり、自殺は割に合いません。
やはり、自殺をすると悩み・苦しみは余計に増幅されるのだ、と考えたほうが良いです。
当サイト(ネオ仏法)では、人生の悩み・苦しみを破砕し、さらに積極的な人生を生きられるような数多くの真理、永遠の真理が書かれています。
これを機会に、まずは先の参考記事などを皮切りに、ぜひ読み進めてみて下さい。数多くの生きるヒントと、目からウロコの真理と出会うことになるでしょう。
そして勉強を重ねたら、あなたは「救われる側」ではなく、ぜひ、「救う側」に回って下さい。これをむしろ良い機会ととらえ、いっそ、天使(菩薩)への道を歩んで下さい。
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