「先祖の因縁を断ち切る」はスピリチュアル的にあり得ない理由

先祖 カルマ 解消

「先祖(家系)の悪い因縁で不幸になっている、災いが降りかかっている、病気になっている、事故が起きる、倒産する、破産する、変死する、末代まで祟る……」「だから、因縁浄化が必要だ、エネルギーワークを受けなさい」というのは、呪術系スピリチュアルや一部の宗教でよく言われる(脅される)ポイントです。

結論から申し上げると、「そんなことはあり得ない」というのが当サイト(ネオ仏法)の立場です。

なぜ、そう言えるか?

今回はこの、先祖(家系)の因縁、罪、カルマというものが子孫へ影響するのかどうか?ということについて考えてみたいと思います。

目次

本物のスピリチュアル(宗教)は主体性の原理に基づいている

まずは、本物のスピリチュアルと偽物のスピリチュアルの見分け方から入ります。

本物のスピリチュアルは、必ず、「原因と結果の法則」を説きます

仏教で言う”縁起の理”あるいは”因縁”というのも、今風にいえば、「原因と結果の法則」と、とりあえず理解すれば間違いがないです。

*参考記事:縁起の理とは何か – 「存在と時間」に分けて解釈してみる

つまり、自らが「幸福になる原因行為を行えば、幸福という結果が来る」ということです。

逆も真なり、です。自らが「不幸になる原因行為を行えば、不幸という結果が来る」ということですね。

原因と結果の法則

ここから導き出される真理は、「主体性の原理」です。主体性の原理というのは、すこし古い言葉で言えば、「自己責任」ということです。もっと古い言葉で言えば、「自業自得」です。

逆に言えば、「主体性の原理」に反していれば、それは真理ではない、ということになります。

人間は弱いもので、自分自身に起きている不幸・至らなさをどうしても他者(他人・環境・社会・国家…あるいは、遺伝子など)のせいにしたくなります。

そのほうがプライドが傷つかないし、気が楽だからです。

もちろん、現実には、他者(他人・環境・社会・国家…など)の影響で不幸になってしまうことはありえます。

現に、今このブログを読んでいらっしゃる方の中にも、そうした状況にある方もいらっしゃることでしょう。

ところが、ここが微妙なところなのですが、他者からの悪影響があったとしても、不幸にならない人はこれもまた現実にいます。

それどころか、他者からの悪影響を経験のひとつと受け止め、さらに成長していく人もいます。

ここで分かる真実は、「他者からの影響があったとしても、それをどう受け止めるか?については、やはり、主体性の原理が働いている」ということです。これが真理なのです。

ところがこれを受け止めるのがなかなか辛いのですね。こう書いている私にしてもそうです。つい、他者のせいにしたくなってしまうことはあります。

こうした人間の弱さにつけこんでくるのが、冒頭に述べた、一部の呪術系のスピリチュアルや宗教なのです。

「あなたのせいではありませんよ、先祖の因縁です」と言われると、自己責任を受け止める必要がなくなって、ホッとするのですね。

そして、他者(呪術系のスピリチュアリスト、宗教家)が私を不幸から救ってくれる」と思ってしまうわけです。

そして、お金をまきあげられる結果になります。

これも、さきほどと構図は同じです。ここにあるのは、「他者が自分の幸不幸を左右する」という価値観です。他責の論理です。

他責

ところが、”他者”というのは、自らのコントロール外の存在ですよね。

人は一人ひとり自由意志を持っています。自分以外の自由意志をコントロールすることはできないのです。

ゆえに、他者のあり方に自分の幸不幸を委ねてしまう価値観そのものが、長い目で見てあなたを幸福にすることはないのです。

いわゆる、「他人軸」に陥っている状態だからです。

先祖の因縁(カルマ)が子孫に祟るのか?

ここまで申し上げれば、なぜ「先祖の因縁(カルマ)を断ち切る」ことが不可能であるか、お分かりのはずです。

「断ち切る」以前に、そもそも、「先祖の因縁(カルマ)があなたを不幸にしている」ということ自体が事実に反しているからです。

さきの主体性の原理に即して言えば、先祖が迷っているのは先祖自身の責任です。

あなたが不幸なのは、先祖のせいではなく、あなた自身が自らを振り返って、「不幸になるような種を蒔かなかったか?」を考えなければいけないのです。

そもそも、じつは「先祖の因縁」という言葉自体が矛盾なのです。

因縁とはもともと仏教用語で、”因縁果報”の略語です。因縁果報というのは、現代風にいえば、「原因と結果の法則」のことです。

あるいは、”因果応報”とか”業(ごう/カルマ)”という言葉もありますが、これらも同じことです。

「自業自得」という言葉があるように、文字通り、「自らの業は自らが得る(引き受ける」というのが基本原則なのです。ここでも「主体性の原理」が働いていますね。

この基本を踏まえた上で、「先祖の因縁(カルマ)」について、もう少し突っ込んで考えてみましょう。

「家系のカルマ」という言い方をする霊能者/占い師/宗教団体もありますね。

これは、先の主体性の原理に照らし合わせれば、ありえない、というのはもうお分かりだと思います。

ご先祖Aさんのカルマはやはりご先祖Aさんの責任範囲ということになるからです。

先祖の因縁ではなく、憑依の問題として考える

ご縁とは何か

ただし、「先祖のカルマが祟っている」という誤解が生じるのも理解できないことはないです。

というのも、実際、先祖(特に直近の先祖)はいわゆる”ご縁”はありますので、成仏していない場合(つまり、地縛霊や浮遊霊、地獄霊になっている場合)家に居座っていたり、ときおり子孫のところへやってきては悪さをする、というのはあり得るのですね。

悪気はなくても、何かメッセージを伝えたい、あるいは、何かで恨みを買っていて憑依を受ける場合もありますが、結果的に霊障の状態になるというケースです。

これは実は、カルマではなくて、「ご縁」と「波動理論」の2方向から考えなければいけないのです。

*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします(”波動エネルギー理論”とは?)

この場合の、「ご縁」というのは、さきほどの「縁起の理」ともちろん関係していますが、きわめて限定的な意味で使っています。

どういうことかと言うと、「縁起の理」とは広く「関係性の論理」のことですが、「ご縁がある」というのは、「関係性が再現されてくる」という範囲内でのカルマなんですね。

ちょっと分かりにくいでしょうか?

たとえば、「過去世で家族であった、友人であった、恋人であった」という「関係性」が今世でも再現されてくるということです。

これが、いわゆる「ご縁がある」ということなんです。

なので、「今回の人生でもご一緒ですねー」という、「関係性を再現した。それを受け入れた」という範囲内では、自己責任ということになりますが、

先祖が(親が、兄弟が、子供が、友人が、恋人が、先生が…などなど、何でもいいですが)あるカルマを作った場合、そのカルマを引き受けるのはやはりその人自身であるのです。子孫ではありません

これが、「縁起の理」のなかの時間論である「原因結果の法則」です。

「ある原因行為が、ある結果を呼ぶ」という意味ではやはり自己責任論であるのです。さきに申し上げた「自業自得」ということです。

基本的には、いくらご縁があると言っても、子孫が真理を知り、幸せに生活をしていれば、迷っている先祖も悪さをすることはできません。

これは波動理論からお分かりですよね。

波動が近いものは引き合いますが、波動が違うものは一緒にいることはむずかしいのです。

波動

長居するのは向こうにしても気まずいというか、居づらくなってくるわけです。また、そうした子孫の生活が彼らの内省のよすがになることもあります。

功徳を回向するとは

ご縁から敷衍した方法として、「功徳を回向(えこう)」するという行があります。

これは、自ら徳を積んだ分を自らのために使わず、肉親・ご先祖の霊に手向ける、という考え方です。

これも、さきの自業自得に反していますので、理論的には成立しないように思われます。

ただ、成立はしないものの、子孫から感謝の念などが届くと、先祖も嬉しいという側面はあります。嬉しいし、まわりからも「立派なご子孫をお持ちですね!」ということで尊敬の念を受けてしまう。

そしてそうした念が心の浄化や霊格のちょっとした向上に繋がってくる面はあります。

回向

しかしこれもまあ、「功徳を手向けられるほどの関係性を持っていた」ということで、広い意味での自業自得には含まれますので、縁起の理に反しているというわけではありません。

もちろん、この”回向”も、後述しますように、先祖供養と同様に、あまりにやりすぎるのも良くないと思います。

悪霊が悪霊を追い出すことも

もうひとつ勘違いしやすいところを挙げてみます。

それは。霊能者が不成仏の先祖を追い払う、エクソシストしたとき、霊能者に本当にパワーがあれば、一時的に離れたりはしますね。

そこで、霊能者のほうが「先祖のカルマを払いました」とクライアントに説明する際に誤解が生じるというパターンがあります。

ただこれにしても、波動理論から言えば、子孫のほうが波動を変えない限りは、何度でもやってくるんですよ。

ましてや、わざわざルーツを辿るための「家系図」などを作って、大掛かりに先祖供養などをやると、迷っている霊の「千客万来」状態になる危険性があります。

”蜘蛛の糸”みたいに「救ってくれるらしい」ということで、遠い縁まで手繰り寄せて、大勢の迷っている霊人がやってくることがあります。

これがまさに、先祖供養が危険な理由なのです。

さらに悪質なケースとして、霊能者が悪霊能者、つまり悪霊込み(笑)の霊能者であった場合ですね。それも強力な悪霊の場合。

こうしたケースでは、「お祓い」「除霊」をすると、迷っている先祖が霊能者に憑いている悪霊を怖がって退散していくことがあるんです。

でもね……、

これは、「チンピラにからまれていた人が、ヤクザの親玉がやってきて、チンピラが離れていった」と同じことなんです。

つまり、今度はより強力な悪霊に憑依されることになります。

それでも、一時的には(チンピラの)迷っている先祖が離れた感覚があるので、「たしかにご利益がありました!アナタは偉大な霊能者です!」となってしまったります。

結論的には、先祖の影響というのは因縁(カルマ)とはまったく別問題であり、憑依の原理から処理していかない問題ということですね。

憑依については下記の記事で詳述していますので、参考になさってください。

*参考記事:憑依の本当の意味とは? – 特徴、見分け方、対策まとめ記事

先祖供養で、恋愛運や結婚運が高まる??

上述しましたように、先祖霊からの影響を”憑依”と考え、「自ら波動調整を行う」などの対処を行えば、つまりは”悪霊”の影響から離れることができますので、一般的に言う”運勢”も高まるように見えることもあります。

しかしここでまず考えていただきたいことは、「結局、私は何のために地上に生まれてきたのか?」ということです。

言い換えれば、「人生の意味とミッション」です。

人生の意味とミッション

この点につきましては、下記の記事で詳述していますので、参考になさってください。

*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします

参考記事を読むのが面倒な方のために、要点だけをお伝えしておきます。

人間の本質は波動エネルギーであり、肉体の死後は、波動の性質に応じた世界に還ることになります。

善/悪の分類で言えば、神仏の心にかなった波動を持っている魂は同じような魂同士で惹かれ合い、集まりますので、これは昔から言われている”天国”と呼ばれている世界です。

その真逆のパターンは、”地獄”と呼ばれている世界です。

このように、あの世は魂が発している波動が同調する者同士が集まって一定の世界を作っていますので、ある意味、「心地よい」世界ではあります。

波動の合わない、自分から見れば「嫌な人」と会う可能性はないと言えるからです。

*もっとも、地獄領域では「嫌な人」同士が集まっていますので、合わせ鏡のように、「こいつ、嫌なやつだな」と思うことはあるでしょう。

ただ、似た者同士で集まっていますと、心地は良いのですが、刺激が少ないというデメリットがありますよね。

そこで、ときおり、地上に肉体を持って生まれて、新しい経験を得たり、智慧を磨いたりしているのです。

肉体を持っていると、ご飯を食べなきゃいけませんので、「波動の合わない人」とも会わなければいけないときもありますよね。

「波動の合わない人」というのは、おおまかに言えば、

  • 波動の種類が違う人:関心や趣味が違う
  • 波動の精妙さに違いがある人:人格力に差がある

ということになります。

なので、霊界では会えないようなレベルの高い人と会えるチャンスでもあり、また、関心・趣味の領域を広げるチャンスでもあります。

嫌なことばかりではなく、魂にとって大きなメリットがありますので、ときおき地上に生まれてくるわけです。

さらに地上世界は、自分の得意分野を使って、世の中を良くしていく場でもあります。

このように、大きく分類すれば、

  1. 魂の磨きをする:智慧の獲得
  2. 世の中に貢献する:慈悲の発揮

という2つが地上に生まれてくる目的なのです。「人生の意味とミッション」はまさにここにあります。

そして、今回の地上での経験値アップや貢献度によって、自らの波動エネルギーの質と量を上げて、さらに高い世界へ還っていくことができるのです。

天国

このように考えてみると、「自らの波動エネルギーを上げる」ということに資さないスピリチュアルというのは、本質的には「まったく役に立たない」ものだということが分かります。

他責に基づいた先祖供養とか、その他いろいろな、外部からの”スピリチュアルパワー”で仮に恋愛運、結婚運、健康運などがアップしても、それは「自分の実力(智慧と慈悲)」になっていませんので、あの世には持ち越していくことができないのです。

ポイントになっていないということですね。

なので、本当に自分の人生を大切に思うのであれば、「神仏へ近づいていく」という”真理スピリチュアル”に目覚める必要があるのです。

世の中に出回っているスピリチュアルというのは、たいていが、”呪術スピリチュアル”です。

今回テーマに上げた「他責に基づいた先祖供養」なども含まれますが、要は、外部の神秘的なパワーによって、この世での生活を快適にする、という発想ですよね。

”スピリチュアル”と言いつつ、実は軸足が「この世」にあるわけです。

ところが、この世のものはすべてあの世に持ち越していくことができません。

肉体の死を契機に、「魂ひとつで」あの世に還らなければいけません。

この世とあの世を貫いて本当に”資産”といえるのは、「心だけ」なのです。魂が発している波動エネルギーがどれだけ、神仏と言われる存在に近いか?ということだけが、本当の自己価値の物差しになっているわけです。

そういう「神仏に似る」という意味では、自分がどれだけ智慧に磨きをかけ、慈悲を発揮したか?という主体性が問われているのですね。

発想としては、呪術スピリチュアル的な、「外部の神秘力が自分を幸せにしてくれるか?」ではなくて、「他者や社会や神仏のために自分はどれだけ貢献していけるか?」という真理スピリチュアルこそが王道なのです。

  • 呪術スピリチュアル:「神仏が自分に何をしてくれるか?」という”自我中心”の世界観
  • 真理スピリチュアル:「自分が神仏のために何ができるのか?」という”神的実在中心”の世界観

このどちらを選びますか?というのが、あなたにとって大きな試金石です。

今回の記事をきっかけに、あなたが真理スピリチュアルに目覚めていただけることを祈念しています。

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