浮遊霊の浄化のためにできること – お祓いなどをしても無駄な理由

浮遊霊 浄化

浮遊霊とは、死後、いわゆる”成仏”できず、この世を徘徊している霊のことです。いわゆる「幽霊」でもあります。

似たような言葉に”地縛霊”というのがあります。

これは、”成仏”できず、「あの世にすら旅立っていない」という意味では浮遊霊と同じなのですが、浮遊霊がこの世を徘徊しているのに対し、地縛霊はある特定の場所に執着して居座っている霊のことを指します。

今回は、浮遊霊とはいかなる存在か、浄化のためにどのようなことが有効か、という視点で語っていきたいと思います。

目次

浮遊霊とは何か?

浮遊霊とは?

浮遊霊とは上述しましたが、死後、いわゆる”成仏”できずに、あの世にも旅立てず、この世を徘徊している霊のことです。

じつは浮遊霊とは特殊な存在ではなく、(みなさんを怖がらせるのも気が引けますが)、もうあちこちに居ります。

浮遊しているくらいですから、いまだみなさんに直接接触しているわけではないのですが、縁と機会があればたやすく「憑依霊」になってしまいます。

憑依

なので、結論的に申し上げれば、浮遊霊の段階ではまだほぼ「対策を講じる必要はない」のですけどね。

問題は、浮遊霊が私たちにいわゆる「取り憑いて」、「憑依霊」になった場合です。

この場合はもちろん対策を講じる必要がありますし、またそれ以前の段階では、予防対策として「浮遊霊が居そうな場所には極力行かない」ほうがベターではあるのです。

これらの点は後述いたします。

ともかく、浮遊霊とは特殊な存在というより、実際は本当にあちこちに見かけることができます。霊眼が開けている人にとっては、いわば「見慣れた光景」と言ってもいいでしょう。

どういった人が浮遊霊になるか?

特徴としては、肉体の死後、「自らが死んだ」ことにも気づかずに、頑固にこの世に居座っているのですね。

気づかない・・・ということは、生前に霊的な知識が皆無だったことを意味します。

通常の場合は、死後、親類縁者・守護霊などの「お迎え」が来るのですが、そうしたことを「これは夢を見ているのだ」などと片付けて、「あなたはもう死んだのですよ」という説得に応じようせず、「オレは(ワタシは)まだ生きてる!」と頑張っているのです。

頑固

この世を去った世界は(まあ実際はこの世もそうなのですが)、”認識”が世界の有り様を決定するのです。

なので、「あの世なんかあるものか」「人間は死んだら無になるのだ」などと信念レベルまで思い込んでいると、実際に「あの世はない」世界が展開してしまうのです。これが「あの世にも還れない」理由です。

ですので、皮肉なことですが、「幽霊なんかあるものか!」と思っている人に限って、自らが幽霊になってしまうという逆説があります。

この世でいかに金銭・名誉・肩書きなどで成功していても、そうしたことは死後の世界ではまったく通用しません。

むしろ、この世で成功していれば成功しているほど、(満足感が高いですので)生前、霊的知識などに関心を寄せず、結果、浮遊霊になってしまうのです。

この転落ぶりや、哀れなほどです。

いかに、霊的知識が大事か、お分かりになったことと思います。

浮遊霊への対策

浮遊霊が居そうな場所になるべき近づかない

このことは上述しましたが、繰り返しますと、「浮遊霊が居そうな場所にはまずはなるべく近づかい」心がけが大事です。とりあえずの予防策です。

浮遊霊は死後、「自らが亡くなったことにすら気づいていない」というのが特徴ですので、死んですぐの場所、これは病院とか自宅ですね、そういうところに多くいます、

また、「まだ生きているつもり」ですので、生前の行動パターンを維持しようとします。

そうすると、サラリーマン(OL)であれば、出社しようとして電車に乗ったり、職場に現れたりします。

あるいは、仕事が終わった後の気分転換(?)で、歓楽街をウロウロしていることもあります。

歓楽街

また、多少なりとも、「もしや死んだのかも?」などと思っている霊は、「死んだとすればお墓なのかな」ということで、墓場などをうろちょろしていることもあります。

そうすると、病院・自宅・職場・歓楽街・・・といったふうに、けっこう私たちの日常生活の行動範囲と重なっていますので、「近づくな」というのが無理、ということにもなるのですけどね。

ただ、のちほど述べますが、「無視」「相手をしない」もっと言えば、「波動を合わせない」ということが大事です。

それ以外は、なるべく歓楽街などには行かない方がいいですね。

波動を合わせない

この「波動を合わせない」ということが、浮遊霊対策の王道であることは間違いがありません。

生者・死者を問わず、人は(魂は)心の心境に応じて常に一定の波動を発しております。

そして、発している波動が似通ったもの同士が惹かれ合う法則があるのですね。

波動

それは、この世でもそうでしょう。

やはり、「似たもの同士」というのは価値観も趣味も近いですから、惹かれ合って、一緒にいても居心地の良いものです。

それと同じように、(人間の本質は魂ですので)、生者の波動と死者の波動が一致していると、惹かれあって、いわゆる「憑依(ひょうい)」という現象が起こるのです。

そして、憑依されると、自分の悪感情などが増幅されたりします。

それで一生を過ごしたりすると、自らも死後、悪霊になってしまう、そして自分も憑依霊になって・・・という悪循環になります。

ですので、やはり、波動を合わせないことが肝要です。

浮遊霊は「自ら死んだことにも気づいていない」あるいは「非常に地上に執着がある」ということが特徴ですので、それと逆の波動を発している必要があります。

すなわち、しっかりとした霊的知識・真理知識を持ち、それに基づいて自らの心をコントロールしていくことが大事なのです。

そうした真理知識は当サイトで数多く説いていますので、ぜひ少しでも多くの記事を読んでみてください。

そうすれば、一時的に憑依されたとしても、波動が合わず、やがて憑依霊は離れていきます。

逆に言えば、「お祓い」などで憑依霊を取り去ったとしても、波動が一致していれば、また舞い戻ってきます。これでは根本の解決策にはならないです。

とりあえず、最低限、これだけは押さえておいてほしい、というのが下記の記事です。

*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします

経文を唱える、祈りを使う

これは「お祓い」的な方法論としてはまず一番最初に思い浮かぶことですよね。

そして、実際に、浮遊霊の浄化に「経典読誦」「祈り」は効きます。

浮遊霊 お経

ただし、真正の信仰心と経典の内容をしっかり理解していることが前提です。

信仰心と言っても、仏教徒になったり、キリスト教徒になったり、わざわざ入信する必要はないです。

大事なのは、「本気で神仏の存在を信じていること」です。

かたちだけ祭壇の前にひれ伏している”信者”よりも、ふだんから真剣に神仏の存在を信じ、その教えをもとに自らの生き方を正そうとしている人の方が、神仏の側から見れば、「真正の信者」であるのです。

仏教が好きな人であれば、短い『般若心経』を唱えるのもいいでしょう。

ただし、上述しましたが、経文の内容を理解していることが大事です。

『般若心経』の全文解説記事がありますので、ぜひお読みください。

参考記事:『般若心経』全文解説 – 般若心経の悟りを超えて

結局、経文読誦というのは、こちらの「悟り」の内容が憑依霊に伝わって、「これはたまらんな、オレと(ワタシと)合わないな」と思わせるのが狙いです。そして、その悟りは思念によって伝わっていくのです。

なので、「ただ読んでいるだけ」ではなんの思念も伝わっていかないことになります。

ちなみに、現代のお坊さんは大学で「仏教では無我だから魂は無いのだ」などと教わって、無霊魂説に陥っているケースが多いですので、彼らにお経を唱えてもらってもまったく効きません。どころか、彼らも死後、浮遊霊になる可能性が大きいです。

*参考記事:仏教は霊魂を否定していない – 無我説解釈の誤りを正す

キリスト教的な「祈り」が好きな方であれば、「主の祈り」や「イエスの御名の祈り」などを用いると良いでしょう。

天にまします我らの父よ,
願わくは,み名をあがめさせたまえ.
み国を来たらせたまえ.
みこころの天に成るごとく
地にも成させたまえ.
我らの日用の糧を,きょうも与えたまえ.
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく,
我らの罪をも赦したまえ.
我らを試みに遭わせず,
悪より救いいだしたまえ.
国と力と栄えとは,
限りなく汝のものなればなり.

アーメン (「主の祈り」)

 

主イエス・キリスト、神の子、罪人なる我を憐れみたまえ (「イエスの御名の祈り」)

祈りはいわば、高級霊界に電話をかけるようなものですから、必ず通じて、なんらかの助力を得ることができます。

ただし、繰り返しますが、前提としての信仰心が大事です。これがないと祈りは届きません。

それから、「信仰を同じくする者」が集って、共同で祈りをあげるとさらに効き目が増します。

仕事など、目の前のことに集中する

これは上述した「波動を合わせない」にも通じることです。

目の前の「やるべきこと」「やりたいこと」に集中することにより、そちらに自らの波動が切り替わりますので、結果、憑霊が「取り憑く島がない」状態になるのです。

仕事

信仰生活を送る

これはやや長期的な視点になります。

また、浮遊霊云々以前に自らの地上生活の意義を生かし切るために、もっとも必要なことでもあります。

上述しましたが、信仰生活といっても、かならずしも特定の宗教団体に入る必要はありません。

むしろ、「かたちだけ」の”信者”よりも、本気で神的実在の存在を信じきり、真理を生活の中で実践している人の方が真正の”信者”であるのです。

信仰

とくに自宅などで亡くなった身内が浮遊霊になってしまった場合、このように子孫が信仰生活を送っていることは彼らにとって良い反省の材料になります。

信仰生活をしていると、(人によって程度の違いはありますが)、いわゆる”後光”がでている状態になりますので、浮遊霊にとっても「信仰生活は正しいことなのだ」「そうか、人はこのように生きるべきだったのだ」というふうに、反省の材料になるのです。

それがいわゆる”成仏”のよすがになっていくわけです。

真理に基づいて説得をしてみる

これは上級編の対処方法です。

とくに家族で自宅に居座られている場合、上述した「信仰生活を送る」が効果的ではあり、また王道ではあるのですが、若干、時間がかかりすぎるきらいはありますね。

そこで、当サイトの記事などをよく読んで、すでに真理知識がある人の場合は、直接、たとえば、

「〇〇さん、よく聞いてください、人間は神仏の子であり、永遠の生命を持ち、輪廻転生の過程にあるのです。その過程で霊性進化を果たし、世の中のお役にたっていくのが人生の意味とミッションなのです。あなたはすでにこの世の生命を終えられました。あとは、お迎えの導きがありますので、素直にそれに従い、無事に往生し、新しい霊界での生活に慣れてください。私たち子孫も引き続き、この世の生命を真理に基づいて全うしてまいります」

といったふうに説得してみるのが良いです。

説法

ただし、「縁ある諸霊よ」などと思い当たる人を片っ端から説得するようなことはやめておいた方がいいです。

これは私の経験(失敗談)なのですが、とくに先祖供養など「辿ったらキリがない」ようなものを一人でやろうとすると、「なんだなんだ・・・?」とばかりに、迷っている霊、地獄霊などがぞろぞろやってくる場合があります。

そうすると、まったく対処不能にになってしまいますので、この点、注意してください。

浮遊霊はその後、どうなるのか?

浮遊霊は、「あの世なんかあるものか」『死んだら無になる」などという認識を持っているが故に、その「認識通りの」世界が展開し、この世に留まっている、と上述いたしました。

人は死後、いわゆる「お迎え」に遭遇します。

お迎え

お迎えに来る霊人のパターンはいろいろですが、本人の守護霊、親類縁者、指導霊、(場合によっては)菩薩・・・などなどです。

そこで、「あなたは死んだのですよ」と説得とお導きが始まるのですが、生前、「死後の世界などあるものか」「霊など存在しない」と思ってた人(これが実に多いのですが・・・)はなかなか説得に応じないのです。

応じない、というより、「これは夢を見ているのだ」などと片付けて、耳を傾けようとしないのですね。

ひとは自由意志を与えられておりますので、本人が説得に応じなければ、お迎えの霊人もどうすることもできません。

認識通りの世界が展開するのがあの世ですので、「あの世などあるものか」と思っている人には、その通りの世界が展開するとも言えます。

そこで、その人は地上に留まってしまう、という事態になるわけです。これが浮遊霊の発生原因です。

本来なら、霊界への移行は予備知識として、この世で習得しておくべきなのです。

そして、実際のところは、そのような機会は無数に用意されていたはずなのですが、現代の世界に唯物論が席巻しているために、そうした機会をスルーしてしまう人が実に多いのです。

そこで、本人が「いくらなんでもおかしい・・・」「オレは(ワタシは)もしや死んだのではないか」と思い始めるまで待つしかないのです。

逆にそう思い始めた段階が、再説得の機会になっていくのです。

そこでようやくあの世に旅立てる、という手順になっております。

真理の普及が急務

上述したように、「あの世なんかあるものか」「人間は死んだら無になる」もしくは、何も考えていない・・・という人が現代では多いので、「あの世にすら旅立てない」数多くの浮遊霊の発生原因になっています。

欧米でも、「かたちだけ」キリスト教の信者になっている人が多いので、事情は似たようなものです。

このように、まったく霊界に旅立つ準備ができていない人が数多くいますので、霊界も混乱している状況です。

本来であれば、地上にいるうちに基本的な霊的知識を習得し、あの世にスムースに旅立てるのが理想的なのですが、それがなかなか叶っていないのです。

ゆえに、地上において真理知識の普及が急務になっております。

19世紀以来、スピリチュアリズムが勃興してきたのもそういう背景があります。

及ばずながら、私もネオ仏法を通して、真理知識普及の一翼を担っています。

どうかこの運動に賛同してくださる方が一人でも多く、誕生することを願っております。

人間の本質は霊的存在なのです。物質や肉体はその影にしか過ぎません。霊性こそがすべての根本なのです。

霊性が根本であり、かつ霊的知識(真理知識)こそが最高のものであるがゆえに、真理知識の普及の仕事というのは、地上での評価がなんであれ、実在の世界においては最高・最大の仕事として見做されます。

その仕事に携わる人は(金銭的対価は期待できませんが)、神仏の目から見て、最大の仕事をなしたということになるのです。

そのことは実在界において、1ミリも過つことなく評価されます。菩薩(天使)になるための最短距離でもあります。

菩薩(天使)

菩薩(天使)になることこそが、この世とあの世を通じて、消え去ることのない本当の本物の成功なのです。

それ以外の地上的な成功は死を契機に無常の風に吹き飛ばされてしまうのです。

繰り返しますが、どうかこの真理知識の普及活動にひとりでも多くの方が賛同して下ることを願って、本記事の結びといたします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

【菩薩になる方法】無料プレゼント

関連記事

コメント

コメント一覧 (2件)

  • >高橋美香さま

    コメントありがとうございます。

    そうですね、スピリチュアリズムの基本が学校のカリキュラムに組み込まれれば、
    どんなにか世の中が良くなるだろうかと思います。

    けっこう、浮遊霊・地縛霊・憑依霊のついては、霊界でも大問題になっていると思われますので、
    いろいろ角度を変えて、これからも書いていこうと思います!

  • 実践的かつ厳かな教えを、ありがとうございます。学校の授業に取り入れた方が良いと思います。自分も、できる範囲で伝えて参ります。今2025年最新の時勢でも、この記事に派生する続編をぜひお待ちしています。今後共よろしくお願いします。

コメントする

目次