告解・懺悔(キリスト教)、八正道の反省(仏教)、内面のジハード(イスラム教)、といったカタチで「反省・悔い改めによって罪を清める方法論」が世界宗教では共通して説かれていますね。
ここで、
「悔い改めるのです。そうすれば罪は許されます」
と言われて、
「分かりましたー!( ; ; )」
と素直になれる人は幸いなるかな、です。
近現代人は半端に知力がついてしまったがゆえに、
「そんなバカな、非科学的な・・・(内面の声)」
となってしまうパターンがほとんどですね。
まあ、この「反省」の話に限ったことではないんですが、
神々という”大人”からみると、近現代人という”子ども”が
知的な反抗期に入ってしまって、「どうしたものかな」
と思われたわけです。
そこで、近現代人に合わせて、知的に思弁的に真理を説こう、
ということで、17世紀以降、特に18世紀あたりは智天使たちの働きが
強くなった、という経緯があります。たぶんね。
そういった経緯は数限りなくありまして、
「神は沈黙している」どころか、相当、お人好しに
面倒みてるんですよ、実は。
人類といいう子どもたちがこうくるなら、
今度は、こう導いてあげよう、と。
***
話しは時間論になります。
時間というのは、「過去・現在・未来」があるということで、
一般には理解されていると思います。
でも。
その前提をまず疑ってみましょう。
前提条件を疑うことから始めるのが哲学です。
まず、
「過去」は文字どおり、過ぎ去っています。
つまり、「無い」。
それから、
「未来は」は文字どおり、未だ来らずです。
つまり、「無い」。
「有る」のは、「現在」だけなんです。
***
「ええーー!?じゃあ二年前のあの日あの時の
愛の出来事は夢まぼろしってこと??」
ってなるかもしれませんが。
そうじゃありません。
「二年前のあの日あの時」は、それを経験し、
認識した時点では、やはりその時の「現在」でしたよね。
そして、こう記事を書いているその瞬間瞬間にも、
上の文章を書いていたのは、時計的には「過去」
なのですが、書いていた時点では、やはり「現在」でした。
つまり、「過去」とは「現在」の意識の領域にある、
「追憶・記録」としての存在なんです。
同様に、「未来」とは「現在の意識の領域にある、
「予想・期待」としての存在なんです。
言い換えれば、
「過去・現在・未来」があるのではなく、
現在が持続しているんです。
そして、
その「現在」の流れを感じているのは、まさしく
私たち自身の「意識」ですよね。
時間を感じるためには、それを感じるための
「ワタシのこころ」がなければ感じることはできませんね。
つまり、意識が時間を感じ取っている。
もっといえば、
実は、意識の流れそのものが時間なんです。
***
みなさん経験していると思いますが、
「今日はアッという間に過ぎたなー」とか、
こういう哲学的な議論を読んでいると面倒くさくって、
「あれ?まだ5分しかたってないの?」とか。
みなさん、意識の流れで時間を感じ取っているはずです。
ただ、
いま、肉体がこの世にあるので、ふと気づくと、
地球人類共通の「時計的時間」に意識を合わせることになります。
上の例で言えば、
学校の先生がいま退屈な「時間論」の講義をしていると。
で、「早く終わらないかなー、長いなー、まだ5分しかたってない(泣)」
と思っていても。
チャイムが鳴ると、チャイム=時計的時間(物質界の時間)に
クラスの生徒全員が意識を合わせるわけですね。
***
論点がそろってきましたので、まとめますと、
- 「現在の持続が時間である」
- 「時間を感じ取るのは意識である」
- 「時間とは意識の流れそのものである」
この3つのテーゼを一言でまとめると、
時間=持続する現在意識
という公式になります。
現在・現在・現在・現在・・・と意識が刻印しているようなもの。
↑では、現在と現在の間に「中丸= ・ 」を入れていますが、
中丸という断続すら無いですね。
書き直すと、
あなたの意識は以下のように流れています。
現在現在現在現在現在現在現在現在現在現在
これを漢字31文字で並べると、前衛短歌になりますね。笑
読むのではなく、漢字を視覚的に追ってください。
円環的に、表現してみよう。
在現在現在現在現在現在現在現在現在現在現在現在現在現在現在現
うーん。。これをさらに視覚的に円環形でデザインすると、
さらに完璧なんですけど。
誰か、書道とか、デザイン・絵画系が得意な人とコラボしたい。
タイトルは、「時間論」
***
話し、逸れました。笑
上記の例だと、
「これを漢字31文字で並べると」
と書いたあたりで、
「意識の種類」が「歌人」に変わっています。
ということは、「意識」の自己同一性も時間論にからめつつ、
もっと深く考察できそうですね・・・。うーん・・・。
(こんなふうに、哲学とは、大学で過去の哲学者の文献を
訓詁学的に漁るものではなく、真理に関する思惟(しい・しゆい)的
作用を言葉(ロゴス)をもって再現させる作業のこと、なんです)
***
あ、また逸れた。
***
そういうわけで、
過去というのは実は、
現在意識のひとつの領域内である「記憶・記録」にあるんです。
時計的に過ぎ去ったものではなく。
そして、ポイントは、
現在である以上、上書きが可能ってことなんですよ。
過ぎ去ったものは上書きできませんが、過ぎてない(現在だから)
から、上書きができる。
ゆえに、反省・内観によって、「出来事に対する自分の見方・感情を
変換すれば、すなわち、上書きされるということになる。
したがって、宗教用語に戻すと、
「悔い改めなさい、そうすれば許されます」
ということになります。
*同様に、
「未来」は現在意識内の「期待・予想」という領域内にある。
したがって、現在意識で念ったことが現実化するといいう、
自己実現の理論も哲学的に証明できるということになります。
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