マズローの「自己超越」とは何か? – 自己実現と自己超越の違いについて

自己超越

マズローと言えば、「欲求五段階説」を思い浮かべる人も多いでしょう。

*実際は、マズローは「欲求五段階説」という言葉は使っておらず、「欲求の階層」(欲求階層説)と言っています

人間は低次な欲求が満たさると、より高次な欲求に動かされる、ということを五段階に分けて説明したものです。

そして、最高段階の五段階目を「自己実現」としています。

マズローはこの欲求階層説を発表してから、しばらくして、「自己実現はさらに二段階に分かれるのではないか?」あるいは「自己実現の上の段階があるのではないか?」ということで、「自己超越」の段階の研究に打ち込んだのですね。

そしてのちに、マズローは「トランスパーソナル心理学の祖」と見做されるようになるのでした。

「欲求五段階説」は有名で、これを解説しているところはいくらでもありますので、本稿ではおもにマズローの「自己超越」とは何であるか?を探求してみたいと思います。

目次

マズローの欲求階層説とは?

マズロー(アブラハム・マズロー)の「欲求五段階説」、正しくは、「欲求階層説」についても前提として軽く触れておきます。

欲求五段階説

この三角形(ピラミッド型)の図はマズローを解説しているところでは必ずと言ってよいほど見かけますよね。

マズロー自身は、ジャングルに投げ出された人物を例にして説明しております。定義的に語るよりも、こちらのほうが分かりやすいと思いますので、今読んでおられる方も「自分が突然、ジャングルに放り込まれたらどうするか?」を想像しながら考えてみてください。

生理的欲求 – Physiological needs

ジャングルにひとり投げ出されたら、まず食料確保に乗り出すでしょう。一般に「食・性・眠」と言いますが、とくに「食」のところです。

つまり、「生理的欲求」とは、生命維持にためのもっとも基本的な欲求であることが分かります。

 

安全の欲求(安全欲求)- Safety needs

食料が確保できて、「とりあえずは生きていくことができる」となったとき、次に心配なのが、「猛獣や毒蛇に襲われたらどうしよう?」ということですよね。

そこで洞穴などを発見して頑丈な扉を付けることができればとりあえずは安心できます。

このように、生理的欲求が満たされたあとは、文字通り、「より安全でありたい」という欲求が出てきます。これが「安全の欲求」です。

安全の欲求

「生理的欲求」と「安全の欲求」はふたつとも物質的なものを欲していますので、まとめて「物理的欲求」とされています。

所属と愛の欲求(社会的欲求)- Love and belonging needs

「所属と愛の欲求」は「社会的欲求」と呼ばれることもあります。

最低限の生命維持(「生理的欲求」)と、身の安全を確保(「安全の欲求」)できたら、つぎに考えるのが、「仲間が欲しい」ということでしょう。

「一人では寂しい…」という心の欲求が生まれてきます。一緒に生きる仲間がいたり、群れに所属できれば、より安心できますよね。

所属と愛の欲求

こうした精神的な安心感を求めるがゆえに、この「所属と愛の欲求」以降は「精神的欲求」に分類されていきます。

承認の欲求(承認欲求)- Esteem needs

さて、仲間ができたり群れに参加できたあとに出てくる欲求は、「仲間から(群れのメンバーから)認められたいなあ」という欲求です。文字通り、「承認の欲求」です。

承認の欲求

これは、「尊厳の欲求」とか「自尊心の欲求」と呼ばれることもあります。

この欲求は、マズローによると、

  1. 自分で自分を認めてあげたい
  2. 他者から自分を認めて欲しい

に二分されます。

ここまで、「生理的欲求」から「承認の欲求」までは、「それがないと不安だなあ、安心できない」という欠乏感に促されて生じる欲求ですので、「欠乏欲求」とまとめることができます。

自己実現の欲求(自己実現欲求)- Self-actualization needs

自己実現の欲求は「成長欲求」とされています。

「生理的欲求」から「承認の欲求」までは「〜が欲しいなあ」「認められたいなあ」というふうに、つねに「他者」を必要としていましたが、自己実現欲求はそうではありません。

無人島のたとえでは、「群れのリーダーになる」というふうに解説されています。

自分の内面の欲求を探求した結果、「リーダーになりたい自分」を発見したということです。これは一例で、人によって「なりたい自分」は違ってくるでしょう。

このように、自己実現とは、「自分がより自分になること、自分がなり得るものになること」を言います。

自己実現

マズローの言葉を引いてみましょう。

自分自身、最高に平穏であろうとするなら、音楽家は音楽をつくり、美術家は絵を描き、詩人は詩を書いていなければならない。人は、自分がなりうるものにならなければならない。人は、自分自身の本性に忠実でなければならない。このような欲求を、自己実現の欲求と呼ぶことができるであろう。(『人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ』アブラハム・マズロー著)

人間性の心理学

また、マズローは自己実現者に共通する特徴を15項目挙げています。とりあえず、列挙してみましょう。

  1. 現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つこと
  2. 受容(自己・他者・自然)
  3. 自発性・単純さ・自然さ
  4. 課題中心的
  5. 超越性・プライバシーの欲求
  6. 自律性・文化と環境からの独立、意思、能動的人間
  7. 認識が絶えず新鮮であること
  8. 神秘的体験・至高体験
  9. 共同社会感情(共同感覚)
  10. 対人関係(少数との深い結びつき)
  11. 民主的性格構造
  12. 手段と目的の区別、善悪の区別
  13. 哲学的で悪意のないユーモアのセンス
  14. 創造性
  15. 文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

…あなたはどれだけ当てはまっていましたか?

承認欲求と自己実現欲求の違い

「自分は自己実現中だ」と思いつつ、実は「承認欲求」の虜になっている場合があります。

「自己実現」はさきに定義でチェックしたように、「自分がより自分になること、自分がなり得るものになること」を指します。少なくとも、マズローの定義ではそういうことです。

ところが、「自分は自己実現中であることを他人から認めてもらいたい」というパターンがかなり多いです。某SNSでよく見かける風景です。

「成功中」の自分の写真をやたらとアップして、お互いにいいね!をつけあって、いわば「承認ごっこ」をしている段階です。

これは、自己実現ではなく、「他人の承認を必要としている」欠乏欲求の段階にいることになります。文字通り、「承認の欲求」の段階です。

こうした「欠乏感に基づく動機」をマズローは、D(deficiency)動機と呼んでいます。

D動機の段階にいるということはいまだ利己的な段階であり、そうした意味では、自己実現の段階は利他的な段階への以降であるとも言えます。マズローも自己実現欲求について「利他的」という言葉を使っています。

ただ、このように書くと承認欲求をはじめ、各「欠乏欲求」は悪のように感じられるかもしれませんが、マズロー自身は、人間の基本的欲求をむしろ「積極的な善」として把握しています。

ここらへん、同じ心理学者でもフロイトとはだいぶスタンスが違うようです。

ただし、上位の欲求を満たすにつれて、「心理的な健康度」は上がっていくと、マズローは語っています。

自己超越(Self-transcendence)とは何か? – 単なる自己実現との違いをめぐって

B価値とは?

マズローは自己実現者の特徴として、4. 課題中心的 というのを挙げていましたね。

課題というのは、タスク、簡単に言えば「仕事」と言ってもいいですが、注意しなければいけないのは、自己実現者にとって、タスク・仕事そのものが目的にはなっていない、とマズローが考えたことです。

そうではなくて、「仕事の背後にある価値を求めている」ということにマズローは注目しました。

たとえば、弁護士であれば、単に職務を精力的にこなしているだけではまだ自己実現者であるとは言えません。

その職務の背後にある価値、この場合は、「正義の実現」と言ってもいいでしょう、そうした形而上的な価値の実現のための「手段」としてタスク・仕事を愛しているということなのです。最終的に求めているのは「正義」という価値そのものです。

職業などを通して得られるこうした形而上的な価値は「正義」以外にもいろいろあるでしょう。芸術家にとっては「美」であり、哲学者にとっては「真」であるかもしれません。

マズローはこうした形而上的な価値を「B価値」と呼びました。

マズローは14種類のB価値を挙げています。

真、善、美、全(二分の超越)、生気、独自性、完全(必然性)、完結、正義、簡素、豊かさ、無努力、遊戯性、自足性

ここでも注意すべきなのは、これらの項目は「仮に独立して14項目ある」ということであって、それぞれに置き換えが可能であるとマズローが考えていたことです。

たとえてみれば、ミラーボールは一つでも、光の当たり方によってさまざまな色に見えますよね。それと同じです。

B価値のBとは、Being(在ること)という意味です。つまり、B価値=存在価値、です。

私は旧約聖書に書かれている「在りて在る者」(「出エジプト記」第3章)を思い出します。ここは言わば「神の自己紹介」の部分です。

宗教者にとっては”神”とも言いうるもの、つまり広い意味では、「最高価値」と言っても良いでしょう。すべてのものに先立ち在るもの、かつても在り、今も在り、これからも在るもの、です。

マズローは自己実現者をB価値の追求者としても定義したのでした。

至高体験、高原認識とは?

また、マズローは、自己実現者がしばしば「超越経験」をしていることに気づきます。この超越経験をマズローは「至高経験(Pealk Experience)」とも呼んでいます。

これは、さきに挙げたB価値と関係しています。

至高経験とはB価値そのものを「体験」すること、いわば、「B価値と自己が一体化した感覚」と言っても良いでしょう。

そして、マズローは、この至高経験、超越経験の有無に注目しつつ、次のように述べています。

私は最近、自己実現する人々を二種類「いや等級といった方がよいかもしれないが)に区分した方がはるかに好都合であると考えるようになった。すなわち、一つは、明らかに健康であるが、超越経験をほとんどあるいはまったくもたない人々と、他は、超越経験が大へん重要であり、その中心にさえなっている人々である。(『人間性の最高価値』アブラハム・マズロー)

人間性の最高価値

ここでまず注目すべきなのが、マズローが「等級といった方がよいかもしれない」と留保している点です。

そうすると、「欲求五段階説」は少なくとも晩年のマズローの構想としては「欲求六段階説」のほうが真実であったと言えるでしょう。

マズローは、自己実現者と自己超越者を区別する特徴は「至高体験、あるいはB価値の認識が持続していく状態」(これをマズローは「高原認識」とも呼んでいます)の有無にあるとしています。

自己実現とは、「自我中心の世界観」から「B価値中心の世界観へ」のコンバート

さて、マズローが「至高体験」「B価値」に注目しつつ、自己実現を定義づけていることに再度、注目してみましょう。

仕事そのものではなく、仕事の背後にある「本質的価値」を愛すること、これは、いわば本質的価値を北極星のように自らの指針あるいは目標としている状態であり、欠乏欲求を基本にしている「自我中心の価値観」とは根本的に異なっているようです。

つまり、自己実現者はどこかの段階で、観の転回・コンバートを経験していることになります。

自分を中心に世界が回っているという「自我中心の世界観」から、B価値を中心に自分が回っている(仕事を成している)という「B価値中心の世界観」へのコンバートです。

この両者は、構図としては、真逆と言ってもいいでしょう。「地球が中心なのか、太陽が中心なのか」という天動説と地動説並みに構図が違っているのです。

地動説

この「地動説」的な状態は、宗教で言えば、「信仰」に相当するでしょう。「神中心の世界観」です。

マズローは宗教嫌いらしかったので、宗教的には語っていませんが、構図としては、「B価値中心の世界観」は「神中心の世界観」と構図的には、実質的に同じモデルになっています。

このように考えると、承認欲求から自己実現欲求への移行は、けっこう難易度が高いと言いますが、やはり、根本的な観の転回・コンバートが要請されていると言っても過言ではないでしょう。

自己超越は、B価値そのものとの一体感の段階

至高体験(ピークエクスペリエンス)については、B価値そのものを「体験」することという定義でした。これは押し寄せるような幸福な体験です。

自己実現者にとっては、B価値は追求する対象にいまだ留まっていますが、自己超越者にとっては、「追求の過程でむしろB価値との一体感を味わい、それがある程度、持続していること」という段階に入っています。

先に述べた、「至高体験、あるいはB価値の認識が持続していく状態(高原認識)」の常態化です。いわば、フロー状態です。

B価値との一体感というと、スピリチュアル的には「ワンネス」を思い起こさせるものがありますね。

実は、真実在と言えるものはB価値のみであり、私たち一人ひとりは個別的な現象に過ぎない。この個別的な、(一見、他者や全体と区別されているところの)現象が、「真実在の一部なのだ」という認識・実感に到達していること、これが自己超越者の特徴と言えそうです。

逆説的ではありますが、自己を探求していく過程を突き詰めると、自己を超越してしまうのです。

夜と霧』で有名なヴィクトール・フランクルも『宿命を超えて、自己を超えて』のなかで自己超越について下記のとおり語っています。

自己超越とは、人間存在がいつでも、自分自身ではないなにものかへ向かっているという基礎的人間学的事実のことである。人間存在はいつでも、自分自身ではないなにかや自分自身ではないだれかへ、つまり実現すべき意味や、出会うべき他の人間存在へ、向かっている

宿命を超えて、自己を超えて

さて、それでは、B価値と私たち一人ひとり(仮に、”現象A”とします)がどのような関係になっているか、図解で考えてみましょう。

B価値

図のように、私たち現象Aは、B価値の一部である、これが真実の世界モデルです。

自我を強化することは一見、自己を拡大するように感じられますが、実はB価値あるいは、他の現象との溝を作ってしまう結果になります。

ところが、B価値を中心に自己を探求していると、現象AはじつはB価値の一部であり、本来、一体のものであるという認識に至ります。これがスピリチュアルで言う「ワンネス体験」に相当するでしょう。

このように、自己実現の段階はいまだ「B価値の追求」という「B価値の対象化」に留まっている段階ですが、自己超越の段階は、「B価値との一体感」という段階に移行しているということができるでしょう。

これは、より本源的な意味での、宗教体験、自己拡大の経験と言えそうです。

以上、自己実現と自己超越の違いについて、ネオ仏法独自の解釈を施してみました。「至高体験」「B価値」そしてそれらが持続している高原認識について、理解の深まりの一助になっていましたら幸いです。

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