三法印瞑想でこころの安らぎを得る(諸法無我編)

諸法無我

三法印瞑想でこころの安らぎを得る(諸行無常編)」の続きです。

目次

諸法無我(しょほうむが)とは

諸行無常が、おもに時間軸のなかで、「変転・変化」を観じていくのに対し、諸法無我は、おもに空間軸のなかにいる”われ”を認識していく方法です。

…という説明ではよく分かりませんね。

まず、言葉レベルで分解していくと、

  • 諸法もろもろの存在。「法」(=ダンマ)は、「教え」もしくは「存在」という意味です。諸法無我の「諸法」は、後者=存在、という意味で使われています。
  • 無我…文字通り、「われなるものは無い」という思想です。

なぜ、もろもろの存在には「われ」なるものはないのか?

それは、もし、それ自体で存在できるものであれば、他者との関わりも必要がないわけです。

ところが、自分も含めて、あらゆる存在が、「他との関わり」において、存在していますね。

ゆえに、それ自体で存在しているわけではなく、今、仮に存在しているだけなのだ、という考え方をとります。これが、「無我」ということです。

…この説明でもよく分からないかもしれません。いまだ哲学的な概念に聞こえると思います。

むしろ、この哲学的・抽象的概念を「ほんとにそうなんだ」と腑に落としていくのが、諸法無我の瞑想です。また、逆に、瞑想をすることによって、はじめて理解できる概念でもあります。

諸法無我の瞑想

諸法無我は「空間の中にいる我(われ)」を観じていきます。

ゆえに、前回の「諸行無常の瞑想」と同様に、まずは、あなたとあなたの身の回りの事物を見渡してみてください

数息観→諸行無常の瞑想→諸法無我の瞑想という手順で行きます
*数息観は慣れたら、ふつうの深呼吸でも構わないです。

目を半眼の状態にして、まずは”あなた自身”のことをイメージしてみてください。
*ポーズは、あぐらでもいいですが、背筋はなるべく伸びた状態のほうがベターです。

  • あなたは、あなた自体で、あなた単体で生存しているでしょうか?
  • あなたは、今、呼吸をしていますね。それはつまり、「空気」という存在と合い縁(よ)って存在しているということです。酸素を得て、さらに、今度は、空中に二酸化炭素を放出しています。
  • あなたの髪型はいかがでしょうか?数日前に、美容師(床屋さん)がカットしてくれましたね。ゆえに、あなたの髪は、美容師さん(床屋さん)の腕前と合い縁って存在しているということです。
  • 爪はどうでしょうか?数日前に爪切りで切ったかもしれません。あなたは爪切りと合い縁っていますが、さらに、その爪切りを生産した人とも関わっていることになりますね。さらにさらに、その爪切りをデザインした人とも関わっています。
  • その爪切りは工場で生産されたのでしょう。生産するためには、工場の設備・ロボット・ラインなどとも間接的に関わっていると言うことになります。
  • さらにさらに、ロボットなどを生産した人→設計した人→そもそも”ロボット”というアイディアを思いついた人とも、遠く関わっています。

・・・こんな感じで、どんどん拡がっていきますよね。

今度は、”物質”を観てみましょう。

いま、あなたが部屋の中にいるとして、目の前にコーヒーカップがあるとします(たまたま、目の前にあるものなら何でもいいです)。

そのコーヒーカップは、「それ自体」で存在しているでしょうか??机の上に載っていないですか?コーヒーカップの生産をした人、デザインをした人もいます。

そして、コーヒーカップのデザインをした人は、あなたが直接知ることがなくても、あなたと同じように、人生を生きており、あなたと同じように、悲しんだり苦しんだり喜んだりほんわかしている時もあるのでしょう

机の上に載っている、と書きましたが、その机の材質はなんでしょう?木製であったとして、あなたの知らないところで、木を伐採して、さらに加工工場へ搬入されたりしています。

まとめ

・・・このように、あなたの部屋のなかにあるどれひとつをとっても、さまざまな”関わり”のなかで、たまたま、”今ココ”に存在しています。仮の存在です。

諸行無常的には、コーヒーカップもいずれ壊れていきます。というより、真実は、今この瞬間にも分子レベルでは動いている、変転・変化しています(諸行無常)。

…と言ったふうに、諸法無我⇔諸行無常を行き来することも面白いですし、さらに瞑想効果を高めます

諸法無我の悟り

さて、あなたは今、存在していますね。

その”あなた”のどの部分をとってイメージしたとしても、何かしら他者との関わりのなかで存在しているということが分かりました

あなただけではなく、あなたの周囲にある物質もそうです。

あなたの知らない・見えない・地球の裏側や、他の惑星に住んでいる人々もそうです。

だれ一人として、どれ一つをとったとしても、それ自体では存在しておらず、”関わり”のなかで、今ココに、仮に存在しているのです。

仮であるということは、実体(永遠の存在)ではありません。ゆえに、肉体や物質に関わるものは、本質ではなく、仮の存在です。仮性(けしょう)なる存在です。

仮性なるものに、仮の存在であるものに執われる必要があるでしょうか?

そして、愛の瞑想へ

執われから離れたら、今度はもう少し積極的にイメージしてみましょう。

結局、爪切りひとつとっても、「爪切りを作った人」「”こういうデザインの(こういう機能の)爪切りがあったら、喜ぶ人もいるだろうな、と、あなたが知らないところで愛の気持ちを持ってデザインした人」とあなたは関わりをもっています。

美味しい空気や水や食べ物も、広く生命であり、それらの生命の奉仕によってあなたは生かされています。

そうした、愛し合い生かし合う世界、しかし、常に変転変化きわまりない世界に、”今ココ”にあなたは存在しています

空間軸において、あなたは本当は愛の世界を生きています。生きているだけではなく、あなたは積極的に他の存在へ愛を与えていくこともできます

この認識によって、大いなる安らぎを得ることができます。

これが諸法無我→愛の悟りです。

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