G7プラス1、
みたいなタイトルにしてみました。笑
諸悪莫作・衆善奉行・自淨其意・是諸仏教
(『法句経』)
という言葉があります。
読み方と、意味は、
- 諸悪莫作(しょあくまくさ)・・・もろもろの悪を作(な)すこと莫(な)く
- 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)・・・もろもろの善を行い
- 自浄其意(じじょうごい)・・・自ら其(そ)の意(こころ)を浄(きよ)くす
- 是諸仏教(ぜしょぶつきょう)・・・ 是(これ)がもろもろの仏の教えなり
ということになります。
要は、
諸悪莫作・衆善奉行とは、「悪を退けて、善をなす、そしてこころを清めていくのが、
あらゆる如来の教えである」
という、実にシンプルな教えです。
智慧の大切さ、について、当サイトで繰り返し述べておりますが、
まず、智慧は最初の段階としては、「善悪の峻別」というところから出発します。
この善悪の峻別ができて、はじめてそれ以後の、
空(くう)や縁起(えんぎ)、などの高度な仏教哲学の理解、
つまり、少なくとも知的認識における菩薩界の悟り、
へと進んでゆくことになります。
*知的認識ができるということと、実際に菩薩の境地を得ていることは同一ではありません
*西欧的には、カント〜ヘーゲルなどの観念論哲学に相当します。
20世紀はとくに、マルクス主義が席巻し、直接間接を問わず、
学界にも入ってきたために、ともすれば、結果平等、
つまり、
「良いとか悪いとかはなくって、みんなそれぞれ、
一つだけの花。仲良くしましょー♫」
という、一見、耳障りのよい言葉・思想が世の中に通用していたんですね。
こういう、いかにも、もっともらしい、反対のしづらいセリフで、
かつ、いちばん重要な点をすり替えてくるのが魔の常套手段です。
上のコトバで言えば、
- 惹きつけの部分:「みんなそれぞれ、一つだけの花。仲良くしましょー♫」
- すり替え部分:「良いとか悪いとかはなくって」
ということになります。
つまり、フロントエンドは天国らしきもので、
バックエンドは地獄ってパターンですね。笑
そういうわけで、いまだに残っている20世紀的なる風潮に屈することなく、
まずは、善悪をハッキリと分別していくことが、智慧の始まりになります。
というのも、これは人間心ではなく、
あの世の構造が、ハッキリと、善=天国、悪=地獄
と分かれておりますんでね。
昔ばなしのようでバカらしいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
事実は事実なので、指摘していっているわけです。
けっこうね、ふわふわと綺麗な言葉を何となく詩的に書いて、
スピリチュアルとして発信するって、誰でもできることなんですよ。
反論されやすい、とかのリスクもないですしね。
リスクでいえば、私の発信などリスクの塊ですよ。笑
ふわふわ言うのも、可能なんですが(詩人の魂も入っておりますので)、
それよりかは、詩の比率を下げてでも、善悪をハッキリと、
しかも、ある程度の論理性・再現性を保ち、
かつ、現在進行形の諸問題へも応用して発信するというのは、
けっこうなリスクです。
前置きが異常に長くなりました。
善悪以外に、もうひとつはっきりとしておきたいことがあります。
それは、別の記事でも述べた魔法界の存在ですね。
「スピリチュアルでも、占い・霊能力系、などとは距離をとったほうがいい理由」
要は、天国でも、
表側(メインストリーム系)と裏側(魔法・天狗・仙人界)
の二通りが存在するということです。
ところが、スピリチュアルであっても、
その多くが裏側系の発信であるという事実があります。
それが、実害がなければ、私も何もいわず(つまり、リスクをとらず)、
放って置くのですが。
私があえて書いているということは、少なくとも、
一部は実害があるということなんですよ。
それは、以前にも書きましたが、その中でもっとも問題なのは、
霊能力信仰が魂の転落の原因となり、
かつ、それが地獄界の勢力の供給源のひとつになっているからです。
つまり、
諸悪莫作・衆善奉行にプラス1として、魔法界などの裏側も表側(メインストリーム)
とは明確に峻別していく、ということになります。
いっぺんに書くと、相当長くなりますので、
予告編としては、
- キリスト教の旧約聖書部分(の一部)
- 現在の、マヤ・インカ・アステカなどの古代文明信仰
- 日本における、龍神・稲荷信仰、滝行などの荒行信仰
- 宇宙人への対処法
などなどです。
このうち、宇宙人については、裏側とはまた違うところもあり、
実に複雑なのですが、問題点としては似たようなところがありますので、
同じカテゴリーに入れておきます。
*金星・ベガ・プレアデスなどは主流派なので除きます。
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