”ツインレイ”は、人間関係のなりゆきを責任転嫁する発想
ツインレイについては、以前、質疑応答でチラッと考えを述べたことがあります。
参考記事:「ツインレイ 、男性性・女性性 について」(質疑応答)
「あの人はツインレイだったのか」とか、「ツインフレーム」がどうこうとか、用語はなんでも良いんですが、
要は、このツインレイの発想は、人間関係調整のありようを外部の責任に転化する考え方になっていることが問題なんですね。
上手くいかなかったら、「ツインレイだと思っていたのに、そうじゃなかったんでしょうか?」とか、「いやいや、ツインフレームで」とか、…なんとかかんとか。
これでは、ほんとうの意味で、「自らを振り返る」という姿勢が生まれないんです。
ツインレイは、セレンディピティ理論などと一緒に語られることも多いようですが、
セレインディピティ理論は、本来、「偶発性のなかに価値を作り出していく」、もしくは、「構えのある心の状態が価値ある偶発を引き起こす」というもので、やはり、心の<外部>ではなくって、心の<内部>の価値に焦点を当てる理論です。
つまり、人間関係調整の過程において、智慧を獲得していくはずのものが、ツインレイ的発想をすることによって、自らの魂のありようを真っ直ぐ見つめることのない(=したがって、決して智慧に転化しない)”逃げ道”になってしまう危険性があるということですね。
エネルギー分化の目的とは何だったのか?
そもそも、大宇宙の根本エネルギー(真実在)がなぜ、エネルギー分化してきたのか?
それは、多くの個性をあらしめることによって、個性と個性を切磋琢磨させ、大宇宙の智慧と愛の総量を増やすためなんです。
*参考記事:ワンネス、仏教、宇宙。そしてネオ仏法の悟りへ
原初に縁のある(片割れ的な)魂に出会うために生きているのであれば、そもそも、宇宙がエネルギー分化してきた意味がないということになってしまいます。
ずっと、ひとつのエネルギーでいれば良いわけですからね。
わざわざ、エネルギー分化してきたのであれば、それ相応の意味があるはずで、ここを汲み取らないとスピリチュアルな悟りとして不十分なんです。
そういう意味で、ツインレイ的発想は
- 人間関係調整論というミクロの理論
- 大宇宙創造(エネルギー分化)の意図というマクロの理論
両面から考えても、大きくミスを含んでいますし、決して、人間の精神を向上へと誘う思想にはなりませんね。
結局、ツインレイ的発想は、「白馬の王子様」と一緒で、「いつかどこからか」幸せがやってくるという、幸せの根拠を外部へ転化する発想です。
そして、外部のものは自分の心のコントロールの範囲外のものでありますので、そうした考え方を持つことによって、心の安らぎを得ることはありません。
ロマンティックな感性を持つクライアントをそういう不安定状態に置いておき、長らくセッション代をせしめようというシステムなんではないか?と勘ぐりたくもなります。
これはおそらく、セッションを提供している側が、メサイア・コンプレックスからテイクオフしていないことが、そもそもの原因です。
*参考記事:「メサイア・コンプレックスと、スピリチュアルカウンセラーの過去世認定」
新しい縁WELCOME!!の姿勢で
情報化社会にいる私たちは、日々、膨大な情報に接していますので、元が縁のある魂であっても、ほんの数年で価値観が変わってしまうことが多々あります。
これが、離婚が増えている原因でもありますが。
逆に言えば、新しい縁であっても、価値観を同じくして、仕事や家庭を持つ組み合わせは数多く誕生しているのが真実です。
なので、「はるか昔にこうだった」とかいう発想からは抜け出して、「今、どうあるべきか?」「今のこの人間関係の中から価値を創出できないか?」と考えるほうが、友人関係においても恋愛関係においても、ずっと発展的なんです。
また、だからこそ、ワンネスなエネルギーが無数の個性にエネルギー分化してきた意味があるということです。
したがって、魂の性質・相性についても、どんどんイノベーション(変化)を含んでいくべきだと思います。
また、自らの中にそうしたイノベーションの原理を組み込んでいったほうが、魂として永続的に伸びていく道なんですね。
結論としては、ツインレイ的発想は、人を真に向上へ導くことのない”呪術スピリチュアル”であるということです。
「新月・満月で云々…」と同様に、地獄的とまでは言いませんが、あえて踏み込むべき世界ではありません。
*参考記事:「新月や満月で運気アップとか願い事とか考えないほうが良い理由」
コメント
コメント一覧 (2件)
コメントありがとうございます♪
宇宙の成り立ちという「そもそも論」からしてツインレイ理論はおかしいのです。
わざわざ苦労して肉体に宿って魂の片割れ探しをするのが目的であれば、こんな無駄なことはない。
それなら、そもそも魂分化してこなければいいじゃないか、となります。
結局、むかしの「白馬の王子様物語」にお洒落っぽい色付けをしただけの呪術スピリチュアルの一種で、
自分が幸せになれない原因を外部転化する理論に過ぎません。
激しく同意します。なんでこの不自由な肉体に魂が宿って現世でいろいろな煩わしい経験をするのか長いこと考えあぐねていました。本来グループソウルから分化して現世に降り立ち、様々な体験を通じて切磋琢磨して魂を磨いていくことでグループソウル全体も向上して階層をレベルアップしていく、いうのが最も腑に落ちます。悩み苦しむときに必要なのは自分を見つめ今どうすべきか内省して自分で答えを出していくことなんだと思います。そこで安易に魔法の答えを求めたくなるときに波動が下がってメサイアコンプレックスの人に引き寄せられてしまうのかもしれませんね。守護してくれる見えない存在がいる、天使なり守護霊なり指導霊なり、神様と直結していることを感じられる存在とつながっていると意識できるかどうかが肝なのかもしれませんが。