中絶をスピリチュアル(超宗教)的に検証してみる – 殺人に当たるのか?

中絶 スピリチュアル

英国の製薬会社ラインファーマが経口投与の人工妊娠中絶薬を日本で承認申請したとのニュースが流れてきました(2021/12/22)。

母体保護という観点からは喜ばしい流れのようですが、今後、「より、お手軽に中絶できる」ということになると、中絶・堕胎数そのものが加速していくことが予想されます。

日本では、厚生労働省が発表している統計によると、令和2年の人工中絶数は145,340 件とのことです。これは本当にかなりの数ですね。

今回は、人工中絶・堕胎について、スピリチュアル的・超宗教的にはどう判定されるのか、考察しつつ、ネオ仏法の見解も提示してゆきます。

結論から申し上げますと、基本的には、人工妊娠中絶・堕胎はスピリチュアル的には殺人罪にあたります。宗教的にそう「決められているから」ということではなく、霊的に観て、超宗教的観点からそうである、ということです。

ネオ仏法の立場から、より正確に申し上げますと、「つわりが始まる妊娠5週目以降の人工妊娠中絶は殺人として認められる。ただし、母体保護の観点もしくはレイプ・近親相姦など事件性のある妊娠の場合は考慮されうる」という立場を採ります。

その理由については後述します。

目次

世界宗教では、人工妊娠中絶・堕胎は殺人と同じ!?

人工妊娠中絶について、各世界宗教の立場はどうであるか?チェックしてみましょう。

キリスト教

キリスト教ではカトリック・プロテスタントを問わず、教理的には、受精した段階で人間と見做され、「人工中絶・堕胎は殺人」という立場です。

人間は「神の御姿に似せて創られた」(「創世記」)特別な存在であるがゆえに、人間自身の都合によって殺してはならないということです。

そういうわけで、殺人そのものはまずモーセの十戒で「殺すなかれ」ということで禁じられていますが、解釈としては、人工中絶・堕胎も殺人に含まれる、ということですね。

十戒

もっとも、キリスト教国であっても、国によって(アメリカなどでは州によって)、時代によって、「合理的な」判断がなされているところもあります。

しかし、基本的には、「母体の生命が危険にさらされている」という状況に限って許容されるものの、それ以外の場合は、レイプ事件・近親相姦による妊娠でさえも、人工妊娠中絶・堕胎は殺人と見做される、ということになっています。

カトリックでは破門、プロテスタントでは戒規の対象となります。

イスラム教

イスラム教においては、人工中絶は「母体を救う」という目的以外では禁止(ハラーム)とされているのものの、『ハディース』に「人間は母親の胎内で120日かけて人間になる」と記されていることから、それ以前の段階での人工中絶は認められれる傾向にあります。

世界宗教の中では意外に「中道路線」です。

仏教

仏教においては、人工妊娠中絶は、五戒の筆頭である不殺生戒に触れるとして、伝統的には否定的な見解を採ります。

釈尊は、仏弟子が中絶に関与した7つの事件について教団追放の裁定を下している、というのが大きな根拠です。

仏教では、胎児はどの段階から人間であるか?について、

  1. 性行為
  2. 生理の停止
  3. 輪廻の主体の入魂

の3つが合致したときである、としています。1と2の段階では妊娠しているとは確定できませんので、結局、3の「輪廻の主体の入魂」が基準となっているということでしょう。

もっとも、”入魂”は「受精した段階から」というのが伝統的な見解ですので、イスラム教よりは厳し目の判定をしていることになります。

ネオ仏法は人工妊娠中絶についてどう考えているか

さて、ネオ仏法では、人工中絶・堕胎についてどう考えるか?霊的な根拠も含めて考えていきます。

人工中絶は基本的には殺人に相当する

上記3つの世界宗教が共通して「人工中絶は殺人に相当する」と捉えているように、ネオ仏法でもやはり、そのように捉えます。

刑法としての殺人罪とはまた別に、真理スピリチュアルからみた殺人罪というのがあります。

もちろん、両者とも対象が殺人であることには変わりはないのですが、真理がこの世を超えた論理まで含めて判定していくことを考えると、やはり最終的には、真理スピリチュアルによる判定が重要である、ということになります。

殺人がなぜいけないのかと言うと、真理スピリチュアル的に言えば、「対象者のこの世における魂修行の機会を強制的に奪い、かつ、周囲の関係者も悲しませてしまう行為だから」ということになります。

そういう意味では、胎児の段階であっても、当然、「この世に魂修業をするために計画し、決意して」母体に宿っているわけですから、上記の定義に当てはまってしまうわけです。

なので、本当はよほどの事情がない限りは出産すべきである、というのが真理です。

つわりが始まる(平均)「妊娠5週目で胎児」となる

どの段階で”胎児”と言えるか?については、世界宗教の間で見解の相違がありましたね。

キリスト教のように「受精した段階から胎児である」という見解では、事件性のある妊娠でも、性行為後の避妊が間に合わないケースも出てくるでしょう。

実は、仏教の「輪廻の主体の入魂」がいちばん正確な理解だと思われます。

つまり、「受精した段階ではまだ魂が母体に宿っていない」ということです。

「では、入魂は何週目からなのか?」ということになりますが、超正確には言い切れませんが、ひとつの目安が「つわりが発生する段階」と考えています。

ということは、「妊娠5週目あたりから入魂する」という理解になります。イスラム教の”120日”よりは早い判定です。

なぜ、つわりが基準になるか?ということですが、

子宮に子どもの魂が宿るということは、母体に(ご本人も含めて)二重に魂が存在する、という状態になりますよね。

そうすると、母親の魂と子どもの魂の波動が一致しない場合に、肉体的に反応が現れるのです。それが”つわり”だと思われます。

なので、つわりに「重い、軽い」があるのですね。

つわり

つわりが重い=波動が一致しないというのは、

  1. 霊格に差がある
  2. 魂の種類・系統に違いがある

のどちらか、もしくは両者であるということになります。

魂の波動理論については、下記の記事をご参照ください。

*参考記事:人生の意味とミッションとは?

そういうわけで、「つわりが発生する平均値とされている妊娠5周目に入魂する」という基準を考えております。

逆に言えば、妊娠5週目未満の中絶は殺人に当たらない、という理解になります。

アフターピルを含めた避妊は罪ではない

ただ、妊娠検査が有効であるのは、「次回月経予定日1週間後」つまり、ほぼ妊娠5週目とされています。

そうすると、「検査した段階ではもう入魂しているではないか」ということになってしまいます。

そういう意味では、「妊娠の可能性がある」覚えがある場合は、早い段階でアフターピルの服用などで避妊することが望ましい、ということになりますね。

ちなみに、世界宗教であっても、そもそも避妊行為そのものを罪と考えるところもありますが、ネオ仏法ではそこまで厳格に考えていません。

子どもを作る目的以外でも、結婚した夫婦や祝福されたパートナーとの愛を確かめ合う行為は、基本的には、神の御心に適っている、という理解をします。

性愛

そのように考えないと、なぜ性行為が快楽を伴うのか、神が人間をそのように創られたのか、という意味がよく分からなくなってしまいます。

子作り以外の性行為はすべてダメ!というのは厳しすぎますし、現実には守りきれないと思います。

俗に、「食・性・眠」と言いますが、性以外の食と眠も同じことです。

過度の美食は不健康や執着につながっていきますが、だからといって、美食そのものがダメというわけではありません。「肉体を維持する最低限度で良い、だから3時のおやつもダメだ」とか、「ちょっとした昼寝も執着だ!」とか言われたら、殺伐とした世界になりますよね。

何事も、適度であれば良いのです。

そういう意味では、避妊具を使った避妊、および性行為後のアフターピルの使用は認められうる、という見解を採ります。

ただ、性行為そのものが人生の中心的価値のひとつになってしまうと、それはそれで霊格の低下を招く、あくまで「霊主肉従(れいしゅにくじゅう)」が原則である、ということは押さえておいたほうが良いでしょう。

この点、不倫や浮気について、下記の記事で詳述していますので、参考になさってください。

*参考記事:浮気や不倫をしたら地獄へ堕ちるのか?

事件性のある人工妊娠中絶は考慮されうる

基本的には、「人工妊娠中絶は殺人に当たる」ことには変わりはないのですが、レイプなど事件性のある妊娠については真理から見ても考慮されうる、と考えています。

そもそも、「殺人がいけない」という(真理スピリチュアルからみた)理由は、「対象者の魂の修行を阻害してしまい、周囲の人間も悲しませてしまうから」ということでした。

事件性の強い妊娠などでは、生まれてくる子も不幸になってしまうケースがあるでしょう。また、胎児の段階ではまだ人間関係ができておりませんので、「周囲の人間を悲しませて」とという段階にあたりません。

そういうわけで、堕胎しないほうがベターなのかもしれませんが、事件性のある妊娠についての人工妊娠中絶は、神仏から見ても考慮されうる、と考えます。

すでに、中絶をしてしまった場合はどうするか?

この記事を読んで、(内容が受け入れられるのであれば)「しまった!過去にやってしまった!」という方もいらっしゃることでしょう。

その場合はどうするか?ということですが、過去の事実そのものは残念ながらなかったことにはできません。

価値観の変容である程度、過去を上書きすることができる

ただし、価値観が変われば、過去の出来事であっても、ある程度リカバリーができる、という側面もあります。

少し哲学的になってしまいますが、時間というのはある意味で「存在しない」のです。

私たちは、事物の変化を観察し(意識的にであれ、無意識的にであれ)、

変化前A→変化後B

という流れそのものに”時間”を感じ取っているのです。

つまり、「変化と、変化を観察する自意識そのものが時間の正体である」と言えるのです。

そういう意味では、過去・現在・未来があるというよりも、「常に”現在”が変化しつつ持続している」というのが、時間の正体なのです。

過去現在未来

したがって、過去の出来事であっても、それに対する”価値観”は、今現在に属していて、その価値観こそが実在であると言えるのです。

そうであるならば、心から反省し、価値観を変容させることができれば、ある意味で過去を上書きしたということもできます。

なので、今回の記事の内容を「真実である」と受け入れられるのであれば、

  • 心から内省する
  • 中絶した子に対して水子供養などを行い、心から詫びる

といったアクションをとっていきましょう。

人生のバランスシートを考える

人はそもそも、この世に生きている限り、なにがしかの罪を犯さざるを得ません。

歩いているだけで、知らずに虫を踏み潰してしまうこともあるでしょう。ここのところ、気をつけていても、微生物レベルまで考えれば、呼吸をしているだけで、厳しく言えば、”殺生戒”を犯していると言うこともできるのです。

ただ、それでもなぜ、人間が地上に生かされているかと言うと、そうした数々の”罪”を上回るだけでの、「善の付加価値」を生み出すことを期待されているからです。

*参考記事:虫や動植物を殺したらスピリチュアル的に罪になるのか?

お金の問題で、「資産と負債」という概念がありますよね。

たとえば、資産が1000万円あるとして、負債(借金など)が600万円あるとします。

そうすると、本当の資産=純資産は、

資産−負債=純資産

の式で計算できますから、

1000万円ー600万円=400万円

400万円が純資産ということになります。

人生もこれと同じで、妊娠中絶などのマイナスポイント(=負債)を作ってしまった!ということがあったとしても、それに囚われてばかりいずに、一通りの反省をしたのであれば、むしろ、負債を帳消しにするくらいの資産を作ることを心がけていけば、真理スピリチュアル的には良いと考えます。

この場合の資産というのは言うまでもなく、「世の中に善を還元していくこと」です。

悪を犯したとしても、それを上回るくらいの圧倒的な善を生み出していきましょう。

人生のバランスシート

これが、人生のバランスシートの考え方です。運命論ではなく、自助努力で「魂の資産」を増やすように頑張ってくことが肝要です。

 

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • >ヒカル様
    コメントありがとうございます!

    ここ2500年ほどの世界宗教は、性について若干、厳しすぎる解釈をしてきたと思います(イエスのお言葉ではなく、人間の”解釈”ですね)。
    あまり厳しすぎると守りきれないので、かえってキリスト教国であっても、性の乱れの問題がおきるという逆説があります。

    性に限らず、この世の営みは結局、自利もしくは利他に資するかどうか?が問題であって、
    それそのものが問題であるわけではない、ということですね。

    参考にして頂けて嬉しいです♪

  •  今回も勉強になる記事をありがとうございます。私はキリスト教を信じていまして,子作りを目的とはしない性行為は全て「罪」であると考えていました。しかし,何も子作りを目的としない性行為であっても,それそのものを楽しむのは罪に当たらない,ただし,正しい避妊行為はすべきである。というのが中道であると分かりました。とても有益な記事でした。ありがとうございます。

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