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摩訶般若 – 仏教的グノーシスの経典としての『般若経』

仏教的グノーシス主義

分かったようでわからないから奥深い?般若心経

「『般若心経』の悟りを超えて」シリーズ第1回目です

般若心経は正式名称は、「摩訶般若波羅蜜多心経」(まかはんにゃはらみたしんぎょう)と言いますが、一般的には「般若心経」の名前で親しまれています。

日本においては、これほど有名なお経はないですし、実際、浄土真宗と日蓮宗以外の宗派では共通して唱えられていますので、耳にする機会も多いでしょう。

また、般若心経の解説本は明治期以降、国会図書館の蔵書だけでも630点を超えると言われていますので、その人気ぶりが知れると言うものですね。

かように親しまれて、かつ、さまざまな解釈本が出ている般若心経ですが、「それでは、どうですか?般若心経が分かりましたか?」と言われると、

「うーん、一切は空ってことですかね?」「とらわれるな!みたいな?」

ということで、分かったようなわからないような…で、

この、「まだ分からない、分かった気がしない」というところが、「奥深い」とされ、さらなる探究心とか神秘性をかきたてている面もあるかな、と思います。

ただ、私は個人的には、このよう「なかなか分からないから奥深い」とか、「言葉で説明できないから奥深い」というのは”逃げ”だと思っています。

たしかに、悟りを腑に落とすことと、言葉・論理を理解することはたしかに別問題ですが、真理は腑に落とせるかどうか?は別としても、ある程度、言葉・論理で記述することが可能である、と思っています。

私がこれから解説する「般若心経」は、過去、出版されたあらゆる「般若心経本」を超え、さらに、『般若心経』で説かれている悟りをも二段階ほど超えていくつもりです。

*学問的な部分につきましては、『般若心経―テクスト・思想・文化』(渡辺章悟著)にずいぶん教えられるところが多かったことを付記しておきます。

本文全体は、こちらの「祈り/読誦」というコーナーの冒頭に掲載していますので、参照なさってください。

もっとも、般若心経は短いお経、と言っても、解説するとなると、何回かに分けてゆっくり…となりますので、気長にお付き合いいただけると幸いです。

今年(2020年)はキリスト教系の記事の更新に重点をおいていますが、たまに仏教も思い出したほうがバランスが良い、ということで、ゆっくりと更新していきます。

それでは前置きはこのくらいにして、早速、入っていきます。

「般若=グノーシス」の図式

まずは、タイトルからですね。

摩訶般若波羅蜜多心経

読み:まかはんにゃはらみたしんぎょう *太字は高田

原文のサンスクリット語では、「プラジュナーパーラミター・フリダヤ」というタイトルです。

漢文表記で書かれている冒頭の「摩訶(まか)」は、「マハー」ということで、「偉大なる」という意味。形容詞ですね。

プラジュナーは、「プラ+ジュナー」で、

  • プラ:先だつところの
  • ジュニャー:智慧

と分解して理解すると分かりやすいです。

ひとくちに「智慧」と言っても、大きくは、

  1. 分析的・合理的な知
  2. 総合的・本質を見通す知

と、ふた通りに分類することができます。

どう違うか?と言いますと、これは、P.G.ハマトンが『知的生活』(翻訳:渡部昇一)で、「ダチョウの足、鷲の羽」に例えられていまして、これが分かりやすいと思うんですけどね、

ダチョウっていうのは、地面をダッダッダッと行くじゃないですか。力強く、確実なイメージですね。

しかし、景色の全体を見渡すのは不得手、という感じがします。あくまで、「辿った限りで、跡づけられた限りで」景色を把握していく。

一方、「鷲の羽」というのは、大空をさーっっと飛んで、景色の全体を見渡すことができる、というイメージです。

鷲の知性

細かな合理性・論理性というよりも、全体の統一性や本質を見抜いていくちからです。そうした知のありかたです。

タイトルに戻りまして、「プラジュナー」(=般若)ですね、

  • プラ:先だつところの
  • ジュニャー:智慧

ということなので、「プラジュナー」は、あきらかに「鷲の羽」のほうの知性です。

つまり、”般若(はんにゃ)=プラジュナー”とは、「物事の本質を総合的に見とおす智慧」ということです。

欧米の学者のなかには、般若経を「仏教的グノーシスの経典」と呼ぶ人もいるようです。

これは、かなり本質を突いた指摘だと思いますね。

キリスト教グノーシス主義についても、以前に小記事を書いたことがありますで、よろしければ参考になさってください。

 *参考記事:キリスト教グノーシス主義の考察

なぜ、「本質をついてる」と言えるか?といいますと、この「グノーシス」と、「ジュニャー」は語源が一緒なんですよ。

「グノーシス」も「智慧」という意味です。

「智慧の力によって、魂がプレーローマ(霊的、本質的世界)へ還っていくことができる」というのと、「般若の智慧によって、悟りの彼岸へ渡っていくことができる」というのは、図式的にはまったく同じことを言っているわけです。

グノーシス主義はこんにち(2020/06/02)でもキリスト教の異端とされていますから、般若経とくらべると、地位がずいぶん低いのですけどね…。

「気軽にタッタカ」と言いながら、タイトルの解説すら終わらず、第一話になってしまいました。これはなんだか長くなりそうな予感…。

最近、一記事の分量がどんどん長くなっていますので、このくらいのほうが丁度いいかもな、ということで。

次回は、「波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)」の部分を解説いたします。

続き→→波羅蜜多心経 – 般若の智慧の心髄(エッセンス)が『般若心経』

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