憑依(ひょうい)現象とは、「霊的な存在とりわけ悪霊に取り憑かれること」を言います。
善霊がかかってくるときは、一般的には”憑依”と言わず、「神がかりの状態になる」とか、あるいはもっと端的に「指導を受けている」とか、そうした言い回しになると思います。
憑依されると、(程度の差はありますが)霊体がオーバーラップしたようになり、人格の影響を受けます。最悪の場合は、人格を乗っ取られるところまで行きます。
実際、世の中には、病的な多重人格の例が報告されていますが、そのほとんどは悪霊の憑依によるものと思って間違いないと思います。
憑依については、今までもチラチラと記事の中で触れたことはありますが、正面からテーマとして取り上げたことはなかったかもしれません。
「過度に恐怖心を煽るのもどうなのかな?」と高田的に、あまり趣味じゃないところもあるのですが、
やはり、自分も含めて、世間で暮らしている多くの人を見るにつけ、「憑依というのは、かなり身近な現象」、もっと言えば、「日常茶飯事」と言わざるを得ません。
まあ…どのくらい日常茶飯事かというと、殆どの人が、1人−3人(1体〜3体というべきか)のお得意様と言いますか、憑依霊とご縁がある、というレベルです。
いつもいつも、くっつかれているわけではないのですけどね。
憑依の原因は波動の同調にある
憑依の原因としては、何度か語っていますが、「波動エネルギー理論」ですね。
*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします(「”波動エネルギー理論”とは?」参照)
人間は、こころの状態によって、常に何らかの波動を発信しています。
そして、この世でも「似た者同士が引き合う」という現象がありますが、実際は、この世と霊界はオーバーラップして存在しているので、霊界にいる「似た者同士」も引き寄せてしまうわけです。
というより、霊界のほうが「(地上的な意味での)距離が関係ない」分だけ、あっという間に引き寄せてしまうことになります。
そして今、私たちが住んでいる現象界は、どちらかというと、昔から言う”地獄界”に近い波動を出しているので、憑依現象というものが日常茶飯事になっているわけです。
というのも、そもそも地獄に堕ちているということは、地上世界・現象界への執着が強いということなので、そういう意味で、地上に住んでいる人間に感応しやすいということになるのです。
釈尊が繰り返し、「執着を去りなさい」と説いているのは、こうした背景もあるのですね。
「諸行無常」も「諸法無我」も哲学的に語ることも可能ですが、第一義的には、「物質的なものへの執着を去りなさい、自我意識を去りなさい」という実践的な教えです。
*参考記事:苦しみからの解放 – 仏教の智慧で根本から解決する
実践的であるということは、超訳的に言うと、「地獄に堕ちないための教え」であるということです。
そして、それは同時に、「今、憑依霊を退散させるために有効な教え」でもあるということになります。
まあでも、憑依されるということは、その憑依霊と同等なものを自分が持っているということなので、見方を変えれば、「そうした心のあり方・癖を克服することが今回の人生の課題」ということもできます。
古い言葉で言えば、”カルマ”ですね。
ちなみに、憑依も短期間であればまだいいのですが、長期間、「憑かれっぱなし」の状態になると、もう、本人だか憑依霊だか、判別できない状態になってしまいます。
「ほとんど、同一人物」という感じです。
そうすると、死後の行き先は、当然、その憑依霊と同じ世界、ということになってきます。
そういうわけで、やはり、「憑依」という問題は、地上世界に生きている私たちにとって切実な問題だと言えます。
憑依の特徴、見分け方
「憑依されているかどうか、どう見分けるのか?」ということですが。
霊能者のところへ行って、「あなたは◯◯に憑依されています!」などと言われても、なかなか自分では確認するすべはありませんよね。
たまたま不幸な状態にあると、「たしかにそうだろう!」と納得しがちでありまして、ここのところが、(偽)霊能者にとっては、商売の腕の見せどころになるわけです。
ここで問題だなあ、と思われるのは、
この会話の流れで行くと、「私が不幸なのは◯◯(先祖など)に憑依されているせいなんだ」という他責の心が生まれることですね。
そして、そういった他責の心は、感情としては悪感情に分類されますので、この心を起こした時点で、実際のところ、さらに同じ波動を持った霊存在を引き寄せてしまうことがあるのです。
まあ、ほんとに憑依されているかどうか?は、実際は、霊能力を持っていない限りは、「これが絶対、憑依である」と確実に見分けることは確かに難しいんですけどね。
いくつかの特徴を挙げることはできます。
- 身体が重い、寒気を感じる
- 身体の特定部位(頭、後頭部、背中、腰、足など)がぞわぞわする
- 悪感情が増幅される
- 他責の心が強くなる
こんな感じでしょうか。
身体が重い、寒気を感じる
霊的な存在と言っても、じつはまったく物理次元から切り離されているものではないので、ある種の「重さ」があるんです。
また、重さだけでなく、「匂い」も変わることがあります。敏感な方であれば、悪霊の憑依を受けていれば、「悪臭」を嗅ぎ分けることも出来ます。
逆に、天使の指導を受けている場合、天使の種類にもよりますが、美的感覚の強い天使のときは、芳しい香りが漂ってくることがあります。
それから、憑依を受けやすい身体の部位というのがありまして、
やはり、頭・首筋・肩・腰…など、凝りやすいところが憑依されやすい部位になります。
こういった身体の滞りそのものが、不調和な波動を出しておりますので、狙われやすいのですね。
逆に言えば、小さな動物霊の憑依くらいであれば、ストレッチや入浴などで凝りをほぐしたり、血流をよくするだけも取れたりします。
入浴についてはさきほどの、”悪臭”の話に関わってきますが、やはり「清潔さ」というのは天国的なものですので、清潔であること自体が、悪霊を遠ざけるのに有効なところがあります。
実際に、先ほどの”凝り”とは別に、身体に不潔な部分がある場合、そこに憑依されることがありますね。
敏感な方であれば、憑依されている部位(頭、肩、背中など)ぞわぞわしている感覚がありますし、これはやはり、スピリチュアル的に根拠があるのですね。
頭の場合は、お椀を被されているような感覚になることもあります。
また、憑依されていると、温度的に、「寒気」を感じるケースが多いです。まあこれは、幽霊話などから推測しても分かりますよね。
逆に、長年憑依していた悪霊が取れると、とたんに身体が軽くなったり、ぽかぽか温かいした感じが戻ってきます。
悪感情が増幅される
憑依については、そもそも、「その憑依霊に同調する心を持っているから取り憑かれる」とご説明していますが、憑依を受けると、そうした心境が増幅されるケースがほとんどです。
たとえば、短気な性格のひとであっても、あとで冷静に振り返ってみて、
「いくらなんでも、あの怒り方は、異常だったなあ」と思うようなことがあります。
これは、悪霊の怒りの念が同調して、増幅されているんですね。
霊視できる方であれば、本人の顔にオーバーラップした鬼のような顔が見えることがあります。
なので、後から振り返ると…という場合は、やはり、「これは憑依の影響を受けているのではないか?」と疑ってみたほうが良いです。
また、一時的な憑依であったり、あとは、くっついたり離れたりされたりしている場合は、まだマシなのですが、
もう四六時中、憑依されて、ほとんど本人と一体化しているような場合、周りから見ても、「この人は、しょっちゅう怒り狂っている」という感じになります。
そして、本人としても、もう冷静に振り返ってみると…といった「理性の力」が発揮できなくなってしまいます。
ここまでいくと、もう死後は憑依霊と同じ世界に還ってしまうことになります。
なので、むしろ、周囲の方が真理に目覚めて、光を手向けていく、ということしか手段がなくなってきます。
他責の心が強くなる
これは最初に書いたとおりですね。
そもそも、「自己責任」を受け止めきれないひとが、地獄へ堕ちたり、浮遊霊になっていたりしますので、
当然、そういった霊存在に憑依を受けているということは、前提として「他責の心がある」ということであり、また、そうした心が増幅されることになります。
「仏法を貫いているのは、縁起の理である」とたびたびブログで書いていますが、
縁起、すなわち、原因と結果の法則を受け入れると、「主体性の原理」「心の自治」ということを深く意識するようになります。
つまり、「自分が今こうなっている(=結果)のは、過去にこういう思い・行いがあったから(=原因)」という価値観であれば、当然、「自己責任」「主体性の原理」を受け止めきれるわけです。
そういうわけで、あまりに、他者(家族、友人・知人、社会、政治・経済など)へ責任を転嫁する態度が激しくなって生きているのであれば、やはり、「これは憑依なのでは?」と疑ったほうが良いですね。
以上が、ごく一般論としての、「見分け方」ということになります。他に思いついたら追記で書いていきますね。
また、憑依への対処法なども書いていきます。
憑依霊対策、対処法
上述の通り、憑依現象の原因は”波動理論”で解明できました。
ということは、憑依の外し方もこの波動理論に則って行うことができます。
つまり、自分の思いと行為を省みて、神仏の心に一致していない部分があれば、内省を行い、修正をかけていくことです。
キリスト教的に言えば、「悔い改める」ということです。
そして、心の波動を変えていけば、自然と憑依霊は離れていくことになります。
この方法がまず、王道中の王道です。
そのための内省の手段として、仏教では八正道という内省の方法があります。
*参考記事:八正道の意味と覚え方のコツ – ”縁起”のつらなりで理解する
今回のテーマに沿った、心の波動を変えていく、ということで言えば、八正道では、大きくは「正思」の内容ということになります。
そして、正思では、伝統的には、「心の三毒」もしくは「六大煩悩」の点検をしていきます。
心の三毒とは、貪・瞋・痴(とん・じん・ち)と言われるもので、それぞれをご説明しますと、
- 貪…貪(むさぼ)りの心
- 瞋…怒りの心
- 痴…愚かな心
ということになります。
これもいろいろな記事で取り上げていますが、今回は、ちょっと別の視点から書いてみます。
貪瞋痴というと、「とりあえず並べてみた」という感じがしないでもありませんよね?
この心の三毒は以下のように整理すると分かりやすいです。
つまり、前提として、
- 痴…愚かさ、智慧のない状態がありその結果、心の働きとして、
- 貪(過剰に惹きつけたいという執着が起きる)もしくは
- 瞋(過剰に排斥したいという執着が起きる)という理解です。
こういった、過剰な心がないか?そして、その前提として、どういった智慧が足りないのか?(痴の部分)を考えていくと、内省しやすいです。
過剰な心ってどうやって分かるの?ということですが、
分かりやすいのは、
「ふと気づいたら、考えて悶々としていることは何か?」というチェックポイントです。
つい考えてしまう、ということは、執着になっているということですね、
そして、執着をするということは、自分の想いが一点を向いているということなので、それに応じた一定の波動を出し続けていることになり、憑依を招きやすい、という構造になっています。
仏教で、「執着を去れ」と説かれているのは、実践的な意味ではこういう理由です。決して、浅薄な道徳的な理由だけで説いているだけではないのですね。
以上が、真理スピリチュアルからみた憑依霊対策でした。
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