スピリチュアリストのなかには、「願えばすべて叶う、念えばすべて叶う、引き寄せが可能」と主張しているかたもいらっしゃいます。
あるいは、「宇宙銀行にオーダーすれば」とか、いろいろな物言いがありますね。
「求めよ、さらば与えられん」の真理(ルール)には沿っていますので、間違っているわけではないんです。
だけれども、残念ながらというか、本当はかならずしも「願えばすべて叶う」わけではなく、また、必ずしも「叶えばハッピー!」というわけではないと思うんですね。
「願えば叶う」が良し悪しである理由
理由を先に言っておきますと、以下の3点です。
- この世では、念う→叶う、に時間差がある
- 「なかなか叶わない」というなかに、実は智慧や愛の磨きがある
- そもそも、叶わない方が良い、というケースがある
といったところです。
1,この世では、念う→叶う、に時間差がある
この世はあの世と違って、さまざまな人々の思惑が絡んできますし、肉体をもっているというハンデ(願いがあっても、とりあえずゴハン食べなきゃいけない)もあって、ストレートには叶わないんですね。
じゃあ、あの世ではすぐ叶うのか?ということですが。
スピリチュアル説法的には、「念えばそのまま実現するのがあの世です」ということを言うときもありますが、実際はそれほどストレートではないんです、あの世でも。
つまり、念の強さや種類(得意分野・不得意分野)によって、叶うのが遅くなったり、別のカタチになったりもします。
たとえば、「こういうデザインの洋服を着よう!」と思えば、だいたいそれに近いものはすぐに出てくるんですが。
やはり、コーディネイトの専門家やスタイリストなどに比べると、スピードや出来具合が見劣りするのは事実です。
龍の模様の服のつもりが、ヘビになっちゃったとか。笑
まあ、話は逸れましたが、あの世でもそんな感じなので、この世ではなかなかストレートにはいきませんね。
「いやいやすべて叶ってます!」って言われたらどうしましょうかね…。
「ちょっと客観視したほうがいいですよ、ぼそっ」って感じでしょうか。笑
一方で、先にも少し述べましたが、「願えば叶う」も一面の真理をついているのは事実です。『思考は現実化する』というナポレオン・ヒルの書物も有名です。
「思考を現実化させる」ためには、やはり一定以上の期間、思い続ける必要があります。
これは私もいくつかの分野で経験してきました。だいたい、「7年くらい思い続けて、何らかのかたちで現実化しないということはない」というのが経験敵事実です。
なので、ひとつには、「思考、願いの持続性」ですね。これが大事だと思います。
もう一つは、やはり、アクション(行動)です。
寝ながら(座りながら)何もせず、他力本願でただ願い続けてもやはり現実化は難しいです。
これは当たり前の話ですが、「行為、目標に向けての具体的なアクション」が必要ということですね。
逆に言えば、目標に向けての具体的なアクションが起こらないということは、そもそも「願いが弱い」ということを意味しています。
願いが強ければ、自然にさまざまな想像力が働きますので、行動(アクション)の種も自動的に増えていくのです。
また、人の心は「習慣づけ」されますので、行為をしているうちに「願いの力」も加速していく傾向もあります。
いわゆる「引き寄せの法則」というのも、このように、
願いの強さ→想像力→具体的なアクション→習慣づけ
という一連の流れがあって初めて成立するものなんです。
ちょっと願えばいつの間にか叶っている、といったふうな”魔法”ではないのですね。
2.「なかなか叶わない」というなかに、実は智慧や愛の磨きがある
じつは、「なかなか叶わない」というところに、「時間に耐えられますか?」「願いは本物でしょうか?」という試しもあるんですね。
やはり、時間がかかったり、邪魔が入ったりすると出鼻をくじかれるというか、なかなか初期のモチベーションを維持するのは難しいです。
なので、そこが「願いが本物かどうか」という、自分自身に対する試金石になっているわけです。
むしろ、時間がかかるなかで色々と試行錯誤するなかに智慧が磨かれていくという面がありまして、実際は、願いが叶うことそのものよりも、そっち(=智慧をゲットする)のほうが本当の意味での魂の資産になっていくんです。
これは私の記事をずっと読んでいるあなたであればお分かりですよね。
ビジネスで成功!って言っても、お金も地位も名誉もあの世に持っていくことはできないんです。
地位と名誉は多少、持っていくことはできますが、実は持っていってマイナス!ということもあります。
「わしゃ◯◯会社の社長じゃ!」と下手に「持っていって」しまって、違う世界へ還ってしまうこともありますので。
また、挫折したらしたで、それも無駄ではないんですね。
人を愛するということは、別の側面で言うと、「共感できる」「理解できる」ということでもありますので、
「成功ばかりの人生であった」、なんて人がはたして他の人に優しいまなざしを向けられるのか?という点も考えたほうが良いんです。
3.そもそも、叶わない方が良い、というケースがある
人はやはり”今”の認識力の範囲内でしか物事を考えられませんので、今望んでいることが、より上位の価値観から見て、正当なものであるとは限りません。
その人にとって長い目でみれば「その願いは叶わないほうが魂的にベターである」と守護霊などから判断された場合は、やはり叶いませんし、叶わないほうが良いんです。
*守護霊について「信じがたい」という人は、”潜在意識”とか”無意識の領域”と考えても良いです。
そしてまた、「なぜ叶わなかったのか」というところに、人を立ち止まらせて考えさせる面があるんですね、そしてそこで、前項で書いたような学びを得ることができる。
「願えばすぐに叶う」というのであれば、現象界(地上世界)がわざわざ創造された意図からはずれていってしまうということです。
そういった遥か上位の神々の意図を汲んでいく、マクロの観点からも理解していく、というのが、また真理スピリチュアルであるということです。
「なぜ、この世が存在するのか」「人生の意味とミッション」については、下記の記事をご参照ください。
コメント
コメント一覧 (2件)
コメントありがとうございます♪
結局、願いの結果どうなるか?得られる果実はなにか?という、
その「果実の内容」ですね、ここのところを、この世の結果論に求めるのが私が言うところの「呪術スピリチュアル」であり、
魂の進化に求めるのが「真理スピリチュアル」である、ということかな、と思います。
そう考えると、「果実」を地上のものに求めるというのは、果たして本当の意味での「スピリチュアル」なのか?という問いかけが生じてきますよね。
はじめまして!
まさしく今私が考えていた事です。
願いがすぐに叶うのでしたら、精神的な向上や、嫌な経験をしたからわかる人の気持ちなんて考えられないと思います。