かんたんネオ仏法高田
人生をRPG(ロールプレイングゲーム)だと思ってみる
人生の苦しみは、肉体=自分の図式から発している
人って生きていくと、仕事であれ生活であれ恋愛であれ、あっぷあっぷになって溺れてしまうことがありますよね。
そして、いつしか、この世が全てであるかのような錯覚の中に生きることになります。
そして、ネオ仏法的に言えば、人生の苦しみのほとんどは、肉体=自分、という図式から発生しています。無我の反対の”自我”と言ってもいいですね。
参考記事:「四諦、四聖諦(苦・集・滅・道)をスピリチュアル的に解釈してみた」
要は、肉体我ではなく、スピリチュアル的我という視点から見ると、人生の風景はずいぶん違って見えてくるということです。
王道スピリチュアル的人生観を得るためには
王道スピリチュアル的人生観を腑に落とすために、いろいろな瞑想法がありますし、無料Eブックでご紹介した初歩的な瞑想でももちろん、有効です。
人生をRPG(ロールプレイングゲーム)と考えてみる
王道スピリチュアル的人生観を得るために、もうひとつ簡単な見方として、「人生をRPG(ロールプレイングゲーム)と考えてみる」という方法があります。
私たちの本来の住処は、あの世(実在世界)であり、この世に生まれてくるのは、新たな経験を積むためである、新しい智慧をゲットするためである、と繰り返し述べています。
そう、この世はあくまで「仮の世界」なんです。いつかは、すべてを置いて、実在世界に還ることになります。
そうであるならば、この世に浸りすぎる必要はまるでないんですね。
まさにこの世で、RPG(ロールプレイングゲーム)をやっていると思えば良いんです。
あなたの今の名前すら今世限りのものです。
また、家族関係、友人関係、仕事関係もすべて、この世の人生の終わりとともにリセットされてゆくことになります。
まさしく、RPGなんですよ。
RPG的観点で過ごしていると、忙しい中にあっても、どこか覚めているというか、客観的なもうひとりの自分が人生を眺めている感じになり、ずいぶんと余裕がでてきます。
「RPGなんだから、もっとリスクをとってみよう。新しい経験にチャレンジしてみよう」という意欲も湧いてきます。
また逆に、「RPGなんだから、このゲームで得たお金も高級車も持って還れないんだな」と、執着から離れることもできますね。
私も、このことは毎日のように、自分に言い聞かせるようにしています(以前は、「人生はボードゲーム」という言い方もしておりました)。
ぜひ、一度、この考え方を試してみてくださいね。