「般若心経」の悟りを超えて – ㉛是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦

是大明呪

”呪(しゅ)”はマントラ、真言であるのか?

前回の続きで、今回はシリーズ31回目です。
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是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦

読み:ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ のうじょいっさいく

現代語訳:大いなる真言であり、大いなる明知の真言であり、この上ない真言であり、比べるものなき真言であり、すべての苦しみを取り除く

主語は前回の論考で取り上げた”般若波羅蜜多”、すなわち、”般若の智慧”です。

「是大明呪……」に使われている”是”は、英語で言えば、”is ” に相当するでしょう。

 般若の智慧 is 大明呪

といったふうですね。

なので、”是”は、「〜である」ということで、直訳的には、「般若の智慧は、大いなる真言である」となります。

”呪”は、マントラ・真言のことです。

実際は、”能除一切苦”のところも原語(サンスクリット語)では末尾に”マントラ”となっていますので、合計5つのマントラ(真言)が紹介されていることになります。

さて、今回採りあげた部分は、仏教を多少勉強したことのある方であれば、「えっ!?」と驚く場面でもあります。

今までずっと、空観(くうがん)について、「これでもか!」と説諭してきたにも関わらず、いきなり、「般若の智慧は〜マントラ(真言)である」と述べているからです。

呪(マントラ)

表面的な理解では、「般若の智慧は〜マントラ(真言)であるのだから、言葉それ自体にパワーがあり、それを唱えていればよいのだ」となりそうです。

実際にこのあと、有名な「ぎゃーてぃ、ぎゃーてぃ」が続きますしね。

そうすると、空観の理解すら不要になってしまいそうです。まさに、”ちゃぶ台返し”であります。

「それなら、最初からマントラ(真言)を教えてくれれば良かったのに…」と文句を言いたくなるかもしれません。

実際に、密教系の僧侶が書いた般若心経解説本では、「ほれ見たことか!」とばかり、「般若の智慧とは結局、マントラ(真言)のことなのだ」と説明されていたりします。

マントラとヴィディヤー

まあ、ここのところは結構むつかしいところでありまして、般若経典類編纂の歴史、ひいては仏教史そのものにも関わってくる問題でもあるのです。

まず、結論的に申し上げれば、「マントラ(真言)を唱えていれば、万事めでたし」ということではありません

理解の鍵は3つめの”是大明呪”にあります。

現代語訳では、「大いなる明知の真言であり」としました。ここの”明知”と訳した部分ですね、これはサンスクリット語ではヴィディヤーといいまして、知識・学問という意味です。

もちろん、些末な知識・学問ではなく、「悟りに関する知」「悟りの知」という意味でしょう。

初期の般若経典で重視されたのは、マントラではなく、このヴィディヤーです。

参考書籍:般若心経―テクスト・思想・文化

般若心経―テクスト・思想・文化

そうすると、『般若心経』の大元になっている般若経の意図としては、

 般若の智慧 is ヴィディヤー(悟りの知)

ということになります。少なくとも、初期の般若経ではそういうことだったのでしょう。

般若経典類は仏教史を反映している

般若経については、ひとつの経典ではなく、”般若経典類”というべく数多くの「般若系の経典」があります。数百年にわたって般若系の経典がどんどん作られていったのです。

それほど長い期間に経典が制作・編集されていったということは、どうしてもその時時の”仏教のトレンド”の影響を受けることになるのですね。

般若経典類というのは、仏教史そのものを反映しているとも言えるでしょう。

なので、『般若心経』が編纂されていた当時の仏教史はどのような状況であったか?ということを知る必要があります。

それは一言でいえば、「密教がブームになりつつあった」という状況でありました。

釈尊の仏教の以前には、インドでは”バラモン教”が主流であったのですが、仏教を始めとするさまざまな新宗教に次第に押されていったのでした。

そこでバラモン教では巻き返しを図って、インドの土着的な”ご利益パワー”を取り入れ、現在でも残っているところの”ヒンズー教”に変質していったのです。

そして今度は、仏教側がヒンズー教に押されるようになってきました。「仏教より、ヒンズー教のほうがご利益ありそうで、良いんでない?」という具合です。

そうすると、仏教のほうも「負けてられん!」ということで、ご利益・呪術的な要素を取り入れて密教化していった、という流れなのです。

そうした密教化の流れ、ですね。一種の妥協と言いますか、人気取りと言ったらアレですが、やはりここでも「密教的マーケティング志向」が『般若心経』に混入していった、という事情なのでした。

般若経以外でも、たとえば法華経などでも、「法華経を受持しているだけで功徳がある」という方向へ行きましたよね。

そういう事情で、『般若心経』においても、「般若心経のコトバそのものにパワーがあるんですよ!」とばかりに、

「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦」

と並べているわけです。

現代語訳では、「大いなる真言であり、大いなる明知の真言であり、この上ない真言であり、比べるものなき真言であり…」としましたが、要は、「すげー!すげー!」と言っているようなものです。

「すげー真言!」「ヤバイ真言!」です。

では実際のところはどうなのか?ネオ仏法的にはどう考えるのか?というところですが。

あまりにご利益的な部分に重点を置くのはやはり修行論としてはどうか?という一定の疑問はありますね。

しかし実際は、やはり真理のコトバというものには、それ相応の言霊と言いますか、法力があるのも事実です。

ただし、その法力は、経典の内容をどれだけ理解できているのか?に比例しているということに留意しておくべきでしょう。

空海『般若心経秘鍵』の解釈

じつはかの空海も般若心経の解釈本を執筆しています。角川ソフィア文庫から『空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ』(加藤精一 編集) という分かりやすい解説書も出ております。

般若心経秘鍵

天才的な体系家らしく、般若心経全文を仏教史の発展段階として整理しており、なかなか興味深いです。

もちろん、空海は日本真言宗の創始者ですので、「真言宗が最高!ベスト!」の結論になっているのは言うまでもありません。

今回の、「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪」の部分はどう解釈しているか?と言いますと、

  • 是大神呪:声聞乗のマントラ
  • 是大明呪:縁覚乗のマントラ
  • 是無上呪:大乗諸教のマントラ
  • 是無等等呪:真言密教のマントラ

というふうに、呪(マントラ)の発展段階として捉えています。

「声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)」など段階論については下記の記事を参照してください。

参考記事:十界論 ー スピリチュアルな出世の段階 – ⑧天国篇 – 声聞界・縁覚界

真言密教が仏教史の頂点であるのかどうか?はさておき、『般若心経』そのものがたしかに仏教の教説をベスト盤的に網羅しておりますので、このように発展段階論的に味読するのも一興かと思いますね。

続き⇢⇢(執筆中)