八正道の新展開 – 大乗の八正道の可能性を探る

八正道 現代

ネオ仏法では、無常や無我にもポジティブ無常、ポジティブ無我がありうる、と提言させていただいております。

*参考記事:ワンネス、仏教、宇宙。そしてネオ仏法の悟りへ

従来、やや”小乗”的な響きや意味合いをもった無常や無我を現代社会にマッチさせるべく、ダイナミックに解釈をし直しました。

八正道においても、従来は、

  • 八正道:小乗
  • 六波羅蜜:大乗

といったふうに、八正道は、やや小乗(上座仏教)に押し込められている感があります。

今回は、そうした八正道の現代的解釈の可能性を探っていこうと思います。

なお、八正道全般については、こちらの記事をご参照ください。

*参考記事:八正道の順序と覚え方のコツ – 中道の実践とはなにか?

目次

八正道の現代的展開

正見(しょうけん)

正見の前提の”正信(しょうしん)”

正見とは、「正しい見解、ものの見方」のことを指します。

実は、この正見には、前提として「正信(しょうしん)」があるとされています。これは「正しい信仰」のことです。

仏教において正しい信仰とは、「三宝帰依(さんぽうきえ)」の姿勢のことを指します。

三宝、3つの宝とは何かといえば、

  • 仏:仏陀
  • 法:仏陀の説く教え
  • 僧:仏陀教団、仏陀教団の指導方針

この3つを指すのですね。

この3つは並列的に尊いというわけではなく、たとえば、仏陀がいなければ教えもありませんので、法よりも仏が尊いのです。仏陀は過去に説いた法を変更することもできます。

それゆえに、「仏→法→僧」の順番に尊いのです。

この三宝帰依を前提にして、正見、正しい見解が成り立っているのです。

「正しい」とは仏教的にいえば、「仏の正しさ」「仏の心」のことを指します。

すなわち、正見とは「仏陀の見解」と言い換えてもいいでしょう。

近代的自我を備えた現代人にとっては多少つらいことではありますが、悟りを得るためには、価値観を「仏陀の価値観」へ合わせていくこと、言い換えれば、自我を無我へと変換していかなければならないのです。

正見とは「縁起の法でもって物事を観察していくこと」

さて、正見、正しいものの見方とは、もう一つ、伝統的には、「縁起の法でもって物事を観察する」ということが挙げられます。

縁起とは「縁って起こる」と書きますが、ひらたくいえば、まずは、「原因あれば結果あり」ということです。時間軸的にはそういうことになりますね。

もうひとつは、空間軸的に、「存在するものは相縁(あいよ)って”在る”」という存在論が展開されています。

たとえば、アナタはアナタ一人では存在することはできません。空気がなければ、数分で死んでしまいます。

空気までいかなくとも、他の存在、人々のなりわいと支え合いながら、アナタは”存在すること”ができているわけです。これをちょっと難しい言葉で、相依性(そうえせい)と言っても良いでしょう。

まとめますと。正見とは、

  • 時間軸:原因と結果の法則
  • 空間軸:相依性

この2つの側面から物事を観察していくことです。

「原因と結果の法則」は時間軸ですから、「一切のものは変転・変化していく」という「諸行無常」の教えと関連があります。また、相依性は「物事はあい縁って”或る”ことを許されている、それ自体では存在できないのだ」という「諸法無我」の教えと関連があります。

そうしますと、

  • 時間軸:原因と結果の法則:諸行無常
  • 空間軸:相依性:諸法無我

というふうにまとめることもできますね。

この2つの”縁起”は、いわば「世界はこのように在る」という、従来的には”存在論”にとどまっている感があります。

これを冒頭に述べたように、

  • 主体的に無常を引き起こしていく→変化を引き起こしていく(イノベーションの原理)
  • 主体的に無我を引き起こしていく→他者と積極的に関わっていく(仏国土造りの原理)

というふうに、より積極的に展開していくのが、ポジティブ無常、ポジティブ無我です。

ここにおいては、真理を基盤とする限り、この世の発展・繁栄も積極的に肯定していく、という、現代社会にマッチした無常論・無我論が展開されることになるでしょう。

自分と他者の仏性の顕現を観察していく

あるいは、正見を文字通り、「正しく見る」という解釈もありえるでしょう。

正しく見るとはどういうことか?

人間を含め、山川草木すべてこれ仏性が宿っているわけですから、まずは自らのうちに仏性を発見しなければなりません。

たとえば、今までの自分の人生を振り返ってみて、「こういうところは、まんざらでもなかったな」というのは誰にでもあるはずです。

  • 目標に向かって節制・精進していこうとする姿勢がある
  • 困った人をみると放っておけない
  • とても調和を愛する気持ちがある

などなど、いろいろと見つけることができるでしょう。

そうした仏性の顕現具合が、すなわち、あなたの個性なのです。

さらに、自らのうちに仏性を発見できるようになると、他者の中にも仏性を発見できるようになってきます。

これは本論の趣旨である「大乗の八正道」として、とても大事な見方ですね。

他者のうちに仏性を発見できるからこそ、愛することができる、さらに伸ばして差し上げたいという気持ちがふつふつと湧いてくるからです。

正思(しょうし)

正思は「正しく思う」と書くように、心の”思い”について点検していく項目です。

伝統的には、「心の三毒」あるいは「六大煩悩」のチェックがあります。

  • 心の三毒:貪・瞋・痴(とん・じん・ち)
  • 六大煩悩:貪・瞋・痴・慢・疑・悪見(あっけん)

となります。

一言でいえば、「自らの思いにおいて悪なるもの、仏の思いに適わなかったものはなかったか?」というチェックになります。

ここまでは、自分造りといういわば”小乗”的な八正道でしょう。

ところで、正思はじつは「正志」と書くことがあります。文字通り、正しい志です。

この「正志」から考えていくと、「地上仏国土づくりにむけて自分は積極的な思いを発したか」という、より大乗的・現代的な解釈が可能になってきますね。

正語(しょうご)

正語は「正しく語る」ということですが、伝統的には下記の4つを避けることとされています。

  • 不妄語:嘘をつくなかれ
  • 不悪口:悪口を言うなかれ
  • 不両舌:二枚舌を使うなかれ
  • 不綺語:無駄話をするなかれ

これも、「〜はしてはならない」という禁止事項ですね。

ただ大乗の八正道としては、もっと積極的に「真実語」を付け加えておきたいところです。

真実を、真理を積極的に語ること。

これは現代風に解釈すれば、ブログやメルマガ、SNSでの発信なども含まれるでしょう。

仏国土への貢献として、どれだけ真実語を語ることができたか?

これはけっこう果てしないものがあると思います。

正業(しょうごう)

正業とは「正しい行い」のことです。

”業”というと”カルマ”の響きがありますが、もともとは(カルマもそうですが)、「行い」という意味なのです。

正業は伝統的には下記の3つを避けること、とされています。

  • 不殺生(ふせっしょう):殺すなかれ
  • 不偸盗(ふちゅうとう):盗むなかれ
  • 不邪淫(ふじゃいん):不適切な異性関係に溺れるなかれ

こちらも「正語」と同じように、「〜をするなかれ」という、いわば「守り」の戒になっています。

現代日本で通常に生活していれば、不殺生と不偸盗はまず犯すことはないと思いますが、不邪淫はじつはけっこうな割合で多くの人がひっかかっております。

そのため、古来から言われている「血の池地獄」や「畜生道」が大繁盛しているという有様なので、注意しておきましょう。

性的なことそのものが過ち、というよりも、性的なことに溺れると、本来の霊的自己を忘れ去ってしまい、地上での魂修行が阻害されていく傾向があるのです。

さて、大乗の八正道ということでいえば、やはり、もっと積極的に、「今日は自分は地上仏国土造りのために何を成したか?」という積極的な振り返りがあるべきでしょう。

ささやかでも構わないので、「今日も一歩進める」「1ミリでも進める」という意識をもって、精進していきたいものです。

正命

(以下、執筆中)

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